ハニーチ

スロウ・エール 14


電話は日向君からだった。

今までこんなことはなかったから、すぐに上着を取って駆け出してバスに飛び乗った。
車内で揺られながら、さっき来た連絡を思う。日向君に呼び出された。さん、今何してる?って。
自分に電話をくれたことよりも電話越しの声がいつもと違う気がして、心が急いた。
そもそもこんな時間に電話をくれること自体、何かあったのが明白で、自分に何かできることがあるか即答は出来なくても、できることは全部したかった。

親から連絡が来た。
友達に会いに行ってくると一言だけで家を飛び出したから、何事かと思ったらしい。
そりゃそうだよなと短く返信を打って、次の停留所で降りるためバスのボタンを押した。



*



木枯らしが吹く季節、日もあっという間に落ちて、日向君に言われた公園は街灯がうすぼんやりと辺りを照らしていた。
ボールの弾む音がする。
日向君だろうか。
耳を染ませて、落ち葉を踏みしめて近づいていくと、やはりバレーを練習する日向君だった。


「ひな、……」


声をかけようと思ったのに、声が出て行かなかった。
一心不乱に壁打ちをしている日向君は、いつも以上の集中力に思えて声をかけることが憚られた。
なにか、あった?
夢中というよりは必死で、攻めたてられているかのようにバレーと向き合っているように見えた。


「……」


少し脇にベンチがあって、日向君のカバンを見つけたからそばによって座った。
公園の外は当たり前だが冷える。
座ったベンチの冷たさをスカート越しに感じながら、いつものように日向君を見守った。

時折ボールが大きくそれても、日向君はボールに追いつける。

右へ、左へボールが打ちつけられては飛ぶ。


必死過ぎて止めた方がいいんじゃないかって思うのに、臆病な私は冷えてきた両手を重ねるだけだった。


さん、今何してる? ……これから会えない?”


いつの間にかこれだけの言葉数で、日向君のことをよくはわからないのにほんのちょっとだけわかった。

バレーは一人じゃできない。
できないし、一人じゃダメだ。

日向君は男子で、私は女子で、一緒にバレーはしないけど、コートにも立てない選手志望の日向君には、マネージャーでもない私の応援はあってもいいもののようだった。
うぬぼれかもしれない。
でも、再びいつかのようにバレーボールが飛んできて、日向君が私を見つけた時の表情は、確かに私のことを待っていてくれたんじゃないかと思った。


さん!」


飛んできたボールは頭に当たることはなく、キャッチすることができた。

体温を徐々に奪うベンチから立ち上がり、ボールを差し出した。
日向君は半そで半ズボンで、少し息を切らしていた。


「急に呼び出してごめん! いつからいた?」

「15分くらい前かな」

「そんなに?!」

「あ、えっと」

「?」

「トス、出そうか、私」

「え!!!」

「……下手だけど」

「ほんとに!?」


すんなりと、ようやくトスの申し出が出来たことに自分でも驚いた。

上着を置いて、軽く準備体操をして、ボールを手にする。
使い込まれたボールはどれだけ日向君が練習しているか、練習環境に恵まれていないか物語っていた。

日向君は私が急にトスを言い出したことに戸惑っているように見えたけど、下手に日向君に事情をたずねるより、今はこうやってボールを通じて向き合う方がいいと思った。
なにより、私も言葉が出てこなかったから。こんなに頑張っている人に、これ以上何を言えばいいんだろう。


「行くよ」


付け焼刃的に重ねた練習を思い出して、今まさにシュミレーションした彼に向けてトスを出した。

高く、丁寧に、敬意を持って、差し出すように。

ここが体育館ならボールが空気を割く音まで聞こえただろう。
想像の中のスパイカーじゃなく、日向君がボールを叩く。叩く。たたく。

バレー、できたらいいな


そんな軽い気持ちが最初で、どんどん強くなった想いは、今こうして細やかな練習に関わってみて、なおさら強くなった。
冬の寒さを忘れるくらいの熱情、何度も何度も何度だって日向君は飛んだ。
やっぱり男の子だな。
私が練習してきたとはいえ、やっぱり体力の差がじわじわと出てきていた。
日向君は私よりさきに練習をしていたというのに。



「あ、」


集中力が切れて、大きくそれたボール。

向かい風が日向君に吹いた。

重力に逆らうように日向君が飛んだ。


一直線ではじかれたボールはリバウンドして転がりとまった。



互いの息切れと、風が落ち葉をさらう音、遠くの工事の音だけをしばらく聞いた。
暑いなとそでを捲る。
風が冷たくて、一気に身体を冷やしそうだった。


さん」


日向君の視線はいつだってまっすぐだ。


「すごい……」

「え?」

「すげーなあ!トス!」

「練習に……、なったならよかった」

「なった!なったよ、すげー、ほんとに。前のスポーツ大会の時みたい、いや前よりすごいかも」

「ううん、全然」

「バレー、やんないの?」


そう聞かれることがあるだろうとは思っていた。
用意してある答えを読み上げた。


「他のこと、したいから」

「そっか……」

「あの」

「それでもさ、やっぱりバレーって楽しいな!」


日向君の声が弾んでいた。
ドキっと胸がざわつく。


「う、うん。楽しいね」

「あー、体育でもやんないかな」

「どうだろ、今年はサッカーだったもんね」

「体育じゃなくてもバレーやる!そんで、今に人数そろえて来年は大会出る!!」

「おー」

さん!」

「うん」

「そのとき、応援来て!」

「う、うん」

さん!」

「うん」

「今日、急に呼び出してごめん!」

「ううん、大丈夫だよ」

「あと、あの、あのさ」

「……」

「あの……」

「?」


日向君が俯いて頭をかいた。

言葉を待っていた。



「くしゅ!」

「ご、ごめん、おれが練習付き合わせたから。あったかくしないと!」

「あ、ううん。大丈夫、上着着るから」

「マフラー貸す!」

「いいって、大丈夫。日向君こそ風邪引かないように」

「おれは大丈夫!ほら!」


あたたかなマフラーよりさっきの続きが気にかかった。
でも聞けなかった。


さん、来てくれてありがと。トスも……ひとりじゃできないから」

「……また、やる?」

「!いいの!?」

「しょっちゅうは無理だけど、たまになら」

「たまにでいい!すげー、うれしい」

「あ、ごめん」


親からの電話だった。
どうやらこんな夜遅くに何しているか心配になったらしい。
もうすぐ帰ることを手早く告げて、携帯を閉じた。
日向君も荷物をまとめていた。


「送る」


遠慮を告げるのはおしい気がして、お礼を言って二人で並んで歩いた。

もうすぐ新しい季節がくる。
冬休みが終われば、1月、2月、3月で、中学3年生だ。

今度こそ、部員が増えてほしい。そのためならいくらでも頑張るって思った。


「日向君」

「ん?」

「ポスターさ、早めに目立つ位置とっちゃおうか」


前回は部員の多いサッカー部やバスケ部の合間をぬって、ポスターを張った。
今年は先に貼り付けて陣取ってしまおうという作戦だ。


「紙の大きさよりやっぱり位置が大事な気がする」

「……おう!そうしよう」


暗に来年もバレー部勧誘を手伝うことを伝えた。
日向君の嬉しそうな横顔を見て、やっぱり今日来てよかったと思った。



next.