ハニーチ

スロウ・エール 146




翌朝、眠気に負けていつもより遅く登校すると、体育館の方から日向くんがちょうど出てきた。

声かけよう。
そう認識するより早く、日向くんがこっちに走ってきた。


さん、おはよう!」

「おはよ。朝練してたんだ」

「そう! 1年はまだ中でやってる」


日向くんが振り返った先の体育館からは、女子バレー部の人たちであろう掛け声とボールの音がこぼれていた。
その横顔を盗み見る。

日向くんの方が先に練習を切り上げるなんて珍しい。

そう呟けば、昨日も想像していた満面の笑みが返ってきた。


「会えるかと思った」

「え?」

「朝はさんいなかったから、今ならって。
そしたら、さんいた!」


それは、会いたかったと同義で目を泳がせていると、正解をそのまま囁いてくれた。

さんに会いたかった。これは夢じゃない。

片手で緩んだ表情を少しでも隠そうとしたけど、日向くんに『照れてるっ』と指摘されて、もう全部バレてるんだと観念した。
カバンをしっかりと持ち直した。日向くんはまだ制服に着替えていない。


「さきに教室行ってるね。ほら、日向くん、急がないと」

「間に合う!!」


そう高らかに言い切ると、こんなにあっという間に走り去った。

ぜったい間に合うんだろうな。

日向くんの背中が見えなくなってから、階段をゆっくりと上った。










「日向、今回は頑張ったな」

「うぉ、おおお……!!」


テストは受ければ返ってくる。

試験は解放されると最高だけど、この返される瞬間は結果がどうあれ好きじゃない。

日向くんは先生から答案を受け取ると、なぜか真っ先に私のところにやってきた。
しかも、点数がよく見えるようにして。


さん、平均点超えた!」

「お、おめでとう!」

「先生、これで烏野いけますか!?」

「本番でちゃんと発揮できればなー」

「がんばります!!」


「翔陽、よかったなー」

「冷えピタ貼ってがんばってたもんね、翔ちゃん」

「おぉっ、イズミンのノートのおかげ!」


、呼ばれてる」

「わっ、ありがと」


つい日向くんたちに気を取られていた。

急いで先生のところに行くと、配慮のない先生は周りの人に点数が見えそうなくらいひらりと一枚の答案を渡してきた。

慌てて点数が書いてある部分を握りしめる。


「次、夏目ー」


友人と入れ違いに席について、くしゃりと握った点数部分をきちんと折ることにした。


さん、丸ばっかだ……!!」

「あ、いや」

「すごい!!」


すご、い。


「翔陽、はいつも頭いいだろうが。なあ?」

さんなら当然って感じはするけど」

「いやでもさ、すごいじゃん。上から下まで丸ばっかでさっ」


……。

半分に折った答案をそっと眺めてみる。

先生にチクチクと小言を言われないであろう結果、先生たちからすればなら当たり前という点数で、もし下げたならわざわ呼び出す程度には大騒ぎされる出来事。


すごい、か。


「じゃあ、解説やるから問題出せー」


先生に言われるがまま、机に入れていた問題用紙を取り出す。

ふと隣を見る。

他の教科書に押しつぶされたのか、しわくちゃになった問題用紙を日向くんが手で伸ばしている。

視線に気づいてくれて目が合った。


すごいって言ってくれて嬉しかったんだ。すごいのは、日向くんだよ。

すごく、すき。


そうは言えなくて、今は笑顔を向けた。











昼休み、日向くんに急に呼び出されて空き教室に入った。



「さっきさ!」

「さっき?」

「今日、2時間目の時さ!」

「うん」

さん、おれ見て笑ったけど、それってなに?」

「え、……どういう意味? あ、別に日向くんが変だったとかじゃないよ!?」

「そ、それは、うん。そーじゃないのはわかる」

「嫌な気分にさせたとか?」

「それも、ちがう」

「でも、わざわざ呼び出してるわけだし……」

「……」

「授業中なのについ日向くんの方見たから?」

「見ても、いい」

「いいの? ほんとに?」

「いいんだけど……、さん、ずるい」


予鈴が鳴った。


「いつも、さんにさわれないときに、可愛くなる」

「……」

「い、いつも可愛いけど」

「……」

「いつもかわいい!!」

「日向くん、もう、あの、わかった」

さん、そっち壁だよ?」

「知ってる!!」


日向くんが急に褒めてくるから、どんな顔していいかわからなかった。


「おれ以外に可愛いって言われないでほしい」


背中で聞いたせいで、このとき日向くんがどんな顔をしていたかわからなかった。

