ハニーチ

スロウ・エール 126






  く



あの日の光景が頭にちらつきながら、たった2文字を書き記して、プリントを戻す。
先生が延々と話すコラムの内容をBGMに、隣で嬉しそうにしてくれる日向くん。


『やった!キマリ!!』


日向くんが書いた文字は、もうどこかに走り出しているかのようだった。
どこかソワソワしてるのは、今このプリントのやりとりが理由なんだって思うと、こっちにも同じ高揚感が伝わってくる。

気持ちを落ち着けようと、資料集をあてもなく視線でさまよった。

日向くんの鉛筆がまたプリントの端っこを動く。


『学校おわったら 本や いこう!
 ばしょ きめよう!』


書き足された誘い文句にまた嬉しくなってすぐ返事を書こうとすると、先生がやっと真面目に授業を始めたから、プリントを行き来させるのをとめた。

チャイムが鳴って、日向くんが自分の机を移動させながら言った。


さん、今日、塾?」

「ううん、ないよ。図書館で勉強するつもり、あ、さっきの話?」

「そうっ、おれも勉強してくからへーき」


目配せされて、もう言葉がなくてもわかった。

図書館で勉強してから、帰りに本屋さんに寄ろう。黙ってうなずいた。

日向くんがロッカーに教科書を取りに行くのを見送って、窓の外を見た。


「外になんかあんの?」


前の席に座る友人が不思議そうに私の視線の先を追いかけた。

外に見えるのは、葉がすっかり落ちきった木々が揺れるだけ。

たった、それだけで、あの日の日向くんを連想してしまう。
転がってくるボールを思い出す。


「いや、今日、ちょっと寒そうだなって」













さんにレシーブ付き合ってと言われる日が来るとは」

「急にごめんね、山田さん」

「ぜんぜーん、私も体動かしたかったしー」


放課後、バレーボール、と元・女子バレー部の主将。

テスト前で部活はなくとも体育館は使えない。
こんな寒空の下でバレーの相手をしてくれる子なんて、他に思い浮かばなかった。

男子バレー部員を女バレの練習に混ぜてもらえたのも彼女だからこそだろう。

準備運動をしながら彼女は言った。


「でもなんで?しかもレシーブ」

「今度、ちょっと友達の練習に付き合うことになってて」

「友達の練習?日向?」

「ううん」

「じゃー1年男子? って、そしたら最初から1年とやるか」


彼女は一人自己完結して、身体を大きく伸ばした。
理由を当てようと独り言を続けていたので、あえて口を挟まずに置く。

といっても、大した理由じゃない。

体力をつけるのは一人でできても、レシーブは誰かに付き合ってもらった方が勘を取り戻すのが早そうだっただけだ。
えらそうに後輩君たちを呼びつけておいて、影山くんとの練習でかっこつかないのもよくない。

それに、去年の日向くんを思い出したのもある。



さん、準備オッケー?」

「大丈夫」

「手加減はできないからね?」

「うん、そうだとうれしい」


いくらとっくに部活を引退したとは言え、女バレの、しかも主将だ。
同級生とはいえ、バレーをやるからには本気と覚悟はしている。

痛いだろうか。
ケガしないだろうか。

そんなの、どうでもよくもあった。



「よろしくお願いします」



私の礼を合図に、ボールが高く上げられた。

この音、この瞬間、ピリッと思考が吹き飛んで、ただ目の前のボールを追いかける。
その勢いをこの身で受けて、イメージした場所に返す。

時々、すごく変な音がする辺りが情けない。

影山くんのあの苛立ちを含んだ声と眼差しが、嫌でも浮かぶ。

まだだから。もうちょっと待って。

もっと、ちゃんと、思い出すから。


しばらくすると、約束していた時間を過ぎていて、ポカポカする身体でボールを拾い上げた。



「山田さんごめん、ちゃんと返せなくて!」

「いや、ううん」

「ボール、体育館に片しとくね。ほんとありがとう!」

「あ、あのさ!」


呼び留められて振り返ると、なんでもないと返された。

もう一度お礼を言って、彼女と別れた。

こんなんじゃ、また影山くんに怒鳴られそうだ。














「あれ、山田さん、なんでそんなとこで突っ立ってんの?」

「ちょうどいいところに! 日向さ」

「なに?」

さんって、バレー経験者なの?」

「うん、小学校の時にやってたって」

「はーーー、そうなんだー」

「なんで?」

「いや、さっきちょっと軽くバレーやってさ」

「バレー!?」

「付き合わないからね、トス」

「うっ」

「それはいいんだけど、さん、なんかさ」

「上手かった?」

「うん、中学でもやってたら、いい線いってたんじゃん?って」

さんのトス、打ちやすいしな」

「打ったことあるんだ?」

「ある!! すげー、ここってところにバンッて来る」

「そんなんなら2年の時でも勧誘しとけばよかったぁ。なんでやんなかったんだろ」

「他にやりたいことがあるからって言ってたけど」

「ほんとに?小学校からやってる人なんてそういないし、もったいない。日向、なんか知ってんじゃないの?」

「な、なんでっ?」

「仲いいじゃん。それに、聞いたことあるんだよね、さんの親戚ってバレー関係者いるって」

「そうなんだ!?」

「知らないんだ」

「し、知らない」

「日向がきいたら教えてくれんじゃないの?聞いてみたら?」

「聞かない!」

「!!」

「あ、ごめんっ。その、さんが話したいなら聞くけど、やりたいこと他にあるって言うなら、それが理由だって思うからさ。

それに、あんまりしつこく聞いて、嫌われんの、……いやだ」


「……」

「ここ寒くない? 中、入んない?」

「だね!! てか、日向、何持ってんの?」

「先生に頼まれて、って早くいかないと怒られる!!」










バレーボールを片付けてから、レシーブのやり方のどこがダメだったんだろうと復習しつつ、図書館に入った。
テスト前とあって、席はそこそこ埋まっていた。

やっと見つけた一人席で、テスト範囲を確認しながら、カレンダーを眺めた。

テストは早く終わってほしいけど、終わったらすぐ冬休みだし、年明けだし、受験が待ち受けている。

気分が滅入りそうになるけど、その前に日向くんとクリスマスだ。

日向くんと、どこかに行ける。
行くんだ。

胸がくすぐったくなってきて、こんな晴れやかな気持ちになれる。
何事も楽しみは大事だ。




「!!」

「引っかかった」

「やられた……」


日向くんが、したり顔で立っている。

見事にほっぺたに日向くんの人差し指が当たった。悔しい。


「おれ、あっちに座ってるね」

「どこ?」

「あそこ、2番目」


日向くんの筆箱があったからわかった。


「あとで」


図書委員の人ににらまれないように、日向くんがかがんで、小さくそう言って手を振った。

席に着くまでつい見つめてしまって、また手を振られたから、振り返す。


ダメだ、集中しないと。


誰も私のことなんか気にしてないのに、顔が赤いのは暖房のせいですってフリして下敷きを緩やかに仰いだ。

透けている下敷き越しに、やっぱり日向くんが見える。



next.