「あのっ、 ……怒ってる?」
声をかけた途端、日向くんは手を離した。
「お、怒ってない!
そのっ、手、べたべたしてるから洗ってくるっ。クッキー、ありがとう!」
日向くんは、簡易なテーブルにも椅子にもガタガタとぶつかりながら席を立った。
もう姿が見えない。
行き交う人の波が引いては寄せて、クリスマスの活気がさらに広がっていた。
そんな中、日向くんに握られた感覚は、ちゃんと残っていた。
手、べたついてなんかなかった。
ジンジャークッキーが嫌だった?
友達といつまでもしゃべって待たせすぎた?
わかんない、そんな、急に。
あんな、ぎゅっと、強く、痛いくらいだった。
手の中にあったクッキーの袋。
そのなかのジンジャーマンは、にこっとした口も、丸くかわいい目も、全部砕けて割れていた。
元・チームメイトに言われたことがよぎる。
もっと話した方がいい。
それは、チームに限らず、なんでもそうだ。
「……」
自分の分のクッキー、今は食べきれそうにない。
紙袋を覗いて、日向くんからもらったスノードームの上にそっと置いた。
「ごめん、さん、混んでたっ。あれ、こっちは人減ってんね」
「イルミネーション、時間で切り替わるんだって。みんなそれを観に行くみたい」
「そうなんだ、おれ達も行ってみる?」
「う、ん」
片づけをして、人の流れに沿って歩き出す。
鞄と紙袋はちゃんと持った。
日向くんが少しだけ先を歩いている。
「こっち?」
「そうっ」
「人、増えた気がする。はぐれないように注意しないと」
なんで、こっち向いてくれないの。
「日向くん」
「ぶつかりそうだし、先歩くからさんは後ろにいて。カバンとか服でも引っ張ってていい」
「……」
「さん?」
ごめん、ぼーっとしてた。
顔も上げずにそう告げた。
本当は、どうしたの?って聞かれることを期待した。
ちらりとあげた視線の先の日向くんもまた伏目がちだった。
「じゃあ、さ……カバンのここ、掴んでて」
「わかった」
わかって、ない。
いま言ったこと、矛盾してる。
なのに、歩いてる。
違和感あるのわかってるくせに、足を動かしていつもと変わらず進んでいく。
楽しそうに笑いあう人たちの中で、なんでこんな気持ちでいるんだろう。
みんなの流れを乱さないように、胸の中にある居心地の悪さを見ないふりする。
日向くん、すぐそこにいる。
背中だけ見てたってなんにもわからない。
ねえ。
なんであんな、手、ぎゅっとしたの。
なんで、今、こっち向いてくれないの。
何かしたかな。
なに、間違えた?
聞ける距離。
日向くん。
肩を叩いて、こんなすぐ近く。
聞くだけでいい。
聞くだけで、 もう、そばにいれなくなったら。
じっと、待っていたら、時間が解決してくれる。
間を置いた方がいいこともある。
疲れたり、タイミングが合わないこともある。
動くことがすべてじゃない。
あっ、そ
もう いい
聞きたくない
き き た く な い
『 なにもしない 』 は、もう、イヤだ。
“私は”、
今日の、1分、1秒、ほんのいっしゅんも全部、日向くんと大事に過ごしたい。
「日向くん!」
もうすぐイルミネーションの目玉スポットに辿り着くところだ。
人の密度が上がっている。
声、大きかった。
周りの人、なんだろうって顔してた。
明かりが特別な輝きになるのを心待ちにしている、いまこの瞬間。
見てからでいいのに。
もう光るのに。
やめた方がいい。
それ、でも。
これから始まるライティングより、ずっと、ずっと、すぐそばの、夜に紛れそうな日向くんのほうが気にかかる。
気持ちに、素直になれ。
力を込めた、おもいっきり。
「うえっ!?」
カバンの肩かけ部分を強く引っ張ると、さすがの日向くんもバランスを崩した。
後ろに倒れかけた肩を両手でしっかり受けとめた。
自分から近づいたくせに、ドキッとした。
予想よりずっとお互いの頬がくっつきそうだった。
はなれたほうがいい。
でも、はなれない。
囁いた。
「日向くん、忘れ物してる」
「わす、れものっ?」
日向くん、声、裏返っていた。
こんな、人がいるところで何してるんだ。
強情な気持ちがあふれだす。抑え込め、いつもの自分。
聖なる夜、“いい子”でいるのはもうたくさん。
がんばれ、私の右手。
左手、つかんで、勢いのまま、ぎゅうっと。
前だけを見据えた。
乱れた息遣いが、夜の中で白く揺れた。
「さん」
「ふ、ういん、したから」
声、ふるえた。
私のポケット、日向くんのコートより小さい。
