ハニーチ

スロウ・エール 142




日向くんたちが練習しているのを眺めながら、自分の内側が刻々と変わりゆくことを感じていた。
頑なだった心のある部分が春の訪れを待たずにじわじわと解けていくのがわかる。


バレーをやりたかった。

ちゃんと、やりきりたかった。


従兄にも言われたじゃないか、
後悔してないのかって。


してた、してたよ。

なんで今になって気づくんだろう。


最後の試合、何度もくりかえしていたアイコンタクト、迷った指先、決断力のないトスが繋がらなかった。

試合の終わりは刹那の出来事だったのに、いつでもあの瞬間に舞い戻る。

色んなことがあったはずが、封したはずの想いはどこにも消えずそのままだ。

すべての時間は進んでも、あのコートにまだ一人取り残されている。

私が、“私”を迎えに行ってあげなくちゃ、いつまでもうずくまったままだ。



「あ、ごめんなさいっ」


男子バスケ部の人たちが外に走りに行くから、一歩立っている位置から後ろに下がった。

ちらちらと、私と腕にあるジャージを見ていく2年生がいたけど、このジャージの経緯を知っていれば仕方ない。
向こうで練習している日向くんは、こっちの様子を気にすることはなかった。


いつまでも腕にかけていても仕方ない。
着ようか、寒いし。

バレー部のジャージではなく学校のジャージだから、言われなければ日向くんのだってわからないはずだ。
あ、でも、『日向』って苗字が入ってる。


「……」


いいや、着ちゃえっ。

寒いんだから。寒いんだし。寒いんだから、うんっ。


1枚着こむと少しは変わる。

でも、足はあいかわらず寒い。
露出している部分を手で撫でてみたら冷たくなっていた。

この寒さに、私が最後に試合した体育館の冷え切った空気を思い起こした。
試合が終わってからすぐ着替えに行かず体育館にいつまでもしゃがんでいたせいもあった。

みんなでいつもと変わらずお好み焼きを食べに行ったけど、何人かは中学受験があるからと抜けていった。舞もその一人だった。

ジュージューと生地が焼ける音、踊るかつお節、青のりの匂い、試合後だったからぱくついてしまって舌が焼けそうだった。
それでもお店のドアが開けられると、外のぎゅっと冷えた風が頬を撫でて試合の結果を思い出させた。


また、風だ。

どんな火照りも奪う、風。


その場でぴょんぴょんと跳ねてみてもやっぱり寒い。
こんな奇怪な動きをしてたら、女子のバレー部の人たちが気にしないとも限らない。
大人しく観客に徹することにした。

女子の6対6の練習試合、日向くんと1年生はそのそばでボールをいつまでも回していた。













「お待たせっ」


日向くんの声に顔を上げる。

部活も終わってジャージも返し、日向くんが着替え終わるのを教室で待っていた。

本も読み進めたから、栞を挟み直す。

あっ と声がして、何かと思ったら、日向くんが私の使っている栞に気づいたらしく、ニコニコとした。

そう、さっき日向くんからもらった栞だ。早速使っている。

日向くんが私の読んでる本の表紙を覗き込んだ。



さん、テスト終わったのにもう本読んでるっ」

「テストが終わったから読むんだよ?」

「おれなら他の読む」

「マンガ? ジャンプとかだ」

「とか! 行こうっ」


頷いて今度はコートを着てマフラーをしっかりと巻いた。

外はすっかり暗くなっている。


「雨降りそうだから早く帰んないとね」

「えっ」


え。


つい隣を見つめてしまう。



「日向くん、もしかしてどっか行きたかった?」

「い、いやっ、別に」


言葉と裏腹の反応だ。

窓の外はさっきも小雨が降ったのか地面が濡れていた。


「自転車大変だし、今日は早く帰ろう。ほら、クリスマスももうすぐだし」


一緒にイルミネーション観に行く約束だ。

風邪なんか引いたら行けなくなる。

言外にそう伝えたものの、日向くんはあまり納得いってなさそうだった。

いやでも、自転車の日向くんこそ早く帰った方がいい。
雨の中こぐのも大変そうだし、日向くんの通学路を想像するに道路が凍ったりしたら、すべって楽しいどころじゃないだろう。



