ハニーチ

スロウ・エール 161





あっちもこっちも人出がある。
向こうのステージと食べ物屋さんの周りが一段とにぎわっていた。

二人並んで歩くのは難しい。
はぐれないように、日向くんのカバンの肩掛けを時おり掴んだ。

今日の午前は補講って言ってたし、さすがにバレーボールは持ってきてないよね、と思った時だった。


さん、これどう? いい匂いする!」

「“ウィーン名物カツサンド”……」


アンティーク調の木の看板に日本語と英語がおしゃれに並んでいた。

列の進みも早そうだし、確かに日向くんの言う通り、次々に揚がるカツは食欲をそそる。


「ここで買おっか。そこが列の後ろみたい」

「おしっ、決まり!」


出来た順からお客さんが商品を受け取っているから、あまり待たなくて済みそうでよかった。

日向くんが看板を眺めてから、バッと勢いよく振り返った。


さん、ウィーンってどこの国?」

「えーっと、国じゃなくて街の名前じゃなかった?」

「町?」


「オーストリアの首都ですよ、ウィーン」


屋台の中にいる人が会話に割って入った。

手際よくサンドイッチを作る動きは変わらない。

日向くんが少しだけ屋台の方に近づいて尋ねた。


「それってコアラいるところ? ですか?」

「日向くん、コアラはオーストラリアなんじゃ……」

「あれ、今なんて言われたっ?」

「オースト“リ”ア。コアラは、オースト“ラリ”ア」

「む、難しいな」


お店の人が笑いを噛みしめている様子に少しはずかしさを覚えつつ、カツサンド2つを注文した。
順々にあつあつのサンドを受け取って、これで夕ご飯ゲットだ。
大きなカツが紙の包みからはみだしていた。


「うまそー! どこで食う?あっち?そっち?」

「どっち!?」

「向こうにベンチあったっ」


空いているところなんてあるかな、と思うと、急に日向くんが走り出した。
これだけ人がいるのに、するり、と合間を抜けて行く。忍者かな。危うく見失いそうだった。
隅っこにあった向かい席で日向くんが手を振った。


さーん、こっち!」

「よく、空いてるの見つけたね」

「ちょうど人どくの見えたからさ。荷物へーき?」

「ありがと、かけとくから大丈夫」

「じゃあ食べよ、あっ! さん、そこ濡れてるっ」


日向くんが指さして、テーブルに触れかけた肘を慌てて浮かせた。


「おれ、ナプキンもらってくるっ。さん食べてていーよっ」

「あ、日向く、ん」


ティッシュくらい持ってきてるからいいのに、もう、行っちゃった。

早い。すばやい。後ろ姿も見失って、クリスマスの喧騒だけが変わらない。


「……」


日向くんがいないのに、先食べるのもな。

そう思った瞬間、日向くんが戻ってきて、あまりに早くて、なんだか笑ってしまった。


さん、なに?なんか面白いことあった?」

「んーん、なんでもないっ。それより、紙、そんないる?」

「お店の人がくれた。ついでに覚えてね、だって」

「覚える?」


日向くんがもらった紙ナプキンには、屋台の看板と同じく『ウィーン名物カツサンド シュニッツェル 』と『das Schnitzerl』と一緒に、オーストリアの国の形が印刷されていた。
星のついている位置こそがウィーンだ。

なるほど、お店の人が何も知らない私たちに一言添えてくれたってことか。

テーブルをきれいにしてから、改めて手を合わせた。


「「いただきますっ」」


“ウィーン”も“シュニッツェル”も馴染みのない単語だけど、この味と向かいの日向くんが頬張る姿で覚えられそうだった。

日向くん、ひとくち大きいな、と思ったら目が合った。


「んふぁいへっ」

「……日向くん、食べてからしゃべりましょう」



日向くんは返事の代わりに頭をタテに動かした。

時折なんでもない話をしながら、ふと日向くんの向こうから視線を感じた。

グループで座っている一人、髪の短い子。

あれって、もしかして、花火大会で再会したあの子じゃないかな。
立ってくれたら身長でわかるんだけど、と思ったら、みんなで移動するらしい。立ったときの身長で確信した。

