ハニーチ

スロウ・エール 156



クリスマスの装飾が冬の風で揺れている。
気持ちばかりに飾られた滝ノ上電気店を出ると、また一段と寒くなった気がした。

手には、譲り受けたビデオカメラの入った紙袋。
中身をもう一度眺めてから、待ち合わせ場所へと歩き出した。

日向くん、この紙袋、気にするかな。

紙袋の大きさ的に、カバンに入れられそうもない。
こんなことなら見た目より収納性を重視すればよかった。

紙袋のことを聞かれたらどう答えよう。

なぜか去年のクリスマスのことまで浮かんで、思考を捨ておくように早歩きした。
再生ボタンを押せば、私の過去が流れ出す代物が気にかかる。


あれ、なんで、こんな焦ってるんだろ。

約束した時間は15時、まだ余裕はある。

紙袋のことだって、万が一聞かれたら、家族のおつかいで頼まれたんだって答えればいい。


日向くんは、それ以上詮索したりしない。

日向くんは、いつだって私の困ることを聞こうとしない。




!」


思考を遮ったのは、よく通る声だった。

冴子さんだ。

エプロン姿に、サンタ帽。

クリスマス当日だからとも思うけど、そういえば従兄も滝ノ上さんもサンタにはなっていなかったなと思い返す。

すぐそこのお店から出てきたようだった。


「冴子さん、こんにちは!」

が見えたから飛び出してきちゃった。けっこうご近所さんなんだね」

「みたいですねっ。

あの、大丈夫ですか?」


お店のお客さんだろうか、こっちを見ていた。


「へーき平気! 今日は貸し切りでみんな騒いでるだけだから」


確かにチラリとこぼれ聞こえた賑わいは、とても楽しそうなものだった。

クリスマスパーティーかと思ったら、大人たちは忘年会だと教えてもらった。

大人にはいろんなお付き合いがあるらしい。


「冴子さん、クリスマスなのにデートじゃないんですね」


勝手な想像ではあるが、冴子さんはかっこいい彼氏の腕を引いて街中を闊歩するイメージがあった。

何の気なしに呟いたものの、冴子さんに肩をがしっと勢いよく抱かれた。


「!」

、言うじゃん。
人がデートしてるときのが稼げんのっ」


ほっぺたを突っつかれる。

聞いた私が悪いとはいえさすがにくすぐったくて身じろぎすると、冴子さんは楽しそうに笑ってすぐ解放してくれた。


「そういうは、おめかししてるね。
デートか!」

「え、あっ、……はい」


否定するのもおかしいけど、肯定するのも気恥ずかしい。

そんな私をどう思ったのかはわからないが、冴子さんに頭を撫でられた。


「な、なんですか」

「そうだ、にいいこと教えてあげよっか?」

「いいこと?」


冴子さん語録が増えるんだろうか。

密かに励まされる冴子さんの一言を期待しつつ、心の中でメモ帳を開く。

しっかり記憶しようと思ったその時、冴子さんと顔の距離が近くなってドキッとした。

いくら女性といえど、この距離は驚く。


「あのっ、冴子さん!?」

「まず近づく、そんで目を閉じる。
3秒ね、1、2、3を数えて、目を開くっ。

言っとくけど、心の中で数えんだよ、わかった?」

「さすがに口に出して数えませんけど……!」


この至近距離で実践されると、いくら女同士とはいえ、どぎまぎしてしまう。


「あー、なに? ドキドキした?」

「しっしますよ!冴子さんきれいだし!」

「サンキュっ。あ、ここでのポイントは、がっつくかどーかのチェックね」

「ちぇっくぅ?」


びっくりしすぎて声が裏返ってしまった。

やっと離してもらえたけど、あんまりに近すぎて緊張が抜けきらない。

はあー、と長く深呼吸をしてから冴子さんに理由を尋ねた。

なんでも、この3秒間の行動で、彼氏が自分を大事にしてくれるかどうかわかるらしい。

……本当に?


