「、何やってんだ」
12月の日々は足早に過ぎて行き、感慨深さに浸る間もなく冬休みに入った今日はクリスマスイブ、それでもここの風景は変わりない。
いつも通りのスポーツセンター、練習を終えた影山くんが向かいの席にいつもと同じく座った。待合せた時間通りだった。
作業していたものをカバンの中に片しながら、さっきの質問に答えた。
「作ってたの、クリスマスプレゼント」
影山くんは、自分から聞いておきながら、さして興味なさそうに頷いてカバンから文房具を取り出していた。
本当に、いつも通りだ。
「影山くんは明日何かするの?」
「サーブ練」
「そうじゃなくてっ。 あれ、明日ってここ閉館じゃなかった?」
「学校は開いてんだろ」
「そう……だね」
北川第一ほどの強豪校なら、いつでも体育館でバレーの練習くらいできるだろう。
ふつうなら。
チームメイトと上手くいっていないと事前に聞いてさえいなければ、学校で練習すると言われても驚いたりしなかった。
前に北一に行った時に声をかけてきた人達のことを思い出す。
“コート上の王様っ。それで全部わかるよ”
あの声のニュアンス、何とも居心地の悪かった雰囲気。
全部わかるって、何の、全部だろう。
結局、誰にも聞けていない、影山くんにまつわるキーワード。
「なんだよ」
黙ってしまった私をせっつくように影山くんが言った。
慌てて付け加えた。
「一人で練習っ?」
「サーブ練は一人だろ」
「そ、か」
考えてみれば当然だ。
何を言っているんだ、私は。
自分自身にあきれたところで、影山くんがポツリと漏らした。
「アイツらがいる時はある」
「“アイツら”?」
「1年」
「1年?」
影山くんからはそれ以上の説明はない。
この人はメールでもそうだけど、どうにもコミュニケーションが雑だ。
こっちは同じ学校でもないんだから、『1年』と言われただけで誰だかわかるはずがない。
ただ、思い当たる節もある。まさかとも思う。
「1年って……、あの二人?」
影山くんに憧れている、北一のバレー部1年生。
私に突っかかってきて、このあいだ練習に付き合ってくれた二人。
影山くんはこくりと肯定して、ノートと問題集を開いた。
「そう……」
信じられない心境で、でも顔に出すわけにもいかず、ただ同じように過去問を取り出した。
あの二人、影山くんとしゃべってる様子はなかったけど、そっか、今は同じ体育館で練習する仲になったんだ。
そう漏らせば、影山くんが鉛筆を動かす手を一瞬止めた。
「いや、見てるだけだ」
「え?」
「俺が練習してるのを見てる」
「ボール拾ってくれるとか?」
「いや」
「ほんとに見てるだけってこと?」
「ああ」
「……」
「、なにしてる」
「いや……、私のことは気にしないで」
つい頭を抱えてしまったのは、二人に何やってんのって言いたくなっただけだ。
わかってるんだろうか、影山くんは3年生なんだから同じ体育館で練習できるのなんてもう3か月しかない(試験がある時期はさすがに練習しないから、もっと期間は短い)
いっそ影山くんの練習の手伝いくらいすればいいのに……
憧れの影山先輩だから、ボール拾います!の一言もかけられないってこと?
初対面の私には『影山先輩をそそのかすな』みたいなことを言ってのけたくせに?
言いたいことはたくさん浮かんで、でも、なんで私がそんな心配するんだって気にもなって、ごちゃごちゃ考えている内に時間が過ぎていきそうで、自分の頬を軽くはたいた。
受験生なんだから、人のことを気にしてる余裕はない。
よし、と思ったところで、影山くんの手元の過去問に目を奪われた。
「それ、なに?」
「過去問」
「それは、わかるんだけど……烏野じゃなくない?」
「読めねえのか」
「読めるから聞いてるの」
白鳥沢学園高校。
はっきりと黒い文字で印刷されていた。
見覚えははっきりある。私の手元にも同じものがあるからだ。
何も言わずにいると、こちらの開いている過去問も同じ白鳥沢だと気付いて、影山くんは『も受けるのか』とだけ呟いた。
「受ける、けど……レベル」
「?」
「いや、ごめん、なんでもない」
影山くんに何を言うつもりなんだ。
学力的に無理だよって?