相手も私に気づいたようだ。

試しに手を振ってみると、相手からも手を振り返されて確信した。

日向くんも後ろを振り返って、また私を見た。


さん、知り合い?」

「そうみたい」

「呼んでるっぽいし、行ってきていいよっ」


日向くんが言うように、向こうで手招きしていた。

どうしようかと思ったけど、お言葉に甘えて荷物もそのままに、その子たちの方に近づいた。
一緒にいる子たちは、彼女の今の学校の人たちで、同じバレーチームだったわけじゃない。
好奇の視線に晒されながらも、それは嫌なものではなかったから、気にしないで声をかけた。


「久しぶり」

「やっぱりだ! こないだ花火で会ったし、うちら、縁あるね」

「すごい偶然だよね。 サッカー部でクリスマス?」

「なんでわかったの?」

「前に会ったとき、サッカー部って言ってたから」


そう答えると、相手は嬉しそうに顔を綻ばせて、ポジションとセットで一緒にいる子たちに紹介してくれた。
私のことは、名セッターだったと大げさに説明してくれたけど、みんなセッターという単語自体知らないようだった。
そういえば、バレーを知らない人ってこんな反応だったよなと懐かしく思った。


、これあげる」

「なに?」

「ジンジャークッキー、いっぱいあるから。一緒にいる人にもあげて」


その子は、向こうに座っている日向くんを指差した。

ちょうど日向くんがこっちを見ていた。


「こんなに、いいよ」

「いいの、みんな、この味好きじゃないっていうから」

「まずいから押し付けようとしてる?」

「おいしいって、ほらっ」

「んっ!」


いきなり口に放り込まれたクッキーは、異国情緒を感じさせるスパイシーなものだった。

確かに好き嫌いは分かれそうだけど、拒絶するほどまずくはない。
クッキーはそのままもらい受けると、彼女は満足げに笑ってから、ふと表情を変えた。


、ここの体育館なくなるんだって」

「う、ん」


私以外のメンバーも気にしていたことにびっくりしつつ、口に残る不思議な味わいを飲み込んで続けた。


「来年の3月までだってね」

「知ってたの。そっか、のまわり、バレーしてる人ばっかだもんね」

「たっ、たまたま教えてもらっただけだよ」


いざ、なくなると知ると、惜しくなるのが人間だ。

あの体育館のある方を見たけど、イベント用のテントの下では何にも見えるはずなかった。


ぽつり、と浮かんだ、思いつき。



「もし、さ」



言いかけたけど、その子の連れの人たちが声をかけてきた。時間ごとに色が変わるイルミネーションを観に行くようだ。

ずいぶん引き留めてしまった。

もう離れようとしたとき、腕を掴まれた。



、なに?」

「え」

「いま、言いかけてたじゃん」



もし、の続きが、喉元で引っかかる。



「なんでも、ないよ。クッキー、ありがとう。メアド変わってないよね?」

「前のまんま。 、あのさ」



グループの子が声をかけてきたけど、彼女は構わずに続けた。


「チームって、もっと話し合った方がいいって思った」


続いた彼女の話は、半分くらい、何を言われているか受けとめきれなかった。

きっと今いるチームで思うところがあったんだろう。
唐突だったし、あのときの決勝のことを彼女から言い出されたことにもびっくりした。

私だけじゃ、なかった。
その事実だけで胸がいっぱいだった。

気づく速度も、何に気づくかも、人それぞれだ。

真剣な眼差しが、やっぱり昔と変わらない。
ずいぶん前のことなのに今だけタイムスリップした心地だった。

でも、私たちはもうあの頃にいない。








、ごめん! す、すごく語りすぎた」

「いいよ、……また話そう」

「うん、絶対ね」

「約束。それより、時間へーき?」

「そうだった」


どうやら、1時間おきに切り替わるイルミネーションが評判らしい。
クリスマスバージョンは、当日の今日までだから見逃したくないそうだ。

彼女自身は興味がないとぼやいて、同じチームの子たちに連れられて行った。











「日向くん、ごめん! 待たせちゃった」

「いや、そんな待ってないよ」

「あ、お土産」


彼女から受け取ったジンジャークッキーをいくつか手渡すと、日向くんはしげしげとクッキーを見つめた。

強く握りすぎていたらしい。
ジンジャーマンの一つがおなか半分でひび割れていた。


「日向くん、交換しよ。こっちの割れてないから」



クッキー、が、手の中で砕けた。


手、握られたから。

強く。




next.