「い、今のでわかりますか?」

「悪い男はすーぐ手を出してくるからね」

「そうなんですか!?」

「そーいうモンよ、妙な気配がしたら引っぱたいてやんな」

「ひっ!?」


よくわかんないけど、冴子さんの言うような事態にならないことを祈ろう。


「あのっ、良い男の人ならどうするんですか?」

「そりゃー、目を開いた時のお楽しみよ」

「え!?」


まさかの、正解なし。

てっきり教えてもらえるものと期待していたから、若干肩透かしだ。

そんな私の胸の内までお見通しなのか、冴子さんは肩を軽くはたいてくれた。


が好きになった人なら大丈夫だって。
あ、でも待って。
もしかして、もうしてたりする?」

「何をですか」

「こ、れ」


冴子さんが自分の唇を人差し指で示す。

これって、つまり。



「冴子ちゃーーーん! 寒くないの?お友達も中に入ってもらったらー?」

「はぁーい、今行きまーす! じゃあ、私戻るね」

「え、あの」

「楽しんできなーー!」


「冴子さん!!」


腕ごとぶんぶん振られたら、これ以上呼び留められそうにない。

お店の入り口からは、ほろ酔い気分らしい大人たちが暖かそうな店内で楽しんでいるのが見えた。


あーー、もう。

冴子さん!!


教えられた実践の距離感が忘れられず、ドキドキしたまま目的地まで移動した。

さっきまで考えてたことが全部吹っ飛んでしまった。

冴子さん、変なこと教えないでほしい。











「あー、いたー!」「よかった、会えないかと思った!」


日向くんとの待ち合わせ場所にした、大きなクリスマスツリーの前。

電飾の明かりはまだついていないけれど、待ち合わせしている人は多い。
辺りを見回せば、大人から子供まで同じような人たちがたくさんいた。

午後3時になるまで、あと30分ある。

待ち合わせ場所の確認も終わったし、その場を離れた。


どこ行こう。


日向くんと見に行くイルミネーションの下見をするか。
イルミネーションがつくまでの間、何をしたいか探しておくべきか。

どっちも日向くんが来てからの方がいい気がして、あてもなく歩いてみると、掲示板が目に留まった。

市役所やスポーツ団体のお知らせ、その中には、あの体育館のことも書いてある。


来年の3月末、思い出深い最後の試合をした体育館が閉鎖になる。

ずっと一緒だったスパイカーの彼女にトスをあげられなかった、あの試合。
今でも忘れられない。

掲示板に貼られたプリントには、新しく創立される総合スポーツセンターのことが、もっと大きく詳しく書かれていた。
バス停乗り場までの案内もばっちりイラスト付き、閉鎖される体育館の場所は空白だ。


「……」


何にも考えないで歩いていたつもりでも、無意識に、あの体育館へ向かっていたようだ。

行ってみようか。

前に影山くんとバレー教室に行った時のことを思い出す。


ふらりと行って帰ってくる。
それだけの時間はあった。

ずっと考えていることがある。

過去の自分を迎えに行くために、私の“バレー”を終わらせるために、ずっと。



「!」


携帯が震えた。バイブ。

電話かと思ったらメールで、日向くんからだった。

もしかして遅れてくるのかなと思ったけど、違うらしい。早めに着いたから待ってるという内容だった。


うれしい、はやく会える。


あ、返信しなきゃ。

待って、メールを打つより走った方が早いかも。

鞄と紙袋をしっかり持ち直して、大きなクリスマスツリーを目指した。


日向くん、日向くん、日向く、ん?


待って、あそこにいるのは、同じクラスの人だ。
可奈ちゃん、デートするって言ってたし、もしかして同じクリスマスツリーの前で先輩と待ち合わせしているのかもしれない。

まさかの待ち合わせ場所かぶり。

見つかるのは困る。

日向くんに電話をかけた。出ないな。


やけに大きな着信音がどこからか聞こえた。誰だろうと思ったその人が電話に出る。


『もしもしっ!』


日向くん、だ。


ガクッと力が抜ける。
よりにもよってクラスメイトのすぐそば、彼女の方は幸い気づいていない。
電話をすぐ切って日向くんのもとに駆け寄った。


「あれっ、切れ……「日向くん、行こう」

さ、「しっ!」


横目で見た友達はイヤフォンをつけていた。助かった。

人込みに紛れて日向くんとその場を離れた。



next.