ハニーチ

スロウ・エール 133



「はい、これ!」


日向くんは、私が落としてしまった筆箱に中身をすべて収めて元気よく渡してくれた。

それに引き換え私は機械的に受け取るだけで、お礼の言葉さえすぐに出てこない。



「日向くん、さ」

「んっ?」

「ん、じゃなくて」


日向くんは、すらすらと今日の一言も書ききった。

それに比べて私はどうだ。


「日向くん、そういうところ、ある」

「そういうところってなに?」

「……」


すぐ、“そういうの” 簡単にいう。

前置きもなしに、心の準備もさせてくれない。

日向くんの一言で、どれくらい舞い上がるか、日向くん全然わかってない。くやしい。


さん?」


答えない私を不思議に思った日向くんにそれでも返事をしなかった。

日誌の完成まであとちょっと。

今日の一言さえ埋めれば終わるのに出てこない。


「お、怒ってる?」

「怒ってはない」


自分でもわかるくらい声に柔らかさがなかった。

まだこんなドキドキしてる。
余裕ない。

すき、すき、すき。

すごくすき。


言おうか、たったひとこと。

たったの二音。


日向くんに、すきって、わたし。


日誌に当てようとしているペン先が、いつまで経っても紙に着地しない。

視線を感じていた。
日向くんが私を見ている。

言う?

言える?


私だって、日向くんのことが、すごく。



「あの、耳……」


貸 して

同時に引き戸の音がして、私も日向くんも音のした方を向いた。

そこにいたのは関向くんで、なぜか3人で固まってしまった。
前もこんなことがあったような。

口火を切ったのは日向くんだった。


「コージー、どうしたの?」

「……、わ、忘れ物。翔陽と、こそ、まだ日直終わってないのか?」

「そう! まだ日誌書いてる」

「すっすぐ書く!待たせてごめん!」

「いいよ、さん!ゆっくりで」


関向君も自分の机に近づいて行って、私は私で日誌と向き合い直した。

全部いろいろ吹き飛んだ。
一言はシンプルに、来週からのテストも頑張ります、とだけ書いてしまう。

すぐに泉君の席を元通りに直して日誌を腕に抱えると、日向くんが言った。


「それ!」

「あ、大丈夫、私が職員室持ってっとくから」

「おれも行く!」

「いっいいよ、図書室行くついでに持ってくだけだし」

「おれも図書室だからっ、一緒に行こう」


日向くんも同じように机の横のカバンを手にしてコートを取った。


「あの、関向くんも図書室で勉強する?」


いっそ他の誰かがいた方がまだ平常心でいられる気がした。


「いや、俺は、ちょっと隣のクラスのやつ待ってから帰る」

「そ、そっか」

さん行ける?」

「うん」

「じゃあな、コージーっ」

「おぉ!」


私も手だけ振って教室を出た。


「持とうか、日誌」


カバンに手提げに、まだ羽織もしていないコートの大荷物。
なかなかのアンバランスな状態で日誌を掴んでいたものの、なんとかなりそうだったから首を横に振った。


「ううん、早く行こう!」

「おー!」


日向くんの斜め後ろにくっついて職員室を目指す。

部活もない校舎の中は、いつもよりずっと静かだ。


さん」


階段を下りている時に声をかけられた。


「さっき、コージー来る前、何て言おうとしてたの?」


すぐ、揺さぶられる。

動揺して階段を踏み外さないように注意しながら上履きを床につけた。


「なんにも!なんでもない」

「なんか言いかけてたから……」

「そ、そうだったっけ?」


そうこうする内に職員室が見えてきたから、少しだけダッシュした。

ドアを開けると、ちょうど担任の先生が見えてすぐ出てきてくれて日誌を渡す。
ミッションクリアーだ。

先生もやることがあるらしく早々に職員室の扉をまた閉めた。


よかった、これで大丈夫。



え。



「本当に、さっきの続きない?」



壁、腕、近い、ひな。


コピー機が急に動き出す音が向こう側から聞こえてきた。曇りガラスの小窓越しにどの先生かわからないけど人影が動く。


スッ と日向くんが通せんぼしてた腕を下ろして歩き出した。


今、日向くん、日直の話じゃ、なかった。



さん、図書室行かないの?」


数メートル離れたところで日向くんが振り返ったから、慌てて追いかけた。





日向くんのことが気になりつつも、図書室での勉強は集中した。
夏休み明けのテストの二の舞になってはダメだ。
せっかく成績を戻したんだし、また日向くんのことでチクチク言われるのはまっぴらだ。志望校のことまで蒸し返される。


さん」


今日はテスト勉強をする人たちでいっぱいの図書室、となりに座る日向くんが小声で囁いた。


「消しゴム、ちょっと借りていい?」

「いいよ」


脇に置いておいた消しゴムが日向くんの元に移動する。

日向くん、自分の消しゴムなかったのかな。
今日一日どうしてたんだろう。

なんとなく日向くんの筆箱を視界に入れた時、なぜか私の消しゴムのケースが外されて、戻された。


あっ!!


日向くんの手から、すばやく自分の消しゴムを取り返す。

ぎゅっと握りしめると、ずらされた消しゴムの紙ケースが手の中で歪むのが分かった。


隣の日向くんの口元がどこか緩んでみえて、肩を寄せて同じように声を潜めて尋ねた。


「消しゴム貸してって、そういうこと?」

「いや、だって、気になったから」

「だからってっ!」


つい、声が大きくなりそうになって自分の口を押さえた。
周りの席は全部埋まっている。向こうの奥にいる図書委員もいる。

このままテスト勉強を続けてもよかったけど、モヤモヤして集中できなさそうだったから、日向くんの腕をポンポンとはたいた。

図書室のドアの方を指差して立ち上がる。

日向くんも頷いて、一緒に来てくれた。


「日向くん!!」

「な、なに?」

「おかしいと思った。日向くん自分の消しゴム持ってるのに、なんで、そういうこと……!」

「いやっ気になってっ。それに、おれの予想通りなら効果あったってことだし!」


そこで、日向くんがやっぱりこのおまじないのことを知っていたんだって思い知った。

手の中の消しゴム、ずらされたケースのせいで、ボールペンで書いた『翔』の字が露わになっている。


「おれたちもう両想いだからさ、問題ないっ」

「あるっ」

「え!」

「そういう……、……そーいうの、わかんないようにやってくんないと困るっ」

「あ、さん!」


先に図書室に戻った。

すぐに日向くんも入ってくる。

椅子が立ち上がったときのまま、ずれた位置にあった。いつもなら必ず机の方に寄せてるのに、完全に調子が狂ってる。

消しゴムのケースはもう元に戻した。


“ 好きな人の名前を書いて誰にも気づかれずに消しゴムを使い切ったら両想い ”


そりゃ、叶ってる、けどさ!


好きな人本人に見られたら、合わせる顔がない。
そう思っても隣に座られてたんじゃ、すぐに顔が合う。そわそわとこっちを気にする日向くん。


わざとおおげさに椅子を引いて、テスト勉強の続きに戻った。

と思えば、ニュッ と隣からシャーペンが伸びてきて、勝手に私のノートに走り書きする。


おこってる?


すっごく文字が揺らいでる。
私のこと気にしすぎ。

日向君らしすぎて急に肩の力が抜けた。

さっきの消しゴムで紙が歪むくらい力強く擦ってから、日向くんの方へ返事の代わりに笑顔を見せた。



next.