ハニーチ

スロウ・エール 137




走っていくと、なんとか影山くんの背中に追いついた。

隣に並べたと思えば、すぐまた半歩先に行ってしまう。

それは避けられているからじゃなく足の長さのせいだと、しばらくしてから気付いた。

もし……、この世界に才能を振り分けている神様がいるんなら、もうちょっとこう、上手いこと才能ってやつを分配してほしいと思った。

無意識に日向くんを想像していた。



「腹減ったのか」


信号待ちをしている時だった。

影山くんから声をかけられるのは、なんだか新鮮だった。


「なんで?」

「……」

「ああ、なんでもないよ、この顔は。ただ、……影山くんって身長高いよね」


180センチはあるんだろうか。

影山くんはその問いかけに頷いた。


「まだ足りないけどな」


信号が青に変わる。影山くんはすぐ歩き出す。
隣に人がいるって感覚はゼロで、まるで規則正しい、綺麗な姿勢で歩いていた。

影山くんと並んで歩くには、もっと歩幅を開かないと追いつかない。


「足りないって?」

「高さ。世界の選手の身長の平均って知ってるか?」

「知らない」


想像したこともない。


「197.6センチ、日本代表でも190センチ以上はある」

「……あと、10センチは欲しいんだ」

「ああ、10センチ以上は欲しい。身長はいくらあっても足らねーよ」


……。

高校に入ってから急に伸びる人もいるって聞いたことがある。男子ならなおさらだ。

後輩くんたちは1年生だし、彼らだって十分に身長はあるけど、次どこかで会ったなら、ぐんと大きくなっているかもしれない。

そうであってほしい。

日向くんが頭に浮かぶ。


「低かったら、ダメかな」


ついぽつりと零していた。

前を見ていた影山くんがこっちを見たから、両手で取り消した。


「なっなんでもない、なんでも!」

「バレーは高さのスポーツだ」

「……」

「リベロなら可能性あるんじゃねえの」


つい、日向くんのレシーブを想像していた。


「ここだ」

「あ、このお好み焼き屋さん」

「知ってんのか」

「昔ね、みんなと……」


ちょうどお店の入り口が開いて、中からぞろぞろと親子連れが何組も出てきて脇にどいた。
みんなスポーツバッグを持っていた。


「その、小学校の時、みんなと来たことある。先生とも。影山くんはないの?」

「覚えてねえ」

「あ、二人です」


入れ違いにお店に入ると店員さんが人数を確認したから、2本指と合わせて答えた。
テーブルを片付けるので待ってほしいと言われ、その様子を眺めていた。

影山くんが覚えてないだけで、1回くらいは来たことがあるように思えた。
この界隈はお店の選択肢も多くはないし、先生はここを贔屓にしている。

……そういえば考えたことなかったけど、同じ先生のもとでバレーをしていたんだから、小学校の時に影山くんと私はどこかですれ違っていたかもしれない。


「レシーブできるだろ」

「へっ?」


「2名様どうぞー」


お店の人に促されて席に着いた。
2人席だ。迷うことなく座ってメニューを開いた。

まずは、どのお好み焼きにするかだ。

影山くんがもらったというサービス券は会計の時に出せばいいらしい。


「決まったか?」

「まだ。 もう決めたの?」

「ああ」

「どれ?」


影山くんがメニューを指差す。お店のおすすめ定番だった。


「じっじゃあ、私もそれにする」

「じゃあ呼ぶか」

「あ、やっぱり待って!」


メニューを握りしめてまた目移りした。

記憶にあるお気に入りもいいけど、新メニューっていうのも気にかかる。

早く決めなくちゃと思いつつ悩んでいると、お店の人が注文を取りに来たから、結局、影山くんと同じものを頼むことにした。

お店の人が厨房に戻っていったタイミングで、ふと思った。


「影山くん足りるの?」

「?」

「お昼ごはん」


練習もした後だし、男子だし、お好み焼き1枚じゃあ食べ足りないんじゃないか。

そう言うと、おにぎりがある、とのことだった。


「いつも昼飯とは別に用意してある」

「すごいね」

「簡単に作れるだろ」

「そういうすごいじゃなくって……  ……もしかして、それ、プロテイン入ってたりしないよね?」


まさかと思いつつも、スポーツ選手ならそういうのを飲んでてもおかしくない。

