ハニーチ

スロウ・エール 127





図書室、ちょっと離れた席に座る日向くん。

時々そちらに視線を向けながらテスト勉強をしていると、下校を知らせるチャイムが鳴った。



「え、なんで?」


周囲が帰り支度を始めるなか、顔見知りの図書委員に言われたことを聞き返す。

いま確かに耳にしたことを素直にくりかえされた。

あそこの日向、起こしといて。


「な! もうっ、いー、けど、さあ」


相手が早々に離れて行ってしまって、ただの独り言になってしまった。

図書委員はここにいる生徒全員に帰ってもらわないと仕事が終わらないからって、なんて雑な頼み方だ。

文句の一つも言いたかったけど、あっちにもこっちにも帰宅を促す委員をつかまえてまで言うことじゃない。
広げていたノート類をさっさとカバンに閉まって、まだ机に突っ伏している日向くんの元まで移動した。


「ひなたくーん……?」


寝息が、聞こえる。
気持ちよさそうで、すごく起こしづらい。

肩に、ぽん、ぽんと触れて様子を見たものの、反応がない。

もう下校の時間でーす、と図書委員の人たちが帰りを促し、いつもならもっと静かな室内も今だけはこんなに賑やかなのに、日向くんはまだ寝ている。


あ、そうだ。





「起きなさいっ」

「……」

「いつまで寝てるの、翔陽!」

「!!!」

「わっ、お、おはよ!」


まさかの、効果てきめん。

日向くんがガバッと顔を上げて飛び起きた。

顔に変な跡がついてて、ちょっと笑ってしまった。けど、当の本人は固まったままだ。


「あの、日向くん?」

「あっあれっ、あの、いま……あれ?」

「寝ぼけてる?」


日向くんが辺りを見回してまたこっちを見て、何とも言えない表情をして、両手で頭を抱えた。


「ど、どうしたの?」

「いまさ、おれ……」

「その、寝てたね」

さん、今、いまさ!」


真っ直ぐ見つめられるとこっちまで固まってしまう。



「帰る時間だって言ってんだろ、しょーよー!!」

「ぐっ!」

も早く!!」

「あ、うん」


図書委員の迫力に押されて、首根っこを引っ張られた日向くんを横目に、一足先に図書室を出た。

チラッと中を確認したけど、あとは図書委員の人たちと先生しか残ってなさそうだった。

日向くんが引っ張られた制服を直しながらやってきた。

けっこう、首、痛そうだ。


「大丈夫?」

「な、なんとか」

「早く帰ろう」

「うん……、あっ、本屋は」

「い、行くよっ。でも、ほら、遅いからパパっと、ね!」

「う、ん」


な、なんかよそよそしいような、気のせいのような、そうじゃない、ような……

まだ首辺りをさする日向くんの様子を窺いながら、昇降口で靴を履き替えた。



「自転車、取ってくる!」



日向くんは白い息を吐きながら走って行った。

外灯の明かりもぼんやり光っている。
その真下に先生がいた。
こんな気温なのにジャージだった。


「おー、、早く帰れー」

「かっ帰ります、ちょっと、待ってるんで、あ、来た!」


「あ、先生!」


日向くんが自転車を押して校門まで駆けてきた。

先生が日向くんの姿に気づいて腕を組みなおす。



「日向も早く帰って勉強しろー、時間ないぞー」

「ハ、ハイ! さん行こっ」

「うんっ」



先生から逃げるように二人でダッシュした。

鞄に入った筆箱も教科書もなにもかもが一緒に上下していた。














「じゃあ、決まりっ」


日向くんの声が弾んでいて、安心した。

本屋さんはもう閉まっていたけど、たまたまもらった冊子で見つけたイルミネーションをクリスマスに見に行こうって話がまとまった。

そういえば毎年やっているイベントだった気がするけど、行きづらい場所にあるから実際に足を運んだことはなかった。


「あ、これ、年明けもずっとやってるね」

「そうなんだっ」

「ほら、ここに書いてある」


まだもうちょっとだけしゃべっていたくて、外灯のそばで冊子を広げて指差した。

日向くんがのぞき込んで頷く。



