ハニーチ

スロウ・エール 152





「ただいま」


影山くんの真向かいの席に座ると、影山くんも顔を上げた。


「ケーキもらった。食べよ?」


プラスチックのパックを開けて、スプーンの一つを影山くんの方へ、もう一つは自分が手にする。

量はあってもきれいに半分になってないから、口をつけていない内に半分に分けた。



「こっち側もらうから、そっちは影山くんね。いただきますっ」


さっそく運んだ一口分は、やっぱりいつものケーキ屋さんの味だった。
ぐしゃぐしゃになっていても味は同じ、それに海外だとわざとこういう見た目にしたデザートがあったはずだ。




「ん?」

「元気、出たのか?」


影山くんはスプーンではなく鉛筆を持ったままだった。



「ん……、……ありがと、気にしてくれて。

食べないの? 食べようよ、おいしいよ」


少しだけ沈黙を保ったのち、短く返事をして影山くんもスプーンを手にした。

もぐもぐと口を動かす影山くん、次の一口も取ったからまずくはないんだろう。

同じようにケーキを食べながら尋ねた。


「……おいしい?」

「ああ」

「私、ここのショートケーキ好きなんだ。けっこう有名なお店なんだよ。うちもね、毎年ここでケーキ買ってて」


お茶を飲んで、またケーキを食べて、また、なんてことないことを話す。

つまらないって言われたり、興味ないから黙ってほしい、とでも態度で示されたらやめようって思ったけど、よく、よく観察してみると、影山くんからはそんなそぶりは見つけられなかった。


「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした」

「捨ててくる!」


ポイっとゴミ箱に入れて振り返ると、影山くんはこっちを見ていた。

その理由がわからなくて、なんでもないことなのにドキリとした。


「さっ、勉強しよ!」

「さっき、悪かったな」


また唐突に影山くんはびっくりさせてくる。


「わる、かったって……?」

「腕、痛かったんだろ。気づかなかった」


さっきよくわかってなかったのに、なんで急に謝るんだろう。

いつも通りでいいのに、バレー以外興味ないって顔で、ただ、変わらずに向かいにいてくれればそれで……



「!? 泣いてんのか?」

「泣いてない」

「……」

「泣いてないし、謝ってくれたのはもういい。いいから……」


自分で、感情の整理が追いつかなかった。

色んな気持ちが渦巻いている。いつもそう、影山くんの前だとこうなっちゃう。
手の甲を目元に当てた。


「見ないで……」


音がした。

立ち上がる音。

揺れもした。何かが動く音。影山くんが歩いているのが足裏でわかる。

座っていた長椅子が揺れた。振動で分かった。



「え、なんで」


となりにいるのか。

影山くんは前を向いたままで、こっちを見なかった。



「見んなってが言ったんだろ」

「言った、けど」

「ここにいたら見えねえだろ」

「まあ、……そうだね」


隣に座っていれば、横を向かない限り、影山くんの視界に私が入ることはない。

影山くんが白鳥沢の過去問を開いていた。

解けるんだろうか。

問題文を読んで理解できているんだろうか。


ジッと見つめてしまっていた。さすがの影山くんもこっちを見た。


「なんだよ」

「わかる? この問題の意味」

「ぜんぜんわかんねえ」

「……だろうね」


清々しいくらいきっぱり答えてくれて、教える側としては状況を理解しやすい。

影山くんと私の間に置いていたカバンをよけて距離を縮めた。


「!なんだよ」

「白鳥沢受ける気だったら、もうちょっと段階踏んだ方がいいよ。教えるから、勉強の仕方」


例え今このとき手が届かなくても、明日試験じゃない限り、まだがんばれる時間はある。


「まずね、英語は、なあ」


長文がすでに影山くんの理解力を超えているから、やっぱり他の学校の過去問で練習してからの方がいい気がする。

文法問題は絶対落とせない。

まずは制限時間で解くんじゃなくて、文法と英熟語をしっかり覚える方が先決だ。



「やめろって言わないんだな」



白鳥沢の出題傾向について書かれたページをめくった時、影山くんがポツリと漏らした。




「それ、

 誰かに言われたの?」




親なのか、学校の先生なのか。

想像はしてみたけど、影山くんは目をそらして答えなかった。

姿のない誰かの意見、わからなくもない。

私だってさっき同じように考えた、けど。




「可能性はゼロじゃないよ、やってみなくちゃわからないんだし」



もしかしたら、影山くんに有利な問題がたくさん出る年かもしれない。

影山君以外の受験生がなんかの理由で受験会場に行かないかもしれない。

解答用紙に名前を書き忘れるかもしれない。



「それはないだろ」

「可能性だから!ゼロじゃないってだけ!」


人が応援しているというに、影山くんはどっちの味方なんだ。

伝えたいことは、シンプルだった。


「私、いるから!」


役に立っているかは相変わらず自信なんかずっとない、これから先もきっとない。
それでも、影山くん一人でがんばるよりはずーっとマシなはずだ。

力説してみても影山くんに伝わっているかも不明だ。
なんでもいい、私がしたいからするだけだ。


「ほら、本当に合格する気あるなら、なおさら烏野の過去問でしっかり基礎やること! ねっ」

「ああ」

「それと、もうちょっと勉強会やる?」


本当は年明け一回くらいで終わりにするつもりだった。

もう受験も早いところは始まるし、烏野であれば今の影山くんなら中卒は免れると踏んでいた。


「白鳥沢ならもうちょっと……」


いや、だいぶか。


「たくさん頑張らなきゃだと思、う、し」



真っ直ぐに、こちらの奥底までも見通しそうな瞳。

この実直さにたじろいでしまう。
逃げたくなる。


なんで、そんな目でみるの?


影山くんに近寄りすぎたと、いまさら後悔した。


触れ合いそうな距離だ。

なんだって、こういう時に限って、いつもの威圧感を出さないんだろう。

警戒されていないとかんちがいする。
みたことない眼差しだった。


影山くんがまた少し近づいた。



、口」

「くち?」

「クリームついて、「いい、わかった、ティッシュ出すっ」


大きな音を立てて、私の勉強道具その他が入ったカバンが長椅子から落下した。

慌てたせいだ。
ティッシュを取ろうと中身をまさぐった瞬間、カバンの重心がずれて危うく私もずり落ちそうになった。
影山くんが支えてくれなきゃ、落っこちてた。



「……あ、ありがと、影山くん」

「これはいいんだよな?」

「は?」

「腕」


影山くんは私の二の腕を掴んでくれていた。


「そりゃ、もちろん」


さっきと状況が異なるからつかんだっていい。

カバンを引っ張り上げて座り直すと、影山くんも腕を放してくれた。

その手のひらをじっと眺めているから何かと思った。


「あ、あの……?」

「……」

「影山くん?」

「使ってないダンベル欲しいなら言え」

「いらない!」


ケンカを売っているんだろうかと思いつつ、自分の二の腕を同じようにつかんで確かめてしまった。



next.