ハニーチ

スロウ・エール 143





「ついたっ!」


さすがの日向くんも二人乗りかつ荷物を乗っけていれば肩で息をしている。



「もう降りるね?」

「あっ」

「帰んないよっ。戻り方もわからないし」


ここに来る途中、自転車から何度も降りようと試みた。
その度に日向くんが自転車のスピードを上げるから、下りるタイミングがなかった。

呆れながら嬉しくもあり、結局、最後まで付き合ってしまった。

幸い、強まると思った雪はずっと静かにぱらぱら降っているだけだった。ほら、てのひらの上ですぐ水滴に変わる。

振り返ると日向くんが木の陰に自転車を停めていた。

あ、そーだ。


さん、どうしたの?」

「折りたたみ傘出そうと思って。 日向くんはレインコートだっけ?」

「あるけど、これくらいなら着なくて大丈夫!」

「ダメだって、風邪ひく「いま、すげーポカポカしてるっ」


そう言って日向くんがその場でぴょんぴょん飛び跳ねた、と思ったら水たまりにバシャッと片足を突っ込んでいた。

二人沈黙した。


「……靴、大丈夫じゃなくなったね」

「そっそれよりさ、こっち!」

「!!」


傘も取り出せていないのに、日向くんに手首を掴まれて着いていく。

といっても、何かすごいものがある場所じゃない。

草木が生い茂る中のちょっとした広場にたどり着いただけだ。

あるのは、申し訳程度にある自販機とベンチに、柵の向こうの景色。

輝かしい夜景が広がっているのではなく、私たちが元いた場所の家の明かりがぽつぽつとわかるくらいだ。


この景色が見たかったのかな、

わ!


