ハニーチ

スロウ・エール 130



「な、にそれ」


思いもよらない返答に足を組み替え直した。

従兄は料理をする手を止めて、こっちを見ていた。
従兄の向こうの電灯がまぶしく光る。


「こないだのやつとは別に、またバレーやれてないやつを手伝ってんだろ」

「そう、だけど」

「本当はそいつらじゃなくて自分のことをどうにかしたいんじゃ、「ちがうよ!」


感情的になって体の向きを変えると、足先が段ボールを蹴ってしまって、思いのほかダメージを受けた。
親指がじんとする。


「ちがう、なんで、私……」

「最後の試合、絶好のチャンスでトス上げられなかったこと、本当に後悔してないのか?あの場面で、スパイカーに託せなかったラストのボール」

「舞にあげればよかったって? けーちゃんまで私が悪いって言うんだ? それも、今になって……」



あのトスは正しかった!!


あの日、駐車場で聞いた影山くんの叫びがよみがえった。

あのトスは正しかった。
正しかったに決まってる、はずなのに、あの最後に触ったボールの感触を思い出す指先が、憎らしい。


「!、なにやってんだ」

「なんでもない」

「どこがだ」

「ちょっとぶつけてるだけ」

「落ちつけっ」

「落ちついてるっ」



「こっち来ないで! けーちゃんのばかっ」

「おい!」

「開けたら絶交する!」


ピシャッ、と襖をしめた。

意味なく床にぶつけた指先が痛い。バカみたい。ばかは、私だ。

押し入れの中は狭い。
膝を抱え身体を丸めて小さくなる。

昔はよくここに入った。
同じように祖父の家でも。

試合に負けた時もあれば、練習で上手くできなかったときもある。
祖父や先生に怒られた時も、親や従兄がかまってくれなかったときも、本当に色んな事が悲しくて悔しくてここに逃げ込んでいた。

その時の気持ちが涙になって溢れてきた。

制服のスカートがしわになっちゃう。

わかっているのに、ぎゅっと強く膝を抱えて鼻を啜った。

きっと前髪もぐしゃぐしゃだ。
まだ指先が痛い。力の加減すら忘れていた。

わたしは一体何をしてるんだろう。

時計も見えないから、いつまでこうしていたかもわからなかった。

襖の向こうで従兄が料理を続けているのがわかった。何かを炒めているようだ。

こんなに悲しいのにおなかがすいてくる。

どうしてこうも図太いんだろう。






従兄が呼んでいる。


「出てこい。飯だ」

「……」

「なにふくれてんだ。もういい、出てこい」

「……」




何回も呼ばれた。


「おまえな、出てこないならの分まで俺が食っちまうからな。


いいのか?


いいんだな?



……勝手にしろ!」



床の振動が伝って、従兄がふたたび向こうに行ってしまったことが分かった。

謝らなくちゃ。

ここ、出なくちゃ。

でも、出たくない。


どうしていいかわからず、そのまま膝を抱えて目を閉じた。


















ちゃんは、バレーが上手ねえ。

一繋さんのお孫さんだもの。

自慢の孫でしょう。可愛い女の子だし。

才能があるのよ。


もっと続けたらいいわ。親御さんも鼻が高いでしょうね。

自慢の娘さんよ。


ちゃん、すごいねー!

すごーい!
ちゃんがあげてくれたらすぐ点が入る!
どうやったらそんな風にボールできるの?

ちゃんはかんたんって言うけどさ、すぐボールあっちいっちゃうよ。

ちゃんはすごいね!
一緒にやると楽しい!



はバレーが好きだな。

やりすぎだって怒られなかったか?

そうか、ならもうちょっとだけな。


そうか、


そうか……、


そうだな……、才能があるからはバレーをやるのか?

