ハニーチ

スロウ・エール 158





日向くんへと伸ばした指先を握りしめて続けた。


「わ、私の方こそごめん。
 人がいるの気づかなくて、ぶつかりそうになって。……日向くんのおかげで転ばなかったよ、ありがとう!」


あんなに近づいた時は動けなかったくせに、なんで、こういう時はぺらぺらしゃべれるんだろう。

それでいて、私の“ごめん”は、日向くんのそれとはズレていた。

気づいたのは、日向くんがちらとこちらを向いた時だった。

一瞬だけ瞳がどこか寂しそうに揺らいでみえた。

いや、私の勘違いだ、きっと。

日向くんのいない方へ視線を変え、いつもの私たちに戻れるきっかけを探した。
クリスマスセールが目についた。


「まだ時間あるし、そこのお店見ていい?」


日向くんが頷いてくれたから、少し早歩きになってお店へと近づいた。
気持ちが急ぎすぎて、一気に離れてしまった。
あんなにすぐそばにいたのに。

振り返ると、ちゃんと日向くんが付いてきてくれたから、安心してお店を見回した。

クリスマスだからか、色んな遊具が並んでいた。

ドッジボールなんかに使えそうなビニール製のボール、ストライプ柄のフラフープ。ネットに入れられたサッカーボール。

全部、スポーツを本格的にやるためのものじゃなくて、子ども用だ。
バレーボールはやっぱりなかった。


「日向くん、これどうかな?」


バドミントン。

全部、思い付きだった。

日向くんはきょとん、と目を丸くして同意してくれたけど、たぶん私の意見に合わせてくれただけだ。
それでも勢いをとめないで、てきぱきとレジで商品を購入し、明るい音楽と装飾でにぎわうショッピングビルの出口へ向かった。
もちろん日向くんも一緒だ。