「じゃあさ」


なにやら考え込んでいた日向くんがやっと口を開いた。


「遠回りして帰ろうっ」


ガクッ、と力が抜けそうになったが、さすがにそこまでリアクションは出さなかった。


「あの、日向くん、それだと寄り道するのと同じになっちゃう……」

「寄り道するってこと!?」

「ちっちがう……!」


噛み合わないやり取りを繰り返している内に、下駄箱に辿り着いた。

日向くんがすばやく靴を履いて昇降口から外に出る。
置いてけぼりになって慌ててローファーに足先を入れていると、日向くんが戻ってきた。


さん、雪っ!!」

「ゆき!?」

「ほら、みてみてっ」

「わ、待って、靴!」


日向くんが私の腕を引っ張る。
よろけながら靴を履いて外に出ると、外灯の明かりで白っぽい小さな欠片がいくつも舞っていた。


さん、これ積もるかなっ?」

「小雨だったし、どうだろ」


天気予報では明日は晴れるって言ってたから、このままぱらついても明日の朝には何事もなく消えてなくなってる気がした。

って説明してるのに、日向くんはまるで私の話を聞いてなかった。

積もったら雪だるまを作るか、かまくらがいいか。
楽しそうに話しながら空を見上げている。

決めた。


「日向くん、今日は早く帰ろうっ」

「え!なんで!」

「雪、降ってるからっ」


広げた手の中に、小さな雪の結晶、になりかけた氷の粒が落ちてきてすぐ水に変わった。

校門に向かって歩き出す。


さん!」


後ろから日向くんがついてくる。


「すぐやむ!!」


その言葉を覆すように冷たいみぞれが冷たい風とともに降ってきた。


「……さんのバスは大丈夫っ」

「日向くんの自転車が大丈夫じゃないよ」

「おれはへーきっ」

「じゃないっ。3年生は特に風邪ひくなって先生も言ってたし、私もそう思う。

……あれ?」


振り返ったら日向くんがいなかった。

独り言になってしまい恥ずかしく思っていると、自転車置き場の方から日向くんがやってきた。

なんだ、寄り道諦めてくれたんだ。


さん、乗って」


何を言われたかと思った。


「寄り道しないしさ、いいよね?」

「そ、れとこれは関係ないんじゃ」

「だったら寄り道するっ」

「な、なんで!?」


その理屈がわからなかった。

ほら、また冷たい風が吹いてきた。


「き、今日は寒いんだし」

さんが乗ってくれたら帰れるよ」


日向くんが得意げにこっちを見る。


「乗らないとさ、帰れないけどどうする?」

「だっだから……」

「ほら、早くっ」

「……」


幸い、先生も今はいない。

はあーーと長く息をついた。


「日向くんってほんと……」

「なに?」


なに、じゃない。

けっこう、……そういうところある。

仕方なく自転車に乗ってみて、でも悔しくて背中にわざと寄りかかってみた。

日向くんの身体がこわばった、と思う。
ちょっとは動揺してたらいい。

そう、思いながら自分もドキドキしてきて、やっぱり身体を起こした。


「あ、あのっ、さん、今のっ」

「な、なんでもないの、なんでもっ。それより早く行こう、誰かに見られたら困る」

「そ、そうだった!」



日向くんが自転車をぐん、とこぎ出した。





















あ、れ。



「日向くん、バス停あっちだよ?」

「知ってる!」


知ってるなら、どうしてバス停がどんどん遠ざかっていくのか。

いつものルートから自転車は大きく逸れて行った。
日向くんの帰り道とも外れていく。

まさか。


「日向くん、約束と違うっ」

「約束って?」


日向くんがしれっと口にすると、急に立ちこぎに切り替えて自転車の速度をさらに上げた。



next.