俺は、自分にそんなものがあると思ったことはねえが、……そうだな。

ずっと、バレーと付き合っていける“才能”はあるかもな。

呼び方はいくらでもあるが、ずっと夢中になれるモンに出会えるやつは幸運だろうよ。

はは、ボールを返せたり打ったり、そんなの練習すれば誰だってできる。

できないのは、まだ練習が足らないだけだ。

正しく努力すれば、きっといつかできる。

でも、バレーはひとりじゃできない。


も一緒にやる“仲間”がいるだろ。

誰かがボールを拾って、誰かがボールを上げて、それを反対側のコートまで繋げる。

そのチームの誰かがいなかったら、バレーじゃないんだ。


いま、わかんなくても、いつかわかる。

それにもうちょっと大きくなったら一緒にやってくれる友達も増える。


ああ、絶対だ。


それまでは、おじいちゃんが付き合ってやるよ。

“仲間”ができるその時まで、もっと練習するんだ。

大変なこともあるかもしれねぇがな……、

……そんな、楽しいか。

そうか。

ずっと、“そう”思ってやれるといいな。



けーちゃんけーちゃんってうるせえな。

俺は忙しいんだ。

なっ!?

たく、ちょっとだけだからな。


……おい、もう練習終わりだ!

泣くな、たく、もうあと一回だけだからな。


お、おい!!


はあーー……、おてんばなやつ。

あのなあ、そんなバレーが楽しいのか?

!そりゃ、俺だって……、……楽しくなけりゃとっくにやめてるぜ。


みてると、悩んでんのもばからしくなるな。


脳天気にバレーボール追っかけてんなっつったんだよ。


うるせ、黙っておぶられてろ。

その口閉じねえと、このまま歯医者連れてっちまうぞ。
あだ!暴れんな!




さんさ、トス打たせて。

さっき見てたの。トス、すっごくきれいだった。



ねえ、今、わかった!?

すごく、すごくさ、ドンピシャだった!!

舞って呼んでよ。って呼びたいし。

私たち、最強のコンビになれる!ぜったい!











うちの子もセッターやりたかったらしいんだけど、そう、あの子がいるから。

有名な監督のお孫さんでしょ?

あのそっくりな?

繋心くんじゃなくて、女の子の方よ。
男の子の方は烏野でもずっと試合出てないっていうし……同じお孫さんでもえらい違い。

もしかしたら女の子の方を可愛がってただけかも。
可哀そうねえ、お孫さん同士で差がついて。
やけになって髪も染めたんじゃないかしら。


どっちにしても、あの子がいるんじゃ、いくらうちの子が上手くなっても、ねえ。


コネだって言ってた。

のこと?そうなの?

知らないけどそう聞いた。

あの子さ、全部、舞にあげるじゃん、トス。

いくら舞が決めるからって、チームなんだよ?
もっと全員使ってくんなきゃつまんない。

しっ、舞に聞かれたら大変だよ。

舞のお母さん、怖いしさ。

舞もだよ、のトスじゃなきゃバレーやらないって言ってたらしいよ。




、気にしない方がいいよ。

あの人達、自分が下手なのを棚に上げてごちゃごちゃ言ってるだけなんだから。

実際、私たちがいるおかげで勝ってるんだし。




なんだ、改まって。



そう……、一理ある。


もっと周りを使ってもいいかもね。
舞は圧倒的なエースで、2人は相性がいい。

でも、バレーは6人でやるスポーツだ。

セッターはエースだけじゃなく、チーム全体を司るポジション、折角だからもっと自分の色を出してみるといい。

自分がやりたいならやってみろってことだ。

それが、楽しむってことだろ?



やっぱり、みんなでやるバレーは楽しい。



ねえ、最近さ……

……いいや、なんでもない。

トス、あげてよ!

いつもみたく、ばっちしのやつ!






なんで、私にあげなかったの。

さっき!!

あの時、私にあげたらまだ試合続いてた!!


みんなって、なに……?

言ってる意味、わかんない。


があげたボール、絶対私が向こうに入れてたじゃん。

それなのに、“みんな”……?



あっ、そ。



もういい。


聞きたくない。


いいってば!!


