ハニーチ

スロウ・エール 160






さん、嫌だったら、言って」



日向くん、そう言ってくれるけど、ポケットの中ではしっかり私の手を握っている。


ちゃんと、わかって、そういうこと言う。

繋ぎたくないわけない。

気持ち通じているのうれしい。
心の内をぜんぶ見透かされてはずかしい。


すき、降参。

嫌なはず、ない。



視線を上げると、日向くんが待っていたかのように、私を見ていた。


イルミネーション、まだ遠いはず。

だけど、日向くんの瞳はいろんな光で綺麗だ。

学校の誰も、こんな日向くんを知らない。

私だって全部は知らない。
そばにいると自惚れてみても、その奥底は全然わからなくて、読めなくて、ただ、こうやって向けられているのが『好意』だと、ほんのり自覚する。


こんな、見つめられたら、くすぐったい。

“すきだよ”って、言われてるみたい。


日向くんの瞳がちかちかと揺れた。
青信号の瞬きすら、日向くんのものに思えた。

止まれの赤信号がまぶしく感じて俯いた。




さん、……が、


なんも言わないと、


 おれは、

  都合のいいように考えて、


   ……暴走、します」




いきなり丁寧語になったから、少しだけ肩の力が抜けた。




「もう、さっき、してた」




日向くんがちょっとだけ気まずそうに頬をかいてそっぽを向いた。


大通りをちょっと入ったビルの陰、忘れたとごまかせるほど時間は経っていない。

なにより、ぎゅ、とされた感覚は、まだちゃんと全身に残っている。




「あ、あれはっ、さんが!」

「私が?」

「かわいッ、すぎたのが、悪い」

「かわっ!?」

「ん、さんの、せいだ」




日向くんがまだ赤だと思われた横断歩道に一歩進むと、魔法みたく信号機の色が変わった。




「だから、このまんま逮捕しとくっ」




日向くんの、ポケットの中は、あたたかかった。

指が絡む。




「ふ、封印じゃなくて逮捕なんだ?」

「あ、そっか、封印して逮捕だ!」

「それは……、すごく厳重に捕まってるね」

「んっ! そう」



横断歩道の先は、明かりという明かりを集め、クリスマスを出迎えるにふさわしく彩られていた。




「おれ、離さないからっ」




ぎゅ  と、あたたかさが、日向くんを実感させる。






「あっち!さん! でっかいツリーあるよ!」


「すごいね、行ってみ、」


「早くっ」


「ひなっ、走んなくてもイルミネーションは逃げないよっ」


「わかってる! でも、さん早く行こっ」


「も、わかったっ」






走りながら、気持ちぜんぶ、

日向くんに向かってた。




きらきら光るブルーの並木道。

あたたかなゴールドイエロー、暖色がきらめくクリスマスマーケット。
あちこち行き交う人混み、おしゃべり。

まぶしい発色のグリーンとレッド、聖なる夜の彩り。激しく賑わうステージ、演奏家の奏でるメロディー。

甘い匂いと熱気、大人たちのはしゃぐ大声とアルコール。ちょっと煙ったソーセージ、鉄板のはじけ焼ける音。湯気が漂うホットチョコレート、かわいいマグカップ、いくつも。


笑顔と喧騒の合間をすり抜ける冷たさも、冬も、白く溶ける呼吸も、ぜんぶトクベツにみえる。


日向くんがいるから。


手をつないで、いっしょにいるから。


全部、なにもかも違う。


夢みたい。





さん、これ?」



立ち並ぶクリスマスの屋台の一つ、ときめく気持ちを押さえようと一心にどこかを見つめていたら、欲しい商品があると思われてしまった。

手のひらサイズのスノードーム。

右手は日向くんのポケット、左手はカバンと紙袋の私。
代わりに、日向くんがその台座を手にして、まるいガラスの中を覗き込んだ。

揺さぶられて落ちてゆくラメと雪。



「きれいだよなー、キラキラいっぱい入ってるっ。
あ、この中のサンタ、英会話の先生のとこにあったやつと似てる。

ほら、さん見て!」


近づけられたスノードームの中のサンタは、絶妙に雪とラメをかぶっていて、顔はよくわからなかった。


「先生のところの、こんなだっけ?」

「ひげが似てるっ」

「ひげ……」


日向くんは商品を元の場所に戻した。

同じ商品を目で追ってから、前かがみになって、テーブルの上に隙間なく並べられたスノードームを眺めた。

中身は大きく分けて3種類だ。

サンタとトナカイ、雪だるまと小屋、冬の格好をした子ども二人。

あ、台座にアルファベットが刻まれている。
飾り文字、かわいい。

"mistletoe"