振り返ると、可愛いってもう一度言われたから、誰もそんな風に言わないから大丈夫だよって心から伝えた。












っちが、ふわふわしてる」

「!!な、なんのことっ?」


放課後、どうしても付き合ってほしいと友達に頼まれて、ショッピングモールに来た。

クリスマスデートの服を新調したいらしい。

いくつもの候補を抱えた友達がじっとこちらを観察してくるので、別のスカートを手にした。


「ほっほら、こっちも合うよ」

「なんかいいことあったの?なに?なになに?」

「なっなんでもないってば」

「もしかしてっちもダーリンできた?」

「久しぶりに聞いたよ、その単語」


ダーリン……、一瞬だけ日向くんを想像して、そう呼ぶことは絶対ないなと一人頷いた。


「ほら、早く決めないと私も帰るよ?」

「やだー! っちも、ちなっちゃんみたく裏切るんだー」

「用事あるから仕方ないってば」


元々はもうちょっと人数がいたけど、いつまでも決めきれない友達のおかげでタイムリミットが来たらしい。
私の方もそろそろ塾の自習室に寄りたい。


「待って、っち。あとちょっとだけ!!」

「どれで悩んでるの?」

「こっちのスカートとニットか、ワンピース」

「……このニット、肩が出すぎだと思う」


毛糸の素材なのに、襟元が大きく開いている。

せっかくの温かそうな素材もこれじゃあ防御力半減だ。

想像しただけで寒い。


「おしゃれはガマン!」

「それは暖かいところにいる人たちの話で、こっちは本気で寒いからね、やめようね」

「あー私のニットー!」

「そっちのワンピースのがあったかそうだから決定」

「えーー」

「じゃあワンピースやめてニットにする?」

「えーーー」

「もう帰るよ?」

っち、あとちょっとー!」

「もーー」


意味のないやり取りを面白く繰り返してから、結局、友達はどっちも買わなかった。
代わりにファッション雑誌を買っていた。

ここまで悩んだんだから買えばいいのにと思ったけど、タイミングよく彼女の愛しのダーリンから電話が来た。
これから会おうということになり、私の方はお役御免だ。


「……」


さっきみたいな肩の出てる服って、やっぱり男の子はうれしいものなんだろうか。

日向くん、どんなかっこしたら可愛いって思ってくれるかな。

参考書コーナーによるつもりが、ついファッション誌を手にしてしまった。

クリスマスの日、何を着て行こう。

友達があれだけ迷っていたのもわからなくもない。とびきり可愛い自分で大好きな人に会いたくなる気持ちはよくわかった。


「あ、あの」


知らない人の声、立ち読みしていたから横に移動した。

声の主の気配は動かなかった。なんだろ、と振り返ると、怪しい人ではなかった。


「や、山口くん」

さん、今いい?」

「う、ん」


この場所で話すのも周囲の目が気になり、手にしていた雑誌を元の場所に戻した。



「この間は本当にごめん!!」


山口くんは両手を合わせて頭を下げた。

この間、と言われてもピンとこないでいると山口くんが言いにくそうに続けた。


「ほら、その、カラオケ……」

「あぁ」

さんたちとの約束、断ったのに、カラオケ行ってて」

「いいよ、全然!!」


もうすっかり忘れていたくらいだ。

塾の子たちからのお願いで、月島くんたちをカラオケに誘って断られた。
そのカラオケの日に、カラオケ屋さんで二人に遭遇した。

それだけだ。山口くんたちが気にする必要はない。


「で、でも、あの日ばったり会って本当にさんに悪いことしたなって」

「いいって本当に」

「ツッキーも気にしてたし」

「ほんと?」


山口くんの謝罪は素直に受け入れられたけど、月島くんの名前を出された瞬間、つい疑ってしまった。
あまりに私の態度が変わっていたらしい。山口くんが笑いをかみ殺した。


「あ、ごめん! さんが、その」

「顔に出てた?」

「う、うん」

「よく言われる」


ほんとうに、ポーカーフェイスを身に着けた方がいいかも。
頬を指先で軽く触れた。


「月島くんはまったく気にしてないと思う。山口くんもいいよ、大丈夫」


謝ってくれただけずーっとましだ。

月島くんにしてみれば、あのドリンクコーナーでの出来事も含めて謝ってほしいくらいだけど、それはもういい。


「いやでも……あ、せめて飲み物でも欲しいのあったらおごるよ?」


ちょうど自販機が見えたけど、そこまでしてもらうのも変だ。


「あ!」

「欲しいのあった?」

「じゃなくて」


折角なので、厚意に甘えることにした。



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