自動ドアが開いた瞬間、びゅっと強い風と共に寒さが刺さるようだった。


「すげっ、風!」


すかさず日向くんの横顔に話しかけた。


「ね、中が暑かったから気持ちいいかも」

「わかる!」


よかった。

日向くん、いつも通りだ。

室内の暖かさが吹き飛ばされ、乾燥した冷たさで目が覚めた。


「あっちに公園あるから、そこでやろっ」


待ち合せにした大きなツリーの場所に戻って、その向こう側に行くと大きな公園がある。

けっこう広い公園で、ずっと奥に進んでいくと、あの体育館の屋根だって見えた。

前に何度か来たことがある。
この時期は閉まっている植物園や売店の横を通って、運動するのによさそうな場所を探した。

なんで急にバドミントンと言い出したか、自分でもよく理解していない。
日向くんも反対こそしなかったけど、不思議に思っているはずだ。


おしゃれした私、制服のままの日向くん。

さっき手をつないでいた私たちの間は、学校にいる時と同じく開いていた。


こういう時、どうするのが正解なんだろう。

頭の中に冴子さんを思い浮かべて、どうしたらよかったですか、と問いかけた。
想像上の冴子さんは別れ際の笑顔のままで何にも答えてくれなかった。

楽しんできな、という一言だけがリピートされる。


さん、ほんとにやんの? バドミントン」


公園の広場に着いて、お店の袋から買ったばかりのラケットと羽を取り出した時、日向くんは私に尋ねた。

公園には誰もいなかった。
この寒さでやる野外スポーツを選ぶ人はそう多くないから当然だ。

また、ひゅぅっと風が音を立てて横切り、髪が視界を遮った。

勢いのままここまで来たけど、日向くんに改めて聞かれた途端、急に冷静になってくる。

冬休みに入る時、風邪には十分注意するようにと先生に念押しされた。

12月末に外でバドミントン、万一風邪でも引いたりしたら……、自分だけならまだしも日向くんまで巻き込んだら、そんな最悪の事態がよぎる。


「やっぱりやめる!?」

「んーん、おれはやりたい!」


日向くんがラケットの片方を手にして素振りを始めた。


さん、いいのかなって」

「わ、私は、その、やりたいから!」

「そっか!」


日向くんは学校にいる時と同じように返事をしてから、やっぱりこれじゃあ、と呟いてコートまで脱いだ。さらに学ランまで。


「日向くん、寒くない?」

「ぜんぜんっ、ずっと暑かったから」


日向くんは、その場でぴょんぴょんっとジャンプしたかと思うと、今度は屈伸を開始した。

私も後れを取っていられない。
鞄と紙袋をベンチに並べて、手始めにマフラーをはずした。
従兄に借りたものだから今度返さないと。できれば年内の方がいいよね、きっと。


「それ、さんの?」

「このマフラー?」

「そう、さんがいつもつけてるのと違うから」


日向くんは身体を左右に伸ばしながら言った。

マフラーを適当にぐるぐるとまとめて、紙袋の中に入れた。


「従兄のなんだ。薄着すぎるって貸してくれて」

「いとこ……、あの車の人か」

「車って?」

「花火の時に迎えに来た人かなって」


日向くん、よく覚えてる。

確かにあの花火大会の夜、迎えに来てくれたのは紛れもなくこのマフラーの持ち主だ。

そう伝えると、さんのことだからと日向くんは何でもないように答えた。


また風が吹く。
マフラーを外したおかげで凍り付きそうだ。身震いした。

日向くんの心配だけじゃなくて、自分も風邪をひかないように注意しなきゃ。
おしゃれは我慢と思っていたけど、従兄の意見も正しかった。

動きづらいけどコートは着たままで準備運動をはじめた。

まずは前に身体を倒して、次は後ろに倒す、と。


さん、寒そうだけど大丈夫?」

「動けばへーきだと思う!」

「そっか! じゃあ、さんからっ」

「わかった!」


日向くんが投げてくれた羽をキャッチした。


「あ、待った!

 んーーー……、うん! さん、こっち!」

「こっち?」

「おれがそっち行くから、さんここ来てっ」


言われるがままに移動した。

なんでだろう。
疑問は浮かんだけど、羽を打つよう促されてラケットを振った。

すごいスピードで羽が飛んでいく。
日向くんが私が打ちやすいように場所を変えてくれたんだって、そのとき気づいた。


こんな、気を遣ってもらってるのに、さっき、なんで。


なんだか感情がこみ上げてきたけど、日向くんとバドミントンする内に、次第に、もっと目の前の“今”に集中できた。


羽を打つ。返す。また打つ。

時折、予期せぬ風に乗り、ある時は邪魔されて羽は相手に届かなかった。
それはお互い様だった。

冬の厳しさが自分の中の熱を奮い立たせて、夢中になって動くうちに全身に力が巡り、胸の内のもやもやした何かも一緒に流れていく。

気づけば、服も髪も、家を出た時よりずっと崩れていて、デートってなんだっけ、と思うくらいには肩の力が抜けていた。






「これで、さ、いごっとっ!」


日向くんは、ラケットの先っぽに羽を当てて真上に高く上げた。

私の打った羽はまた大きくそれたけど、日向くんは動じることはない。
難なく打ち上げた羽を、左手でキャッチした。

どれくらいラリーを続けていただろう。

時計を見ると、イルミネーションが着く時間になっていた。そりゃ疲れもする。私がばてたのをきっかけにバドミントンを終えた。

こんな私とは正反対で、日向くんは始める前と様子は変わらない。

ラケットを進んで片づけて、なんだったら私がベンチで休憩している間ずっと一人で空に向かって羽を上げてはまた打ち上げていた。

そういえば、日向くんが前にバドミントン部の練習に付き合っているのを見たことがある。
あの時はなんとも思わなかったけど、今にしてみれば相手の男子はバドミントン部のエースだった。
誰とでもラリーが続いていたから、気づかなかった。
やっぱり、日向くんの運動神経ってすごい。


さん、もう平気?」

「う、うん!」

「おれも休憩っ」


自分が日向くんを見ていたくせに、いざ目が合ってしまうと、途端に恥ずかしくなる。

せっかくいつもに戻れたんだ。
またショッピングビルの時みたくならないようにしなきゃ。
密かにこぶしを握りしめた。

となりの日向くんは、学ランを着るどころか、さらにシャツのボタンを一つ開けていた。

鞄からタオルを取り出して汗をぬぐっていた。


「日向くん、寒くないの?」

「全然っ」

「すごい……」


代謝がすごくいいんだ。いや、私が悪いのかな。
受験勉強のしすぎかも。


さん、鼻」

「!」

「なんかついてた、これで大丈夫」

「あ、ありがと」


日向くんのタオル、いい匂いした。

拭われた鼻先を片手で押さえると、ワンテンポ遅れて日向くんが焦った。


「ごめん、さんっ。おれ、夏といるときみたく」

「だっ大丈夫、ちゃんとわかってるし」

「さっきも、おれのせいで、変になったし」


日向くんが膝の上でタオルをぎゅっと握った。


「ごめん……、嫌、だったよな。急に、その、触ったりしてごめん」



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