「さん?」
日向くんに声をかけられて我に返る。
このままでいられるはずがない。
日向くんからパッと手を離した。ごまかす気持ちから早口になった。
「て、手がさっ!!」
「手?」
「手が、その、あったかい人って心が冷たいんだってっ」
日向くんの手はさっきと同じまま動かない。
よく見えるように自分の手のひらを指差した。
「ほら、私の手ってあったかいから、実はけっこう冷たい性格なのかも」
誰が言い出したか忘れた迷信だ。
友達と帰っていた時だったか、グラウンドでの体育の時か。
外は寒いねって話をして、私の手に友達がたまたま触れた時に、そんなことを言われた気がする。
誰々さんは冷たいから優しい。
誰それさんはあったかいから実は冷たい。
ホントかウソかわからない、そんな遊び。
「日向くん優しいから、手冷たかったね」
優しいことは、とっくに知ってたけどさ。
そう笑いかけたつもりが日向くんが同じように笑っていなくて、びっくりした。
「あ……、変なこと言いだしてごめん」
嫌われてないってさっき聞いたばっかなのに、もう嫌われた気さえする。
そう不安がる自分も嫌だ。
そう思った時、日向くんが両手に息を吹きかけてこすり合わせていた。それも、高速で。
「さんっ!」
「!」
「貸してっ」
今度はさっきと逆で、日向くんの両手に私の手が包まれる。
これだけ素早く擦り合わされた手は、ある意味予想した通りあたたかかった。
「これでおんなじっ」
「へ」
「おれも優しくないっ!」
なにを、言われたかと思ったし、こんな明るい笑顔で言うようなことじゃない。
取り残されるように思考が停止していたけど、日向くんはそんなこと気づかずに続けた。
「前に同じようなの言われたことあるよ」
「……手の話?」
「そうっ! 手冷たいときもあるけど、あったかいときもあるしさ。二重人格だって」
確かに手の温度なんて、運動した後だとか、冷たいものを触っていたとか、状況によって変わりもする。
でも、日向くんが二重人格って考えたことなかった。
「なんかおかしかった?」
「あ、ごめ、二重人格って裏表があるってことでしょ? あんまり日向くんのイメージになくて」
日向くんの手に比べたら冷えていたこの手も、もう同じ温度になっていた。
まだあっためようとしてくれている日向くんを見た。
「もうわかったから大丈夫。日向くんの手、あったかいよ」
「……」
「?」
「はなしたくない」
一人、瞬きしてみた。
いま言われたことが現実なのか確かめるように。
夢じゃない。
紛れもなく、日向くんの手は私のそれを手放そうとはしてなかった。
「もし、優しいんだったら、さんがしてほしいようにするんだけどさ。本当は、……そうしたく、ない」
「……でも、いま、はなしてくれた」
日向くんのおかげで温かくなった手のひらは、さっきよりずっと外気温をつらく感じさせた。
言葉と裏腹の行動に、理解が追いつかない。
なんで、はなしたくないって言ったのに離したの。
ついそう思ってしまって、日向くんを見る。
日向くんは何も言わないでバツの悪そうに夜空を仰ぎ見た。
つられて空に視線を向けた。
電灯の真下だと、星も夜に溶けていて真っ暗なだけだ。
やっぱり空より隣が気になって盗み見る。
日向くんの手はすぐそこだった。
一歩さえもいらない、すぐ近く。
「本当は、さ」
日向くんがしゃべりだしたから、またすぐ視線を上げた。
「もっとこうしてたいっ。
ずっと、
手、つないでたい。
おれは、
どこまで近づいていい…… ?」
盗み見た、つもりだった。
でも、違った。
わかっていた。
視線を肌で感じていたから。
空を見ていたはずの日向くんは、私を見ていた。
逃げなくちゃ。
なぜか、そう思ってしまって身体が強張る。
何か言わないと。
そう思っても半開きの口から気の利いた言葉はおろか一言だって出てこず、白い呼吸を繰り返すだけだ。
「そっ、そんなこと聞かれても困るよな」
「……」
「さん、帰ろ!」
「日向くん。
あの、
その」
「い、いいよ、変なこと言った!」
「違うのっ、待って」
日向くんがそのまま自転車に手をかけるから、心臓が飛び出そうなほど緊張しながら、日向くんの袖を引っ張った。
顔、見れない。
履きなれたローファーのつま先をにらみながら言った。
「日向くんならっ、いい」
近づくってどういうこと?
触るってこと?
手、つないでたい、ってこと、だよね?
わかんない、わかんないけど、さ。
「近づいちゃダメなところ、な、なんにもない」
ドキドキがすごくて、日向くんの服、思い切り握りしめすぎてて、ようやく冷静になって力を弱めた。
「さん。……手、いい?」
やっぱり、力入れすぎだ。
慌てて裾を離す。迷惑をかけた。
「ごめ、「ごめん」
裾ごと手首を掴まれて引かれた。
ご め ん、
す き で
肩越しに聞く日向くんの声はすごく小さかった。
前にもこんな距離になったことがある。
この夏の、家庭科室での出来事。
この間の、花火大会。
あのときは見回りの先生が来たからすぐに離れたし、花火の時もアナウンスがきっかけでおしまいだった。
今は、どうするんだろう。
なんで、謝ったりなんか……
こんなに、しあわせなのに。
好きな人の腕の中にいられる。
その事実をやっと少し実感する余裕ができた。
日向くんはどうだろう。
おんなじかな。そうだったらいい。
「……さん、
やっぱり、いい匂い、する」
返事に困っていると、香水じゃないって言ってたのになんだろとか、日向くんはひとしきりしゃべってから身体を離してくれた。
真正面で向かい合う。
日向くんのほっぺたも鼻先も赤かった。
「さん、すげぇ赤い」
「え! ひ、日向くんもだよ」
「え!」
「鏡貸そうか?」
「いいよっ、も、もう今度こそ帰んないと」
「だ、だね」
「……なんでさ」
日向くんが自転車止めを蹴った。
「なんで、こんな一緒にいるのにもっといたくなんだろ」
理解力が遅くて同じテンポで言葉を返せなかったけど、同じ気持ちだった。
全部、一瞬で過ぎていく。
「なんでだろうね」
「時間、はやく感じる」
「うん」
「授業は長く感じるのに」
日向くんの言葉に笑いつつ、自分のほっぺたを確かめた。熱い。
ちょっと先を自転車を押しつつ歩く日向くんが振り返った。すぐ追いついた。
バス停までは何の関係もない話をした。
もう分かれ道だ。
「じゃあ、また明日、日向くん」
「ん……」
日向くんの表情が固く見えて、一緒にいたい気持ちと帰らなきゃって義務感が胸の内でひしめいた。
日向くんが自転車を停めた。
まさか、ここ、人いるけど、さっきみたく。
抱きしめられはしなかった。
顔が近づいて耳元でストップしただけで。
「さん、テスト前だけど、今日電話する」
「あ、うん」
「すきって、言い足りない」
「!」
「じゃあ! バス来てる!」
もう自転車にまたがって、もう颯爽とあんなところにまで行ってしまった。
なんて、すっきりした笑顔。
たまたまバス停に並んでいた人と目が合って、逸らされた。
絶対、今の、聞かれた。
もう、日向くん!!
文句を言いたくたって本人いないし、すきって言われる宣言された電話で何も言えそうにない。
行く場のないこの気持ち、どうしたらいいんだ。
next.