私なんかが焦燥感にかられてもなにもできることなんてない。
バレー部は日向君だけ。
同じ学年で自分が声をかけられる男子には声をかけたし、一学年下でも声をかけてみたものの誰かが入ってくれることはなかった。
頑張ってどうにかなるものじゃないと実感する度、いまだに一人でバレーを続けている日向君を尊敬した。
もし私が一人きりなら家庭科部なんてやっていないだろう。
そこまで何かに夢中になれる自分は想像がつかない。日向君のひたむきさにいつも胸が熱くなった。
「くしゅ!」
気持ちとは裏腹に冷え込む冬休み前、ケーキを買いに行く途中だった。
くしゃみが続きそうで慌てて口元を押さえる。
きっと昨日がよくなかった。
日向君の練習をそばでずっと眺めていたから。コートを取りに行けばいいのに、つい目が離せなくてそのまま立ち尽くしてしまった。
鼻を少し啜って、マフラーを巻きなおす。
頭に浮かぶのは昨日のことで、いつかの水族館の時みたく宙を浮いた日向君がスパイクを決めていた。
かっこよかったなって思う。
レシーブだって、前よりほんのちょっと上手くなってたと思う。
指導してくれる人がいたら、どんなことになるんだろう。
今だってあんな風に飛べるんだ。
もし、例えば私を指導してくれたみたいな人が日向君にいたら…
「昨日、日本惜しかったよねー」
バスに乗り込むときに高校生の人が話すのが聞こえた。昨日の夜、バレーの世界大会があったんだ。
日本代表のCMやテレビの特番を何度も見た。きっと日向君も試合を見ただろう。
昨日の余韻に浸りたくなって、携帯でスポーツニュースを読み始めると、気づけば降りるバス停まで来ていた。
「すみません、降ります」
隙間を慎重に通って、バスを降りた。
家族の誕生日には必ずここ、というお店が決まっていて、ショートケーキが一番おいしいから家族でけんかにならない数を買う。
この辺りじゃ人気のお店なので、予約をしていた。
「えーーー、そこ、なんとかならないんですか」
なんだろう。
店の中に大きな声がしていた。
私よりずっと大きい男の人がショーケースの前でお店の人と話している。
チラとみると、夕方に近い時間のせいか、ショートケーキは売り切れになっていた。
困惑気味の店員さんが申し訳なさそうに頭を下げていた。
「すみません、本日分のいちごのショートはついさっき売り切れてしまいまして…」
「さっき買っていった人は?」
「あれは取り置きでして、事前にご予約をいただければご用意できるんですが」
「そ、そうなんですか……。アイツのお気に入りなのになーくそー……、あの1つ、たったの1個でいいので、なんとかなりませんか?」
「いえ、ちょっと……今日の分は……」
「いらっしゃい、ちゃん」
「あ、はい!」
余りにも困った様子の男の人のやりとりに聞き耳を立ててしまい、店長に話しかけられてドキっとした。
そこまでショートケーキを必要としている人のそばで取り置きを受け取るのは気まずい…。
「取り置きのショートケーキ4つと、他になんかいりますか?」
「あ、えっと」
モンブランにピスタチオのムース、粉砂糖のかかったシュークリームにフルーツのたくさん乗ったタルト。
どれも目移りするのに、どうしてもお隣さんが気になった。
「仕方ない……、じゃあ」
肩を落とした様子の男の人が別のケーキに目を移したタイミングだった。
「あ、あの」
つい、声をかけてしまった。
「私、ショートケーキ、2つだけですけど、お譲りしましょうか?」
男の人の視線が今度は私に移る。
私を見下ろすその人はとても驚いた様子だった。
「えっ」
「いや、私、ショートケーキ4つあるので……お話を聞く感じ、ご家族の方、ここのショートケーキすごくお好きみたいだし
「譲ってもらってもいいんですか?」
「はい。あ、でも4つ全部は無理で、2つまでだったら……へあ!?」
私が我慢すれば喧嘩は起きない。
私の両の手は、その男の人に掴まれていた。
「ありがとうございます!弟が喜ぶ」
「ならよかったです。じゃあ、すみません、取り置きの2つは……」
「あ、1つでいい、1つで!あと、お礼に他のケーキおごりますっ」
「え、いや、それはいいです!お金ありますし」
「大丈夫、これは親の金じゃなくてバイト代だから」
「え、えっ」
いいです、いいです、と断っている内にケーキは箱に詰められていた。
なんだかパーティが出来そうな数になっていて、焼き菓子まで袋に詰められていた。
すごい金額になっている気がして、たかがショートケーキ1つでと説得を試みたものの、その人はいいから、いいからと笑顔で支払いを終えてしまった。
「本当にありがとうございましたっ」
「あの、こちらこそこんなにたくさん……。そんなに弟さん、ここのケーキ、お好きなんですか?」
一瞬、間があった。
「……そう、ここのが好きみたいで」
「?そうですか。あの、おいしく食べて下さい」
「そっちも。本当にありがとう」
「いいえ」
カラン、さっきのお兄さんより先にドアベルを揺らして外に出た。
少し離れたところに自動車が止まっていた。
走り出さないみたいだった。
「ちょっと、蛍!」
車からすらりとした影が伸びて私の向かいからやってきた。
電灯で光るその姿は少し怖い。
車の中からおそらくこの眼鏡の人を呼ぶ声がもう一度響いた。
すれちがいざま、目が合った気がした。
高校生かな。
うっかり腕などぶつからないように注意して隣を通り過ぎ、予定よりも重たいケーキの袋を大事に家まで持ち帰った。
あのお兄さんの弟さんも、おいしくショートケーキは食べられたかな。
お父さんから譲り受けた半分のショートケーキを、私は再び口元に運んだ。
幸せな甘さに浸りつつ、手元の携帯電話が光っているのに気付いてスプーンを落としかけた。
next.