言えるはずない、塾の先生でもないのに。
影山くんの周りの大人って何考えてるんだろう。
1番に自分と影山くんを引き合わせたバレーの先生を思い浮かべたが、先生だって影山くんの学力を憂うべき立場でもない。
「あの、影山くん!」
勉強会なのに、また中断させてしまった。
これで最後にしよう。
「なんで、白鳥沢受けるの?」
頭ではわかっているのに、つい聞いてしまう。
「バレー、強いだろ」
単純明快な真理、
影山くんの行動原理はいつだって“バレー”だ。
「ほんとうに……、すきだね」
知ってはいたんだけどな。
じわりと心に忍び寄る影。
やりたいことがわかっていて、実力もあって、誰か何とかしてよ っていう焦燥感。
唇を無意識に噛みしめていた。
少し血の味がした。冬は乾燥しやすいからだ。リップクリームを取り出した。
「今日、なんで呼んだ」
リップクリームをひと塗りしてから答えた。
「なんでって、明日は……お互いに予定あるかなって」
いつものペースだと明日が勉強会の予定だった。でも、明日はクリスマスだから変更の連絡をした。
もしかして影山くんはクリスマスを知らないんだろうか。
そう思って聞いてみると、さすがに有名なこの日の事を知っていた。
「クリスマスって影山くんも何かするでしょ?」
「サーブ練」
「そうじゃなくてケーキ食べたり友達とパーティーしたり……」
言いながら、影山くんにとってクリスマスも日常の一部でしかないんだと思い知った。
ただの12月25日、ただの365日の内のひとつ。
そういえばプロアスリートのドキュメンタリーで見たことがある。
トクベツを作らず、ただの1日をいつでも再現できるように過ごすんだと。
練習を本番のごとく、本番もまた練習通りに。
「?」
テーブルはさんだだけの距離のはずが、ずっと遠く感じられた。
「ごめん、変なこと言って。予定も狂わせちゃったよね」
午前に影山くんと勉強会してから、日向くんとの約束でも問題なかった。
日向くんだって予定あるみたいだったし、一人で浮かれてた。色々どうかしてる。情けない。
「来い」
「はっ?」
腕を掴まれている。
「な、なにっ? 待って、荷物!」
こっちの話を聞く気もゼロのようで、影山くんがぐんぐんと歩いていく。というか早歩きだ。その間、ずっと腕を掴まれていて、しかも力がそれなりにある。
「痛いよ!」
手を振り払うと、影山くんは不思議そうに自分の手を眺めていた。
自分がどれだけ握力があるかわかってないらしい。
肘でつい小突いた。
影山くんはびくりともしなくて、余計に悔しかった。
「女子は男子よりは弱いって覚えといたほうがいいよ、絶対」
「試験に出るのか?」
「出ないけど覚えて!」
そもそも、どこに連れてこられたんだ、と廊下を見渡した時、もう一歩奥の扉が開かれて人が出てきた。
「おお、飛雄! もちゃんと連れてきたかっ」
「先生! って、似合ってますね、それ」
赤い帽子に白いもこもこ、いわゆるサンタクロースの帽子だ。
こっちに来いと招かれるままに近づくと、スポーツセンターの中の一室は、色紙で作られた雪の結晶や輪っかのくさりで飾り付けられていた。
小学生の子たちも同じように帽子をかぶって、わいわいと何かのゲームをしている。
「あの、先生、クリスマスパーティーですか?」
「そう。勉強終わったらおいでって飛雄にさっき言っといたんだよ。終わったのか?」
「まだです」
影山くんがきっぱりと言い切った。
だったらなんで連れてきたんだと抗議の意を込めて相手を見上げると、影山くんもまた私を見つめながら先生に答えた。
「こいつが元気なさそうなんで連れてきました。
俺は気晴らしなくていいスけど、をお願いします」
「えっ、影山くん!?」
それだけ言い残して、影山くん本人は今きた道のりを一人戻っていった。
next.