寄り添う二人の子どもは、男の子と女の子だ。

少年の手にはヤドリギ、そのすぐそばで微笑む少女のほっぺたに、彼の唇が寄せられている。

英会話の先生に教えられた慣習が頭をよぎった。



「それ、気に入ったの?」


思わずびくっと大げさに反応してしまった。

すぐに姿勢を正して、なんでもないって顔をしたつもりが、ごまかせなかったらしい。



さん、じっくり見てたから。これ?」

「それだけど」

「いいじゃん。 あれ、紐がついてる」



「そのシリーズ、オーナメントになるんですよー」


別のお客さんに買い物袋を渡し終えた店員さんがほほえんだ。

展示用のツリーにも、いくつか見本が吊り下げられている。
クリスマス当日とあって、割引もあるからお買い得です、とのことだ。



「じゃあ、これください!」



買うんだ。

日向くんがポケットから手を出したから、私の右手も自由になった。


空気、ひんやりする。


せっかく片手が自由になったから、サンタさんの顔を確かめよう。

見本の一つを取り上げてじっと見つめても、サンタの人形はみんな同じで愉快そうだ。



「そっちのがよかった?」



プレゼント用に包まれたスノードームを受け取った日向くんが言った。

あ、れ。



「はい、これ。クリスマスプレゼント」

「え!」


いや、だって、これ。


「なっ、夏ちゃんに、じゃないの?」

「夏はサンタから他のもらうから大丈夫。これは、おれからさんにっ」

「で、でも私」

「去年、来てくれた」



日向くんが包みを私の前に差し出した。



「そのお礼っ」



言いたいことは浮かんで消える。

可愛らしくラッピングされたそれを受け取ってお礼を言うと、日向くんは満足げに笑った。


私も、このスノードームの女の子のように、愛らしく笑えていたらいい。



「あ、荷物になるなら、おれ持つよ」

「こんな小さいんだよ? カバンのなかに……」



このカバン、あんまり入らないの、忘れていた。



「私、手で持っとくよ」

「そ、れだとさ……」

「ダメ?」

「だめじゃ、ない、けど……、そうだ、紙袋は?」



確かにその手もあった。

頷くと、日向くんが率先して紙袋を取り上げてくれた。

なりゆきのままにプレゼントをビデオカメラの箱の上に置いた。


「じゃ、日向くん、行こっか」


おなかも空いてきたし、あっちの食べ物系の屋台を覗いてみたい。



「日向くん?」

さん、忘れ物してない?」

「忘れ物?」


思わずさっきのスノードームのあった方を見た。

店員さんは、私たちにしてくれたのと同じように見本のツリーを指差して接客していた。


あっ、もしかして。


都合よく浮かんだ発想にどぎまぎしつつ、自分の右手をぎゅっと握りしめた。



「忘れては、ないよ」

「そ、そっか」

「……そういう日向くんは忘れてない?」



同じこと、思ってますように。

違ったらはずかしくて、ついそんなことを口にした。どちらともなしに黙った。


人が多くて並んで歩くのは難しかったから、言い出さなくてよかったとも思った。

前を歩く日向くんのコートを引っ張ったら、日向くんが振り返った。


「ま、前向いてて!」

「うん!」

「まっすぐ行ったら食べ物屋さんあったから、なんか買おう」

「わ、わかった」


たぶん今いちばん混んでいるのがこの方向だ。

そこを抜けたら人通りが減る。



さん、そのあと、手つなぐ?」



同じこと、思ってた。

日向くんの背中を押して、あとでね、と小さく告げた。
両想いって、すごい。



next.