どっちみち、

もう、試合……終わったんだから。


















瞼を開けてもまだ暗かったのは、押し入れに閉じこもっていたからだと思い出した。

目元をこすると、涙のせいで濡れていた。

ゆっくり襖を動かして、外に出る。

従兄はいないかと思っていたのに、食卓にある椅子の一つに座ったまま、少年ジャンプを読んでいた。

私が出てきたのに気づいて、従兄がチラっと視線を向けた。



「飯、食うのか?」

「ん……」

「待ってろ」


従兄は漫画雑誌を置いて、さっきと同じように何かを作り始めた。

軽快にフライパンが動く。

油のはねる音を聞きながら、従兄が座っていたのとは違う椅子に腰を下ろした。

従兄は宣言通り、さっき作った私の分のおかずを食べきったようだ。
空っぽのお皿は洗い場にも運ばれず、そのままだった。


「ほらよ」


フライパンから豚肉ともやしと青菜を炒めた物が同じお皿にざっと乗っけられた。

湯気がすごい。

従兄はそのまま味噌汁を入れてくれていたから、自分のご飯をよそうことにした。


「茶碗、好きなの使え。昔のあるけど足りないだろ」


わざわざ今日のために出してくれたらしい。
ちっちゃなお茶碗、小さい頃あこがれた魔法の使える女の子が描かれていた。


「これでいい」


軽く水でゆすいで、炊きたてだったご飯を盛り付けた頃には、従兄が手際よくお箸もお茶も用意してくれていた。


「残すんじゃねーぞ」

「うん。いただきます」


従兄はおじいちゃんが不機嫌なときとそっくりな顔で、今度は新聞を読み始めた。


「これ、何の料理?」

「肉野菜炒めだ、スタミナがつく。うまいだろ?」

「熱くてまだ食べてない」

「熱いからうまいんだ」


言われるがままに口に運ぶと、やっぱり舌が焼けそうに熱くて、だからこそ元気になれそうな味だった。

お味噌汁を啜ると、そういえば、けーちゃんちの味はこれだったと思い出した。

懐かしかった、練習終わりにこうやってご飯食べさせてもらったんだ。



「けーちゃん、さっき、……ごめんね」


従兄は新聞をめくった。

でも、聞いててくれるのがわかったから、ぽつり、ぽつりとしゃべり続けた。
昔のように、一人言のように、でも聞いててくれるって信頼して。

私は落ちつくべきだった。
つい言葉のはずみでバカと言ってしまったことも謝った。


「でもね、練習付き合おうって思ったのは、本当に二人の力になれたらいいなって、それだけで。

自分のためにどうこうしようってしたつもりじゃないの。本当に、ほんとうだよ」


まるで二人を利用しているみたいに聞こえて、どうしてもそれだけは違うって言いたかった。

でも、結果的にそうなってるのかな。そうなら、すごく、自分が嫌だ。

また感情がこみ上げてきて鼻を啜ると、ティッシュの箱が差し出された。


「好きなだけ使え」

「ん……」


鼻をかむとすっきりする。


、俺も悪かった」

「けーちゃんは悪くないよ!」

「いいから、黙って聞け。

別にそいつらのこと手伝いたいなら、そうすればいい。の自由だ。

ただ、傍から見てると、無意識に引きずってんじゃないかって思っただけだ。

は、いつも周りの声を聞いてたろ。
親もそうだし、コーチの先生の話も、チームメイトも、その親も、周辺の声も。

そういうところ、いいことだと思うぜ。
俺にはムリだ。

ただな、そんなことばっかりしてたら、は自分の気持ち、わかんなくなるんじゃねーか?

本当に、あの時、傷ついてなかったのか?

……俺はな、楽しい楽しいってバレーやってたが見たかっただけだ。


そのためには、……おい、

……」



従兄に優しい声色で名前を呼ばれると、よりいっそう泣けてきて、ティッシュを何枚も押し当てた。

頭を撫でられた。よく、そうしてくれたように。

「泣くなって」

慰められるともっと泣けてきて、滲んだ視界で従兄の変わらない笑顔をみた。



next.