はみでている、二人の手。
「離せないから」
イルミネーション、はじまる。
一斉に暗くなって、一転、すべてのライトが目覚めたように輝いた。
音楽が流れ出す。
「すっスイマセン、
ごめんなさい、
通りますっ!」
日向くんが人の流れに逆らって歩いた。
封印したはずの私たちの手は、ポケットに入れておけなかった。
手、離れそうで、ぎゅっと握ると、同じ強さで握り返された。
音楽と共に、色が変わっていく。
夜空のパレットからとっておきの星だけを今ここに飾り付けたみたい。
ぱぁっ と、明るくなって、瞬く間に落ちついて、時にまぶしく優しく、この場所も、見守る人たちも、あたたかく照らされた。
冬の美しさ。しあわせをちりばめた光景。
明るい方へみんな目指す中、二人、逆行していく。
迷惑になる。迷惑だこれ。
「さん、付いてきてる?」
「うんっ」
「向こう、行こうっ」
「行く」
なんでだろう、どうしてかな。
いま、すごく、二人になりたい。
今日、何回目だっけ。
そう思いながら、待ち合わせ場所だったツリーのそばを通った。
ツリーは、変わらずに光っているのに、周囲にいる人はまばらで、どこか寂しげにさえ見える。
クリスマスは今日までだから、明日には片づけられてしまうんだろう。
「日向くん」
一心不乱、ともいうべきか、イルミネーション会場からずっと歩いてきたから、日向くんも急ブレーキをかけたように止まった。
「なにっ、どうかした?」
「ツリー、これ」
「これがなに?」
「一緒に、写真撮りたいなって」
「いいよ、撮るっ」
「一緒にね!」
「わかった、こっち立って」
「じゃなくてっ、日向くんも入ってほしい」
ツリー、と私、と日向くん、じゃなきゃ意味がない。
おそるおそる様子を窺うと、日向くんが一瞬固まっていて、視線がぶつかると目が覚めたように『わかった』と頷いた。
「スイマセン! 写真撮ってもらってもいいですか」
通りかかった人に日向くんが声をかけた。
その人は了承してくれて、日向くんの携帯電話を受け取った。
いや、たしかに撮りたいとは言ったけど、ここまで人に頼むなんて。いや、撮りたいんだから撮るんだ。
「さん、ポーズどうする?」
「え、あ、ピースサインで!」
「わかったっ。じゃあ、お願いしますっ」
もっと気の利いたポーズ、考えておけばよかった。
写真を撮ってくれる人は親切だった。
もうちょっとこっちに寄った方がいい、とか、ツリーの光るタイミングに合わせるから待って、と調整してくれたおかげで、絶妙にきれいに輝くツリーと二人の写真は出来上がった。
「ありがとうございましたっ」
「ありがとうございました」
「どういたしまして、メリークリスマス!」
メリークリスマスっ。
日向くんと私のはずむ声も重なった。
もう一度日向くんの携帯電話を覗き込んで、二人顔を見合わせた。
「ばっちりだね」
「さんに送るっ」
「後でいいよ、帰ってからで」
「帰んの、もう?」
残念さが滲む声のトーンに、控えめに首を横に振った。
「もうちょっと、……いっしょにいてから、で」
「やった!」
日向くんが嬉しそうに携帯電話をしまった。
「さん、手貸して」
重ねた手のひらはぎゅっとして、今度は日向くんのポケットに収まった。
「やっぱさ、こうしてんのあったかいっ。
さんもそう思わない?」
「思うっ」
「だよなっ、離してるとさ、なんか物足らない。もっと、ちゃんと握っとかなきゃって」
興奮気味にしゃべりながら、何故か向かっていたのは、バドミントンをした公園だった。
夜は寒いけどずっと早足で人混みから遠ざかってきたから、ポカポカしていた。
日向くんにまたバドミントンがしたいのかとためしに聞いてみると、そう言う訳ではないと答えが返ってきた。
そりゃそっか。
手を繋いだまま、夜の公園をあてもなく歩いた。
遠くを振り返ると、イルミネーションのある方は、夜空まで明るくなっていた。
そのおかげで、あの体育館の屋根も見えた。
1本の電灯とベンチがあるところで、日向くんが足を止めたから、自然と隣で止まった。
「手、離しますっ」
そんな宣言しなくても。
そう思いながら、また手を離した。この離れる瞬間、少し切なくなるのを何とかできないんだろうか。
日向くんがカバンをベンチに置いてまさぐっていた。
「探し物?」
「そうっ、あ、でも、ちょっと待って」
いきなり立ち上がった日向くんは、どこか行っちゃうかと思った。
私を抱きしめるだけだった。
next.