影山くんの姿はもう見えない。
ガランとした廊下の先は暗かった。
室内ではちびっ子たちが楽しそうに駆けまわり、保護者の人たちが大きな声で盛り上がる。
楽しそうなクリスマスパーティーはまだ続く様子だった。
「、元気ないの?」
「あ、あります!」
先生に問われて首を横に振る。
たしかに、影山くんと自分の意識の差にほんの少しくらい凹みはしたけど、過去問をまだ1問も解いていないのにいきなり休憩に入る訳に行かない。
「ほんと根詰めるタイプだな」
「へ?」
「ケーキ食べてったら」
「いや、だから、まだ全然……なんにもしてなくて」
「甘いもん食べるくらいの余裕はあるだろ。飛雄にも持ってったらいい」
先生がサンタ帽を揺らして大またで部屋に戻っていく。
部屋の中央に、いくつもの机を組み合わせたテーブルがあり、たくさんのお総菜やお菓子、紙コップや皿がある中で、だいぶ量の減った大きな四角いショートケーキで鎮座していた。
近づくと、少しだけイチゴの匂いがした。
これ、私の好きなケーキ屋さんだ。
うれしく思ってしまう辺り、自分も単純だなと思った時だった。
「痛い!!」
女の子の声、とても小さな子、と同じくらいの髪の短い子、男の子。
けっこう大きな声だったのに、お母さんたちの方は話に盛り上がっていて気にしていない。慣れてるんだろう。
先生にも声をかけたものの、ケーキを入れるのによさそうなプラスチックのパックを探すのに夢中で、ほっとけとあしらわれてしまった。
とはいえ、女の子は今にも泣きそうだった。いや、もう泣いた。
しゃがみこんで、よしよし、と頭を撫でる。痛かったね、と声をかける。
そばにいる男の子の方も、なぜか泣きそうだった。
「えぇっと、どうしたの?」
「あっちに……あっち」
「あっち?」
男の子の方が指さす先には、クリスマスツリーがあった。
多目的室だろうこの場所に、よくこんな人の背丈ほどあるツリーを用意できたなと感心しながら目を凝らすと、その根元に大きな箱があって、おもちゃが入っているのが見て取れた。
ああ、そうか。
「あのね、あっちにおもちゃがあって、一緒に遊びたかったんだって。意地悪したかったんじゃないって」
ぐすぐす、と泣いている女の子に、ティッシュを当てる。
「でも、引っ張られたら痛いよね。
……いっしょに遊ぼうって言わなきゃ。ただ引っ張ったら痛いしビックリするんだよ」
今度は男の子の方に話しかけながら、なぜかさっきの影山くんが浮かんでしょうがなかった。
言葉が少なくて、不器用な彼。
元気がないって気づいてくれて、ここに連れて来たらいいって、影山君なりに考えてくれたんだ。
それって、これまでのことを考えたら、すごく、……すごいことなんじゃないか。
「いっしょに、あそぼ」
男の子の表情がすごく固かった。
たぶん、嫌われたんじゃないかって不安に思ってる。
想像だけど、この女の子の事好きなんじゃないかな。ただ、方法が不適切で、ちっとも伝わらないだけで。
女の子の方は私の服を握りしめたまま、また一つ鼻を啜った。
二人を交互に見る。
「……遊びたいんだって。もう、引っ張ったりしないよ。ね?」
男の子がこくりと頷いて手を伸ばす。
「遊びたくない?
……うん、走らないでね」
二人、手を結んで歩いていく。その先には、いつかこの子たちからしたら、なんてことのない思い出になるクリスマスツリー。
「、ケーキこれで足りる?」
「足り……多くないですか!? しかも見た目……」
「悪い、手が滑った」
「……いや、分けてもらえるだけでうれしいです」
横たえられたショートケーキは、言われなきゃクリスマスケーキとは思えない見た目になっていた。
味がおいしければ、なんでもいいだろう。
影山くんも見た目を気にするタイプとは思えないし、そもそも甘いものを口にするかもわからなかった。
「、これも」
「?先生、なんでニヤニヤしてるんですか」
「いやーーー、よく残ってたなあって」
「はあ……」
先生、もしかしてお酒飲んでるのかな。
そう思いつつ、いつもより陽気な先生から古典的なラブレターでも入っていそうな封筒を受け取った。
なんだろう。
封もされていない中には、さっき見送ったくらいの小さな子供のツーショット、3枚。
1枚は二人並んでる。
2枚目は、男の子が女の子が手を握っている。
3枚目は……
「これ、私っていう訳じゃないですよね?」
「だろ」
「わたし!?!」
「自分の顔も忘れたか」
「いや、こんっな髪型、ちっちゃい子よくしてますし、その、この子……!」
いや、待って。
え、なんで。
いや、前からそれはあり得ると思ってたけど、同じ先生のもとでバレーをしたことがあるんなら、でも、記憶に全然ないし、覚えてないし、向こうだって、私だって、ああ、もう。
「先生、これ見せました!?」
「飛雄に? いや、「ぜっったい見せないでください。約束しましたからね!?」
もう行こう。もういい。
元気通り越して、ふつふつと怒りにも似た変な感情が沸き上がってるのはわかる。
なんだっていい、感情はエネルギーだ。
「」
「先生、なんでこんな……ひどいです」
こういうのこそ、意地悪だ。
そりゃ私が勝手にやってることとはいえ、先生の頼みがあったからこそ、今だって影山くんに勉強を教えてるのに。
「!」
ケーキの入ったパックと、2つのスプーン、渡された封筒を手に入り口に向かった時だ。
「きっかけになると思ったんだよ」
どこかいつもより頬が赤い先生は、少しだけ申し訳なさそうに頭をかいて、サンタ帽が変にずれていた。
「……きっかけって、なんですか」
「飛雄とが仲良くなったらいいって」
やっぱりまた、さっきの影山くんが頭によぎる。
「こないだの試合観たいって言われて全部出したんだよ、そのときにその写真も見つけてね。
言っとくが、飛雄が帰った後だから本人は見てない」
私が見せないでと伝えたから、先生が先回りして付け加えた。
「いいと思ったんだ。
あの子が、
誰かに興味を持つんだって感心したんだよ。
悪かったよ、ごめん」
なんで、そんな、……ずるい。
飛び出していこうと思ったのに、そんなしょげた様子を見せられたら勉強に集中できない。
とぼとぼと先生に近づいて、変な傾き方をしている帽子を引っ張って直した。
「あの、曲がってます」
「おお、サンキュ」
「……別に、昔の写真みせてくれるのはいいですけど、やっぱり、……こういうのははずかしいんです」
「挨拶だろ?」
「それでも!!」
3枚目、キスしてる写真。
小さい女の子と、男の子。
男の子は1枚目と2枚目でよくわかる。
あの目つき、変わっていない。表情は当然だけど幼げで、素直に可愛かった。
「お、覚えてないですし、……私、本当に覚えてないんです」
「飛雄も覚えてないだろ。もう昔のことだ。私も含め先生たちも年を取ったんだよ」
端っこに映っていたバレーの先生たちは、確かに若々しかった。
そんな寂しくなることを言うの、ずるい。
今ここにいる先生に、バレーを教えてもらっていた時代とは違う年月の経過を見出してしまって、無性に切なくなった。
「飛雄によろしくなー」
せんせー先生も歌おうー、子どもたちのお誘いが響く。
歌うかー、先生の楽し気な声も次第に遠のいていく。
ジングルベル、ジングルベル。
もう聞こえなくなった頃に、過去問に向かう影山くんの背中を見つけた。
next.