ハニーチ

スロウ・エール 159





気にしないで。
そう言っても、日向くんはたぶん気にする。

大丈夫と言ったって態度で全部伝わっている。


どう答えたら正解かわからない。




「こういう風に出かけるの、……ちゃんと、そういうの、はじめてだから、調子に、のった」



一呼吸おいてから日向くんは静かに続けた。



「さっき、眼鏡みてた時さ」

「うん……」

「最初は、クラスのやつ いたって思ったから隠れようって、さんのこと引っぱったけど、すぐ思った」




日向くんがこっちを向いた。




「見られていいや、って。


 さんが秘密にしたいの、ちゃんと覚えてたのに、おれ、そう思った。


 さん、おれの彼女だって。


 知られた方が、さ……」




日向くんが言いよどんで、視線を外す。

何も変わっていないはずなのに、日向くんが遠くにいるみたい。



知られた方が、 

       なんだろう。


待っても、日向くんは続きを話してくれなかった。


黙っている分だけ、ベンチの触れている個所から熱がどんどん奪われて冷たくなる。

日向くんはおもむろにタオルを荒く丸めてカバンに押し込んで立ち上がった。



「もう行くっ?」

「知られた方が、なに?」



日向くんが固まった。

このままわからないのが嫌で、今にもどこか離れてしまいそうな日向くんのシャツをつかんだ。

日向くんはすぐ答えてくれなくて、俯いた。



「し、られた方が……、……うん」

「なに? 教えて、日向くん」

「あ、あのさ!」



日向くんがこほん、と咳ばらいを一つしたから、服から手を外した。



さん、いつもわかってないから言うけど。

 いや、言ってもわかんないかな」



日向くんが腕を組んでごにょごにょと独り言をつぶやき始める。

その間にわかっていることをかき集めて、なんとか日向くんが言わんとしていることを理解しようと努めた。

でも、やっぱりわからなくて。

日向くんの答えを待つしかなくて。

目の前の日向くんが頭を悩ます原因が自分だってことだけは、ちゃんとわかっていた。


もう、いい。




「日向君、もういいよ。言わなくていい」

「言う!言うから!」

「いいの、ほんとうに無理しなくて」



私が悪い。
困らせてばっかり、ちゃんとふつうに振舞えない。

こういう時、どうしたらいいか分からない。

かっこわるいところばっかり。

さっき、あんな風にしてもらった時、もっと、ちゃんとしたかった。
雑誌の中の女の子みたくできたらよかった。

服がなに?

着ている私がちゃんとしなかったら全部台無しだ。


自分のことばっかりで、日向くんのことわかってあげられない。


やだな、また風。


ラリーの途中、羽をかっさらって、邪魔してきたのも風だった。
服も髪もくずれたのも全部、この風。


違う、ぜんぶ、私だ。


滲みだす視界を前髪がさえぎるから、手で払った。





「っ!」





突風だった。

日向くんだった。

日向くんに抱きしめられていた。
お店にいた時よりずっと強引に抱き寄せられていた。

有無を言わさず、許可もなしに、かくしきれなかった感情ごと全部。

タオルを当ててもらったときみたく、日向くんの髪が鼻先に触れた。

同じ匂いがした。

あたたかかった。




さん。


名前を呼ばれた。とても近い。


抱きしめられてるって実感したのは、日向くんの髪がまた頬をくすぐった時だった。

もう一度、日向くんが『ごめん』と囁いた。
声は空気を伝って肌でも感じた。

腕に力が込められているのもわかる。
冬の厚いコートを着てなきゃ絶対この緊張と高鳴りがゼロ距離で伝わっていた。
お互い好意が丸わかるほど密着していた。

ごめん、と、囁きがもう一度。

しゃべらないでほしかった。
こそばゆかった。



「日向くん、あ、謝んなくていい……」


「いま謝ったのは、おれが、我慢できなかったからで……さんに手を出したからで。

 眼鏡の時もだし、今日会ったときからずっとこうしたいって思ってたから」



日向くんの腕の力が弱まったと思ったら、肩を掴まれたまま向き合っていた。



「その『ごめん』っ。

 ……ちゃんと、伝わった?」



あまりに真剣だったから、こくこくと何度だって頷くと、日向くんはほっとした様子で笑った。



さん、かわいいからさ、会ったときからずっと、こう、むずむずしてた!」



むず、むず……?

日向くん特有の擬音語に理解が追いついていないのが、顔に出ていたらしい。

言い換えてくれた。


「触りたくて、しょうがなかった」


その一言は理解しやすく、日向くんを直視するのを困難にさせた。



「言ったらさんそうなるかなって。

 ……おれも、我慢できてなかったし。

 今も、さん泣きそうだったから……
 ぎゅわってなった」

「な、泣いてないよ」

「じゃあさ、顔上げて。こっち向いて」



別にわんわん泣いたわけじゃない。
慌てて手の甲で目元をぬぐった。

よ、し。


近い。



「なんですぐ下向くのっ」

「ひっ日向くん、照れない?」


逃げるように地面に向けた視線を、おそるおそる慎重に上げて、じっと見つめてみると、そういう日向くんだって顔を背けた。

ほら、一緒だ。

日向くんは私の肩を掴んでいた両手をはずして、ポケットにまた収めた。


「て、照れてない」

「うそ、いま、日向くん照れてたっ」

「照れてないって。

 さんかわいいなって思っただけで」


ほら、すぐそういうこと言う。

お互いに明後日の方向を見つめ続けていると、そばの電灯がチカッと明るくなった。

そうだ、イルミネーション、もう点いているんだった。

どちらともなしに荷物をまとめて、バドミントンだけじゃなく色んなことで乱れた身だしなみを整えた。
日向くんもコートを着たけど、前は開けたままだった。


「風邪ひくよ?」

「まだへーきっ」



油断大敵という四字熟語が浮かんだけど、冬休みに入る前から日向くんは寒空の下でも変わらずボールを触っていたから、きっと大丈夫なんだろう。
生活指導の先生じゃないんだし、自分のコートをきちんと着直した。