あれ、でも、中学生の内から飲むと身長が伸びないんだっけ。


「入ってないし、身長とは関係ないって証明されてる」

「そうなんだ」


影山くんが淡々と根拠を説明していくのに感心していると、お好み焼きが運ばれてきた。

ここは自分で作るタイプのお店だった気がしたけど、昔と変わっているのかもしれない。
それとも、さっきの団体さんが帰ってお客さんが減ったからか。

鉄板の上に置かれたお好み焼きの前で手を合わせた。


「いただきますっ」
「いただきます」


焼き立てのお好み焼きを一口大にして、ヤケドに注意しながら食べ始めた。

向かいに座る影山くんも黙々と食べていく。

きれいな食べ方だ。


「なんだよ」

「……よく噛んで食べてるなって」

「そっちの方が栄養になんだろ」

「たしかに」


真似て同じように食べてみると、実際どうなるかはわからないけど、さっきよりずっと栄養が行きわたるような気がした。

ふと様子を窺うと、影山くんはとっくに食べ終わっていた。


「ごっごめん」

「なんだよ」

「食べるの遅くて」

「別にいい」

「でも」

「好きに食えよ。待ってる」

「うん……」

「この後、勉強すんだろ」

「する、……ありがとう」

「ん」


影山くんは浅く頷いて、カバンからノートを取り出して何かを綴っていた。

一瞬、英単語か数式かと感心したけど、そうじゃなくて、四角い枠に一本線、それぞれ2個ずつの丸が描かれて、今日の2対2を表していることを知った。

聞きたいこと、言いたいことは浮かんだけど、食べることに専念した。

会計を終えて外に出ると、曇り空のせいか、午後なのに一層気温が下がっているように感じた。
さっきまでは試合のおかげで気分がハイになっていたんだろう。冷静さを取り戻して、マフラーを丁寧に首に巻いた。

ふと思い立って、先を行く影山くんに並んで顔を覗き込んだ。


「あの、今日ありがとう!」

「券はもらっただけだ」

「それもだけどっ、……さっきの、練習のこと」


影山くんは顔をそらした。



「二人が影山くんに憧れてるって聞いてたのもあるけど、ただ」



シンプルに言ってしまえば、目的は一つだった。



「ただ、



私が、バレーしてみたかっただけで」



ふたを開けてみれば、1番あの試合を楽しんでいたのは私だ。

影山くんのため、後輩2人のため、そういうのは全部ただの理屈で、2対2の最中に湧き上がっていた感覚は、ただ、どうやって相手のコートにボールを入れるか、それだけだった。


「影山くんからしたら貴重な体育館の時間を無駄にしちゃったと思うし、それは、本当にごめん。迷惑かけたなって反省して、「


呼ばれて顔を上げる。


「無駄じゃねえよ。


……勝手に決めんな」



怖い顔。

朝見た時と同じ顔。


それなのに、こわくはなかった。

矛盾してる。自分でもよく分からない。

不思議な感覚だった。

また先を行く背中を追っかける。


「む、無駄じゃなかった?」

「ああ」

「そっかあ……」


なんだか、それだけで救われた心地がする。

あの二人にだってアザースって言ってたし、多分きっとマイナスじゃなかった、はず。


「!」

「なに?」

「こっち見んな」

「え、なんで」

「これ以上近づくな」

「あ、はい」


「……」
「……」


しばらくすると、いつものスポーツセンターが見えてきた。


「あの、勉強してくよね?」

「決まってんだろ」

「そ、う」


急に見るな、近づくなって言うから、私に勉強を教わりたくないのかと思った。

影山くんと少し距離を置いたまま、今朝の影山くんとのやり取りを思い出した。

ガタガタと少しだけ音のする自動ドアをくぐりぬける。

フリースペースは、さっきお好み焼きさんで見かけた大人たちが数人座っていた。

よかった、席は空いている。



「俺の勝ちだからな」

「勝ち?」


私の問いかけには答えず、影山くんは今度こそ勉強用のノートを取り出した。

少ししてから意味を理解した。


「そうだね、影山くんの……、全勝だった」


私とも後輩くんたちとも、誰と組んでも勝利に導いてくれた。

コート上の王様、という単語は浮かんだけど、それでも同じコートに立った影山くんは誰よりも自立していて頼もしかった。



next.