「2月末までだ!」

「受験、終わってる頃だね」



そのころ、私たちはどんな結果を受け取っているんだろう。

思いを馳せると、ちょっとだけ胸がきゅ、とする。

全部が終わった時に行くのでもいいかも。



「そんときまた行く?」



日向くんが先に言った。



「クリスマス行って、2月ももう一回!」

「2回も?」

「つまんない?」

「つ、まんなくないよ、ぜんぜん……いや、絶対!」

「ぜったい」

「え、変だった!?」


日向くんが笑いをかみ殺すように、私の言った“ぜったい”を繰り返したから、つい日向くんのコートの袖を引っ張ってしまった。

チカ、

古い電灯が瞬いて、日向くんが笑みを消した瞬間を目撃してしまった、から、そっと袖から手を離した。



「……」

「……」



寒さと沈黙が、私達の間を通り抜けた。

手にしていた冊子を両手でにぎりしめた。



「に、2月も決まりで!」



仕切り直すように声を張り上げた。

1回目はクリスマス、2回目は受験が終わってから、同じ場所に行くにしてもきっと違う気分だろう。
よくよく見れば新年バージョン、バレンタインバージョンと少しずつ変化もあるらしい。


「そんな変わらなそうだけどって、バレンタインは受験日だったよね、たしか。

ね、日向くん」

「……」

「日向くん?」



なんか、変なことを言ってしまったんだろうか。

返事がないから不安になってきて、でも聞くのもなと思って、寒くなってきたのもあるし、冊子をきちんと閉じ直した。


「これっ、私持っとくね。帰ろっか?」

「あ、あの、さっきさ」

「さっき?」


なるべく動揺しないように、不安を表に出さないように、でも嫌われてないか密かに気にしつつ日向くんを見る。


「図書室で、さ」

「あ、起こし方まずかった!? ごめんね、その、つい日向くんのお母さんぽく起こしたら、日向くん起きやすいかなって……気分悪かった!?ほんとごめんね!ごめん!」

「……」

「ごめん……」


両手を合わせて目をぎゅっと閉じて返事を待つ。

こんなことならもっと普通に起こせばよかった。



「おっ、おれも、ごめん!」

「ぇ」

「起こし方は、わ、悪くない! むしろ悪いのはおれでっ、勉強してたつもりが気づいたら寝てたし……だから、そのっ、さんは、悪くない」

「きっ……、らい、に、なってない?」

「えっ」

「なってても本人に言えるはずないよね、ご、ごめ!!」



日向くんの手、


 私より冷たい。




「きらいに、なるはず、ない。



ぜったい、それだけはないから」




指、冷たい。





「そんなこと、思ってほしく、ない」



「ご、ごめ、「謝ってほしいんじゃなくて!!」



日向くんが大きな声を出したことに、ごめん、と呟いて、もう一方の手で頭をかいた。



「おれが、さんのこと、ちゃんとすきだってこと、わかってて、ほしい」

「う、ん」

「すきじゃなきゃ、一緒にどっか行こう……って思わないし、行きたいのは、さんだからで」

「うん」

「う、上手く伝わってないかもしんないけどっ」

「伝わってる!」



もう一方の手も重ねて、日向くんの手をぎゅっとした。



「ありがとう、……うれしい」



あったまれ、あったまれ。

私に今ある暖かさ全部で、この手から、日向くんがあったかくなったらいい。



さん、さ、寒くない!? おれの手冷たいよ!」

「寒いけど、その、さむくない」

「いっしょだ」

「一緒?」

さんの手、あったかいから、……寒いけど、いま、あったかいっ」


日向くんがはにかんで笑って、もう一方の手を私のに重ねた。

反射的に、冷たいと呟いてしまうと、日向くんが慌てた。


「す、すぐあったかくする!」

「ごめん、うそ」

「!?」

「日向くん、あったかいよ」


自分でも矛盾していることはわかっていた。
胸の奥がぽかぽかしている。

叶うなら、もっとずっとこうしていたい。
手に力を込めた。



next.