ハニーチ

スロウ・エール 154




これ、記念として持って帰った方がいいのかな。

手渡されたオレンジジュースのパッケージを改めて眺めてから、それはさすがにおかしいとストローをはずした。

ガチャ、かちゃ、とプラスチック同士がぶつかり合う。
影山くんが別の紙袋に入っていたカセットを入れるたび、DVDのケースに当たっていた。


「カセットもあるんだね」

「数があったから、そのまま借りてる」


受け持つ生徒の数も多いし、古いデータ全部をDVDに焼き直す時間もないんだろう。

影山くんがカセットを一つずつ手に取る。
時の経過のせいで茶色くなったラベル、そこに書かれたサインペンの文字を確認しては、紙袋に入れ分けていた。

しゃがむ影山くんの背中は大きく見えた。

自分とちがう肩幅。
腕だって。


「これで全部だ、

「! う、うん」

「なんだ?」


いきなり振り返られてドキッとした、とは答えられず、ストローを勢いよくジュースに差し込んだ。


「な、なんでもない。けっこうあるね」

「全部だからな、残ってるやつ全部」

「そっちの紙袋は?」


同じカセットが少しと、タイプの違うカセットがいくつも別の紙袋に入っていた。


「俺のも一緒にもらった」

「先生に習ってたんだ」

「いや、たまに手伝いに来てるだけで、ちゃんとは習ってない」

「合同練習とかだ」

「ああ」


影山くんが立ち上がって、自分の分の紙袋をベッドの脇に置いた。

あ、帰らないと。

まだ少しも量の減っていないオレンジジュースに口をつけてから、分けてもらった紙袋を持ち上げた。

カセットの数は多かったけど、重くはなかった。

あれ。


「これってさ、どうやって見るの?」


自分の知っているビデオデッキで見れる気がしない。形が全然違う。

影山くんは、勉強机に無造作に置かれたビデオカメラを手にした。

ボタンを押すとカセットを入れられるように蓋が開く。
コードもいくつかあって、テレビに繋げば見られるそうだ。


「このカメラ、先生の?」

「いや。 、持ってないのか?」

「たぶん持ってない……、家にあったかな」


運動会などで親が撮影していたような気もするけど、このカセットだったか定かでない。

貸すか?と影山くんは言ってくれたけど、万が一でも壊したり失くしてしまったら弁償できる気がしないので断った。

影山くんは少し間をおいてから、不思議そうに続けた。


「カメラなしではどうやって見るんだ?」

「そ、それはまだわかんないけど……」


部屋が静かすぎて、二人とも黙ると時計の秒針の動きすらも聞き取れた。


「探してみるよっ。もしかしたら家族が持ってるかもしれないし」


自分の家になくても、従兄の家でも祖父の家でも、探す当てはある。


「今日はお邪魔っ、……し、ました」

「腹へってんのか」

「うっ、ごめん……」


女子として、終わってる。

さっきケーキ食べたのに、オレンジジュースももらったのに、なんでタイミング悪く鳴るかな。

影山くんが聞かないふりをしてくれたらと思ったけど、そんな気遣いがある方がびっくりだ。
聞かれたのは日向くんじゃなかっただけマシ、そう思うことにした。

勢いよく手元のジュースを飲んでみても減らなくて、飲み切るのは諦めて荷物をまとめた。

出ていく準備をしたから影山くんがドアを開けてくれたのかと思った。


「食うか?」


それだけ言い残して、影山くんは部屋を去る。

いま、なんて言われた?

影山くんとのコミュニケーションは推理力が必要だ。
そもそも『食うか?』という疑問形でありながら、こちらの返事を一切聞かないこの感じ。

黙って出て行こうかとも思いつつ、まずは部屋の電気を消した。

自分の靴はすぐそこだ。
足先を入れて、このまま出ていくのは余りに不義理だ。

やっぱり一言だけ声をかけて出ていく方がいい。ぜったい。


「あの!」


廊下は寒かった。玄関も寒かった。
人のいない場所に冬は潜んでいた。


「影山くんっ、もう帰るね!」


向こうで部屋の明かりがこぼれた。


「こっち来い」

「えっ!」


来いって言われても。

靴も履いたし……腑に落ちなかったけど、もう一度靴を脱いで光のある部屋に入った。


台所に、影山くん。


いい匂いがした。カレーだ。



「あの、入るよ?」

「入れよ」


影山くんの家の、生活空間。

家族の人たちはいないけど、ちゃんと誰かの気配はしていて、少し安心した。

どうしたものかと突っ立っていると、荷物はそこに置けと言われた。


「もう、帰るんだけど……」

「食ってからでいいだろ」


影山くんのそばには大皿が2枚ある。
それと、スプーン。


「それ、夜ごはんでしょ?」

「ああ」

「私がもらったら家族の分なくなっちゃう」

「今日は食わねーよ」


影山くんがご飯をよそった。


「たぶんな」

「……それは、どっち?」

「うるせえ、腹減ってんなら食えばいいだろ」

「いや、でも、わかったからっ、あの、多い!」



ドカッ、とお皿に乗せられたご飯の量に思わず叫んだ。



なんで、


なんで、



なんで。



「いただきます」
「いただきますっ」


なんで、影山くんと食卓を囲っているんだろ。

スプーンひとくち、匂いからわかってたことだ。


「……おいしい」

「ん」

「いつも、一人で食べるの?」

「そうじゃない時もある」

「そっか」

「……は?」

「私も、いろいろ」

「そうか」


なんでこんな展開に。

不思議な気持ちのまま、疑問は疑問として、ただ、二人でカレーを食べていた。時おり、お互いのことを聞いて。

たとえば、学校のクラスのことだとか。
冬休みのことだとか。
この間の文化祭の事だとか。

もしも同じ学校なら、こんな風に一緒に食堂でお昼を食べたんだろうか。
同じクラスなら、一緒に係や委員会をやったんだろうか。

その後、1本だけビデオカセットを見させてもらった。

適当に選んだカセットは、私がはじめてセッターをやった時の試合らしく、やたらはしゃいでいて、正直言って上手くもなくて、ただ、ただ、楽しそうだった。

最後にカメラ目線でピースをしていた。みんなと肩を寄せ合って。笑顔で。







「今日はお邪魔しました」

「本当に一人で戻れんのか?」

「へーき、そこ行って左でしょ、覚えたよ」

「……」

「そんな怖い顔しなくても大丈夫だって!これもカレーもありがと」


紙袋をポン、と触れてみせると、影山くんがいつもの顔でこくりと頷いた。


「ばいばい、次は」


いつだろう。


「年明ける前だ」


迷った私より先に影山くんが言い放った。


「会いたい」

「……、そ、だね。試験まですぐだし」


その方が、いい。


「じゃ、またメールする。影山くん」

「何回、そう呼ぶんだよ」


不機嫌さがにじみ出ている。

何のことか一瞬わからなくて、あ、そうだった、と後から気づいた。


「とっびっお、くん、ばいばい!」


せっかく名前で呼んでみても、嬉しそうにされることはなくって、手をぶんぶん横に振ってみても同じように返されることもなかった。

ただ、一回だけ振り返ったら、影山くんはまだ玄関先に立っていた。

目が合ったような気がしたけど、すぐにくるりと家の中に姿を消した。


いつも家に一人なんだろうか。

バレーして、学校に行って、家に帰る。

誰もいない家に。


そんな想像を冬の寒さに震えながらしたものの、居間にあった温もりは確かに家族の存在を感じさせたから、考えすぎだと結論付けて、今にも出発しそうなバスに飛び乗った。



next.