さん、さっきのマフラーは?」


言われて紙袋から従兄のマフラーを取り出した。

もともと暗い色合いだったけど、空が暗くなって真っ黒にみえる。


「貸して」


夜色のマフラーを日向くんの手に渡した。

どうするんだろうと思えば、私の首にかけられた。



「こうやってちゃんと、こう!」


日向くんがいつもしている巻き方だった。


「これでよし、と!

 さん、どう?あったかい?」

「うん、あったかい」


ぎゅっとマフラーが苦しくない程度に守ってくれている。

日向くんが満足そうに笑った。



「それが一番風が入んないから」

「そうなんだ、ありがと」

「どういたしましてっ、行こう」


日向くんが一歩だけ先に歩き出して、振り返った。

すぐ隣に追いついた。


「楽しみだなー、どんな風に光ってんだろ」

「あの、日向くん、寒い?」

「寒くないよ、なんで?」

「手、ずっとポケットだから」



左手と右手、それぞれカバンと紙袋を持っていたのを、片方に寄せた。

空いている手は、日向くん側にした。

密かに緊張した。



「あ、のさ、手、……日向くん?」



日向くんがとなりにいなかったことに数歩進んでから気づいた。



「日向くん、どうしたの?」

「またさん困らせそうだったから、ちょっとはなれたっ」



日向くんの声がまっすぐ届いた。

誰もいない公園だったから、同じようにはきはきと声を発した。



「私、困んないよっ」

「いや、困るっ。この手は封印すると決めた!」

「封印って、あの封印? 秘めた力を解放しないってこと?」

「そう!」

「そっか」


よくわからない設定を大真面目に二人で頷いて話した。

時々、日向くんは、というかクラスの男子たちは、そういう“かっこいい”と思われる何かに惹かれていた。
封印の話は、そう、誰かが突き指をして包帯を巻いたときに言い出したはず。
男子の間でだけ、しばらく流行っていた。

話を合わせつつ、今は二人だけだから、と勇気を忍ばせた。



「でもさ、

 ずっと封印してると、手つなげないよ?」


私の横まであと一歩のところで、日向くんの足が中途半端に宙で止まった。

少しして日向くんはまた歩き出した。

返事は保留のまま。

イルミネーションのある方へ、本日3回目となる待ち合わせのツリーを目指す。

真っ暗な公園は物寂しげで、やっぱり誰もいなかった。
お互いどこか急ぎ足だった。



「き、今日のおれは、また、さっきみたく、なるかもしんないから……」

「さっきって」

「ぎゅわって、なるかも」



抱きしめられた感覚がよぎる。
肩を引き寄せられたときの緊張が浮かぶ。

信号が赤になった。

立ち止まった。


ぎゅわって……


「なっても、いいのに」

「……」

「あっ、人が、人がいないときならってことで」

「いいのっ?」

「いいって、いつも……」


言っていたつもりだけど、言葉にするとはずかしいし、思い出すだけで顔から火が出そうだ。

信号が青に変わった。逃げろの合図。


さんっ、なんで走ってんの?」

「さ、寒いから」


口から出任せだった。日向くん、足はやい。もう追いつかれた。

目印になる大きなツリーが明るくきらめいていた。



さん」

「日向くん、前、前見て! ツリーすごいっ」


話題を変えるべく、鞄と紙袋をぎゅっと握って、もう片方の手で指さした。

だんだん人通りが増えてきた。


「きれいだね、早く行こっ」

さん」

「なにっ?」


な、に。


手、つかまっ、て、ビルの影。

夜のなか、白い息が外灯でうっすらとみえた、私たち。



「人いないから」



ちょっと脇に出たら大通りだよ。

言葉は浮かんでも出て行かない。ぎゅっとじゃ、なくて、ふわって、してた。同じ匂いがした。

近づいて、ぎゅ、と、はなれた。



「んっ、行こう」



そう、じゃ、なくて。

日向くんに手を引かれるまま付いていく。自分が幼子のようだ。

頭が回ってない。夢見心地だ。

ツリーはこんなに綺麗なのに、前を進む日向くんの後ろ姿にばかり心を奪われた。


「あの、日向くん」

「なに?」


なに、じゃなくてさ。


日向くんが動揺してないのが悔しい。
こっちは路地裏からずっとドキドキが止まらないのに、気づいてもくれない。

なんだか無性に腹が立って、つながった片手をぎゅうっときつく握りしめた。



「封印やめたの?」


手をつなげてうれしいくせに、わざとそう言ってしまった。




「そうだった!」



日向くんは思い出したように手をポケットにしまった。つないだままの私の手も、もちろん。



next.