ハニーチ

スロウ・エール 141




日向くんがくれた栞をはさんで本を閉じる。

自分じゃ使わないから、と言っていた絵柄はかわいいし、日向くんがわざわざ持ってきてくれたというだけで嬉しい。

また一つ、日向くんを思い出させる持ち物が増えた。


ハッとして辺りを見回し、誰もいないことを確認して、一呼吸ついた。
テスト明けの開放感もあって、さっきから気が緩んでいる。

ふと振り返って、図書室の入り口を見る。


さっきのやりとりが蘇る。



“まだ、なんも始まってない、おれの、バレーは”



「……」


借りた本をカバンに入れる、前に、栞が折れないように注意してから、本をしまった。

教室に荷物を置いてから、体育館に向かった。

きっと練習をしているだろう日向くんを見られるはずだ。


校内のあちこちから色んな生徒の気配がした。

野球部がグラウンドに見えたし、サッカー部が走っているのも見えた。

ジャージ姿の2年女子が楽しそうに騒いでたし、そばを通った美術室では大きなキャンバスがいくつも並んでいた。

1年の教室からは机や椅子が動く音がして、中から男子が何人も走って出てきた。

途中、先輩って声をかけられて、部活の後輩からこっそりと市販のお菓子を分けてもらった。

テスト期間中と打って変わった校内は、冷たい空気だけじゃない、雲の合間からこぼれる夕日とともに、ここにいる私たちを際立たせた。

外は、スカートを揺らすほど寒かった。
男子の長ズボンでうらやましい。コート持ってくればよかった。

スカート丈、もっと短くしたら可愛く見えるかな。なんて悠長なこと言ってられないくらい寒い。

窓ガラスの前でそんなことを考えて膝を撫で、ほんの少し前髪を整えてから体育館を覗いた。

女子バレー部がレシーブ練習をしていて、体育館のもう半分で、男子バスケ部が練習試合をしていた。

私の知っている3年生の姿はない。
みんな引退していた。

その中から、男子バレー部の1年生3人と日向くんを見つけ出した。
女子に混じってレシーブ練をしていた。

ちょうど1年生の一人が挑戦し、ボールが明後日の方向に飛んでいった。


さん、何見てんの?」

「あ、山田さん」


元・女子バレー部の主将で、この間、私の思いつきの練習にも付き合ってくれた彼女は、同じ制服姿だった。

二人して練習風景を眺めた。


「男子バレー部?」

「そう。山田さんのおかげで練習交ぜてもらえてるから」

「私じゃなくて部員のおかげだよ。あと、物わかりのいい顧問」

「全員に感謝してます!」

「ははっ」


彼女含めた3年女子のバレー部員を卒業アルバム委員として撮影した日のことを思い出す。


「山田さんはどうしてここに?」

「忘れ物しちゃって」


彼女の手には、小さなお守りがあった。必勝祈願。
両端ともすす汚れていた。


「っつーのもあるけど、ホントはさ、昔の癖でつい体育館に来ちゃった」

「くせ?」

「テスト終わると真っ先に部活ってタイプだったからさー」


今日も、さあ部活だ、とばかりにジャージ袋を手にしたらしい。


「さすがに着替えはしなかった」

「混ざればいいのに」


3年で部活自体は引退しても、今の日向くんみたく練習に混ざっている人は珍しくない。
部活によっては年明けまでやる人もいる。


「練習見てあげたら喜ばれるかも」

「いやーーー、そうは言ってもね」

「邪魔扱いされる?」

「それはないんだけど……、もう2年主体の新体制だからさ。甘えさせちゃダメだよね」


きっと頼れる主将だったんだろうな、と想像が付いたところで、女子バレー部の子達がこっちに気づいて声をかけてきた。

一緒にやりましょうよ、と、手を振っている。


「呼ばれてるよ?」

「弱ったなあ……」

「1日くらい、いいんじゃない?」


そそのかすのもどうだろうと思う一方で、山田さんもまた本当に困っているようには見えなかった。

背中を押すと、しょうがない、という体で、彼女もまた腕を振って応えた。


「で、さんは?」

「私っ?」

「こないだレシーブ練で腕を見せつけてくれたじゃん」

「あ、あれは……」

「やってたんでしょ、昔。言ってくれたら2年の時でもスカウトしたのに」


返事に困って笑ってごまかした。


「やろうよ、気晴らしに」

「私は、いいよ」

「そう?」


体育館のコート、雰囲気のいいチーム、バレーボール。

ネットの向こうにいる1年生3人と、日向くんの後ろ姿。


「あの、山田さんっ」


屈伸を始めていた山田さんがしゃがんだまま、こっちを見上げた。


「今日じゃないけど……、また頼むかもしれない」

「練習?」

「いや、試合っ」


目を丸くした彼女は、あまり合点はいってなかったようだけど、後輩たちが呼ぶからそれ以上会話はしなかった。

いきなり試合と言い出されたら面食らうだろう。

影山くんにおせっかいをしてから、どこか私はおかしいのかもしれない。

冴子さんは転んでもいいから走ってみなと言ってくれたけど、実際は、ブレーキが壊れた自転車で坂道を下っているような気さえした。

走り出したら停まらない。とめられない。自分でも、どこにたどり着くか予想できない。

やめたら、と内側から制止の声が聞こえる。



さんっ!」

「あ……」


日向くんに気づかれないうちに体育館から離れるつもりが長居してしまった。
1年生たちは水分補給をしていた。

日向くんは、さらに生き生きとしていた。


「どうしたの? あ、もしかして帰らないといけなくなったっ?」

「じ、じゃなくて」



どうしよう、

やめといた方がいい。

そう頭の中に浮かんだのに、勢いのままペダルを踏み込むように言ってしまった。



「ひ、日向くんが」

「おれ?」

「バレーしてるの、見たくなって」

「え!!」

「いやっ、その、もう見れたから行くっ、行くから。が、がんばってね、日向くん」


う、動かない。

返事がない。


日向くんの顔の前で手を振った。


「日向くん……?」

「!」


よかった、動いた。

すぐ行こう。さっさと行こう。


さん!!」


日向くんの声はとても大きかった。足がすくんだ。


「見てていいよっ、ここで」

「……」

「寒い!?」

「いや」


返事を聞くより早く風のように走って行ってしまい、また突風のごとく戻ってきてくれた。
渡されたのは、ジャージの上着だ。


「着て」

「えっ」

「おれは着なくてだいじょーぶっ。

あとでっ。


さん、見てていいからっ」



走りながら、こっちを見ながら、日向くんは次第に前を向いた。

日向くんのジャージ、女バレの子たちの視線。男子バレー部の3人だってこっちを見ていた。関係ないバスケ部だって。


日向くん、声大きい。
私もよくない、こんなところで日向くんがバレーしてるの見たいなんて言うから。
これ、日向くんのジャージだった!

顔を隠そうとうずめたジャージを抱え直す。何やってんだ。

こちらの気など知らずに、日向くんは手を振ってくれた。うれしいから振りかえした。本当に、なにやってんだろ。


それでも、練習を再開した日向くんたちを眺めていると、ふつふつと想いが沸き立った。


日向くんのバレーが始まってないなら、私のバレーこそ、ちゃんと終われてないんだって。



next.