ハニーチ

スロウ・エール 145





さんから来てくれてうれしかったっ』


夜、電話、眠りに落ちる前。

明日を待つだけのふとんの中で、電話の向こうで早口に話す日向くんの言ってくれたことをゆっくりと咀嚼した。


えー……、と。

え、と、

あの、帰るときの、バス停のとこの、日向くんが行っちゃいそうなときに駆け寄ったこと、だよね、たぶん。


まどろんだ思考回路はすぐ動かなかった。

返事を待たずに、日向くんが言った。


『だっだから、ありがと!』

「ありがとう?」


お礼は変だとすぐ思った。


『おかしかった?』

「私がね、そうしたかったから」


あんなに受験がどうのって思っていたのに、そんなの全部どっか行っちゃった。

ただ、一緒に走り抜けた景色に思いをはせる。

目を閉じればもうそこに、自分一人じゃ出会えなかった世界がある。


もっと、見たかっただけかもしれない。

日向くんといたら、もっとその時間が続く気がした。

だいじょーぶ!って、そう背中を押してもらえると、どこだって行ける。

気づいたら、日向君のほうに手が伸びていた。

前の、文化祭の時みたく。

日向くんのシャツをつかんでその背中に寄り添ったときと同じだった。



「もっと、一緒にいたくて、つい……」

『いっしょに、いたくて?』

「うん……」

『おれと?』

「日向くんと……」


他に誰がいるんだろう。


ん……?


自分の発言に眠気がふっと引いていく。

待って。

待って。


「ごっごめん、日向くん!いま、寝ぼけて変なこと言った!」



無音、

相手から返事はない。


いつもなら言葉にしない、本音。

調子を狂わせたんだろうか。



「日向くん? あれ、つながってるよね?」


思わず携帯電話を耳から外して、ディスプレイを確認した。

電波良好、3本線だ。



『さっき、言ってくれてよかったのに』



こぼした言葉は、ちゃんと向こうに届いていた。



『いま、言われてもさ』

「だっだよね、なに言ってんだって話だよね『じっじゃなくて、じゃなくて、さん!』


日向くんがどこか必死さを漂わせる声色で私の焦りを遮った。


『そうじゃ、なくてっ、


会いたくなる。


おれは、さんに会いたい。
いま、会いたい。



と、思うから……それ聞いちゃうとさ』



最後のほうはごにょごにょと声は小さくなっていたけど、この時間だ、寝静まる時間帯は、二人だけの話がずっとしやすい。

日向君の息遣いが聞こえた。


会いたい。



「あ、……明日、会えるね」

『ん……』

「一番におはようって言う」

『ん、……おれも』

「今日ね、楽しかった。ほんとに。クリスマスツリーに見えて、ほんとびっくりした。きれいで、ほんと」


あれ、ほんとばっかり言ってる。

寝ぼけてる。

時計の針は、さっき見た時より進んでいた。


「日向くん、ありがとう。みれてよかった」

『あ』


何かひらめいたらしい。


さんがお礼、変って言ったのちょっとわかった』

「そ、そっか」

『けど、さんにありがとうって言われんのうれしいっ。

さんは?おれにありがとうって言われてうれしい?』

「それは、うれしいよ」

『ん! これからもありがとうって言おうっ』

「う、ん」



でも、やっぱり違うんだ。

今の話と、さっきのは。


眠くて、ちゃんと言えるかわからなかったけど、ちゃんと全部伝えたかった。



「手をつないだの、ありがとうって言われるの、そうじゃないなって」



なんて言えば、伝わるんだろ。

嬉しいはうれしいんだ、ありがとうってどんな時でも。

でも、あの時引き留めたのは、そうじゃない。



「日向くんと手つなぐのって、あ、さわるのって、なんていうんだろ。

お礼じゃなくって。


さわりたいから、さわってて……


他の人だと違うんだけど、えっと、

日向君とも特別なことなんだけど、もう、そういうことを、私たちってしていい関係かなって」



言いながら、自分たちが付き合っているという事実をふいに自覚した。



「ごっごめん、眠くて。頭まわってないし、説明下手すぎる」

『いいよ、全然』

「でも」

『いいって、本当』

「優しい……」


日向くんは、いつでも、こんな風に待っててくれる。


『聞きたいから、やさしいとは、違う。


さんのそーいうとこ、すきだ』


「そ、いうとこ……?」


『一生懸命、伝えようとしてくれるとこ』


「あ、……うん」

『いつも伝わるように言葉選んでてさ、そういうの、ほんと、すきだ』

「う、うん」

さん、照れてる?』

「……うん」

『見たい』


日向くんが間髪入れずに呟いた。

つい自分の顔に片手を当てた。



『どんな顔してるか、予想はしてる』


日向くんの中の私はどんな顔してるんだろう。

行き場のない気持ちから、枕を意味もなく引っ張ってきて抱きしめた。


「あの、ただの眠そうな顔だよ?」

『確かに、さっきから声が眠そう』


そういうのって声でもわかるんだ。


「寝ようっ、日向くん! やっぱり寝る前の電話ダメだ、寝ぼけてる」


目覚まし時計がきちんとセットされてるか、慌てて確認した。


「日向くん、おやすみ!」

『もっと寝ぼけてくれていいのに。

一緒にいたいって言ってくれて嬉しかった』



枕をぎゅっとした。



『そーいうの、もっと聞きたい。次はさ、一緒にいるときに言って。

ぎゅっ て、できる』


「うん……」



この声、届いたかな。
とても小さな声で呟くしかなかった。

もっと、一緒にいたい。

言えるかな。


いつも思ってる、その想いを、どうしてただ言葉にするだけなのに言えないんだろう。



『おやすみ、さん』


撫でられているかのような声色だった。

おやすみ、日向くん。

電話を切って、またベッドで丸くなる。

余韻に浸る。

すき、すきだ。

どうしてこんな気持ちになるんだろう。
胸がいっぱいだ。
緊張とは違う、心地いい、あたたかな感情。


今度、言ってみようか。


日向くん、すき って。


日向くん、どんな顔して聞いてくれるんだろう。
きっと、私が想像する顔で受け入れてくれる気がする。


目元をこすった。電気を消そう。

ちらりと視界に入ったカレンダー、花丸がついている日付。

クリスマスはもうすぐだ。



next.