「ここ、立って」

「え、ここ?」

「そう! そんでさ、ちょっとしゃがんでみて」

「しゃがむ?」

「このくらい!」

「わっ」


日向くんが背後に立ったと思えば、両方の肩に手を添えられて、下へと押されるから促されるままにしゃがんでみた。

手すりの向こう、大きく伸びた木が視界に広がる。

12月のこの季節、太い幹と四方に伸びる枝のシルエット、街の明かりが絶妙な位置で光って見えた。


はあ、と感嘆の息が白く漏れる。



「すごいね……」

「わかったっ?」

「ここからだとクリスマスツリーみたい……」

「やっぱり!?おれもそう見えたっ」


日向くんが声を弾ませた。

この雨のおかげもあって、たぶん晴れている時よりもキラキラが広がっている

両肩があったかい。とても。

日向くんの手が私の肩を掴んだままだから。

ちょっと振り返ると日向くんの得意そうな笑顔が見えて、また不可思議で絶妙な光景の方に向き直った。

きれいな景色なのに日向くんのせいだ、後ろが気になって仕方ない。


さんなら同じように見えるかなって」


その瞬間、日向くんがくしゃみをした。

立ち上がったから、同じようにしゃがむのをやめた。


さん!?」

「待っててっ」


さっきの、ベンチの隣の自販機。

駆け寄ると『つめたい』と『あったかい』の青と赤の表示と共に飲み物が2段になって並んでいた。

小銭を入れてどれにしようか迷った時、よく見れば温かい飲み物のほとんどが売り切れで、1種類だけ残されていた。


「のど乾いたの?」


ゴトン、と落ちてきた缶を手にしたところで、日向くんもこっちに来ていた。

指がかじかんで上手く缶のタブが開けられない。


「やるよ」

「あ」

「はい、さん!」

「じ、じゃなくてっ」


私に差し出された缶を日向くんの方にそっと押し戻す。


「日向くんにって……」

「おれ?」

「あ、ココア苦手だった?」

「いや、苦手じゃないけど」

「あの、あったまるかなって」


後ろに座っていた私ですら自転車で風を切るたびにほっぺたが冷たかった。
日向くんはもっと風と雨が当たっている。

どちらも口をつけない缶からは、甘い香りと湯気が立ち上っていた。

私の手に覆われた日向くんの手、のなかの、たった一つのココアの缶。


「じゃ、さ!」


日向くんが缶を持つ手を動かしたから、私の手を下げた。


「おれが半分飲んで、さんも半分でどう?」

「はんぶんこ?」

「そう!」

「日向くんの方が冷えてるのに」

「一緒にあったまろっ」


そこまで言われるとな。

観念して頷くと、日向くんはやっと缶に口をつけた。アチッってすぐに離したから、つい笑ってしまった。

日向くんが口を尖らせた。熱かったからって。


「知ってる。私もこないだやっちゃったから」

「こないだ?」

「ほら、こないだ会ったとき」

「あ、やってた!」

「だからおんなじだなって」


そういえば、あの時も会いたくて会ってしまった。
ファーストフード店で、お休みの日であんまり店内に人がいなくって、別に行きたかったわけじゃないけど、一緒にいたかった。
今も、それだけだ。


「ほら、さんの番っ」


日向くんから差し出された缶を受け取ると、取り出した時よりもぬるくなっているのがわかった。

でも、念のためふぅふぅと息を吹きかける。


「おれもふーしたから大丈夫」

「じゃあ、日向くんのふーを信じて……」

「いいよ、信じてっ」


言われるがまま缶に唇を当てると、熱くはない。あったかかった。
甘いココアが口に広がり、体の中を通っていくのが分かる。

やっぱり冬の寒さは強敵だ。

ココア、おいしい……  あ。


さん、どうかした?」

「な、なんでもない、なんでも!」

「そう?」

「ほ、ほら、日向くん、残りっ。あ、でも」

「いらないなら飲むよ」

「あ、ででも!」

「飲みたい?」

「そう言う訳じゃ」

「じゃあもらう!」


日向くんの手が伸びてきて、そのまま缶を譲った。

日向くんがおいしそうにココアを煽る。
飲み切ったのか、缶を自販機横のリサイクル箱に投げて見事に中に入れていた。


「やった!」

「じ、じゃあ、帰ろっか」

「いいけど……、さん、なんか、変」


うっ、さ、さすがにそう思うよね。

いや、でも、ほんと私が気にしすぎなだけだ。


「な、なんでもないっ」

「本当はココア一人で飲みたかった……?」

「違うってば」

「うーーん、じゃあなんで急に」

「わ、わかんなくていいから!ほら、帰ろう!」

「気になるんだよなー、ココア、ココア……」

「ほーらー!」


顎に手を当ててうんうん考え込む日向くんの背中を押して自転車に向かう。

もう、いい。

私が悪い。


「あっ!」

「ぇ」


急に何かひらめいたらしい日向くん。



「あ、の?」

「ごごごめん、おれ、何も考えないでさんにココアを!!」

「えっいやっ、え!」

「だ、だってこういうの、おれが口つけた後で渡しちゃったからっ……」

「あ、……」


言葉にされたら尚のこと自覚してしまう。

間接キスしたって。


「い、嫌、だった?」

「えっ」

「だ、だから、さん、変に……」

「そんなっ、い、嫌とか……イヤじゃ、なくて!」


どっ どっ どっ と、コートの内側で鼓動が早まる。


「い、嫌とか、そんなことは、その、なくて……」

「嫌じゃ、ないの?」

「じゃない、の……」

ああ、ダメだ。ダメだ。もう、ダメ。

「わたし、ごめん、気にしすぎで「おれ、特別?」


真正面から日向くんが問いかける。


「夏目とかと、違う……ってことかなって」

「そんなの、前からそうだよ……ずっと、そう」


日向くんから返事がない。

沈默が続くと思っていたら両腕をがしっとされた。


「あ、あの、さっ


嫌じゃ、なかったら」


真剣な眼差し、少し紅潮した頬、やけに明るすぎるLEDの電灯に照らされる。

びゅっ と北風が容赦なく横から吹き付けてきた。


「か、帰らない……?」

「……」

「ね、日向くん」

「……」

「また今度あるし」


ぎゅ、と腕を掴まれる。
目が、離せない。



顔が近づいたかと思ったら触れあわず、耳の方から声が聞こえた。


「さ、さわって、いい?」

「も、もう触ってるんじゃ」

「もっと、ちゃんと、ぎゅっと……」


どこか言いづらそうにしている日向くんを前に、私は一歩踏み出した。

いいよって呟くとすぐ全身ぎゅっとされた。それでも寒かった。ここはとても寒かった。
寒くて、いくらでもこうしてられた。




next.