ハニーチ

スロウ・エール 164







目を、逸らしてしまったのは、なんでだろう。


日向くんが喜んでくれてうれしいのに。

私だって、日向くんのこと、ちゃんと、すきだ。


ただ、真っ直ぐに見つめ返せばいいだけなのに、なんで、できないんだろう。






「帰る?」

「えっ!」

「いや、そりゃ、もっと一緒にいれたらうれしいけど、さすがに遅いし」


日向くんが言うのはもっともだ。

もうちょっと一緒にいたいとツリーの前で話してから、さらに時間が経っていた。
クリスマスをお開きにするには、ちょうどいい頃合い。

日向くんが自分のカバンを手にして、私の荷物をベンチから取り上げて差し出してくれた。


「はいっ、さん」

「……ありがと」


自分の口と表情が合っていないのは鏡を見なくたってわかっていた。

私って、本当に可愛くない。

荷物を受け取って、空いたベンチに腰を下ろした。



「……」



日向くんも私の隣に座った。


お互い無言のまま、時間だけが過ぎていく。

風も横切っていく。


もう帰らなくちゃ。

帰るべきだ。


頭ではそう思うのに、なんでだろう、一歩も動きたくなかった。


日向くんが立ち上がった。

まさか、一人で帰っちゃうのかな。

不安になって見上げると、笑顔一つ返ってきた。



「待ってて」



い かないで。

言葉を発することもできず、ただ、目だけで日向くんを追いかけた。

立っている電灯の数が少ないけど、自動販売機の前で日向くんの影が動いているのはわかった。

戻ってきた日向くんが腕に抱えていたのは、いつか私が買った時と同じココアの缶だった。

今回は1本じゃなくて、2本。


「はいっ、熱いよっ」

「あ、ありがと」


確かに熱くて、すぐに缶のプルタブに爪をひっかけるのも難しい。
開けるのは後にする。

となりで日向くんも『あちッ』と小声で漏らしつつ、ココア缶に悪戦苦闘していた。
その間、もらった缶をホッカイロ代わりに両手で握っていた。

ほかほかの湯気と甘い匂いが立ち上る。

日向くん、おいしそうに飲んでいる。


さんも飲む?」


勢いよく日向くんが差し出すから、ちゃぷん、と中の液体が波立った。


「自分の分、もらったよ」

「開ける?」

「まだ、いい」

「そっか。あったかいよな、こう持ってると」

「うん」


日向くんのココア缶からは、白い湯気がずっと立ち上っていた。

缶を膝の上に転がして、紙袋から、さっき元チームメイトにもらったクッキーを取り出した。

粉々に砕けたクッキーのかけらは、ジンジャーマンの形をしていた面影はないけれど、一口分として摘まみ上げるにはちょうどよかった。

日向くんが、私の手元を覗き込んだ。



「それ……、さっきもらってたやつだっけ」

「そう」

「仲、よさそうだった」

「え?」

「な、なんでもない!」


日向くんがまたココア缶を元気よく口元に運ぶと、勢いがありすぎたらしくむせていた。


「だ、だいじょぶ?」

「一気に喉にきて、おぼれかけた」

「それは気を付けてっ」

「もうちょいゆっくり飲むことにする!」


ココアでおぼれる危険を回避した日向くんの横で、もらったクッキーのひとかけらを口に入れた。

食べたい、というより、自分に欠けている何かを埋めようとしていた。

ただ、わかってはいたけど、クッキーで、何かすっぽりと抜けた穴や寂しさは埋まらない。

ほろり、とクリスマス特有のスパイスの香りが鼻を抜けて行った。


ふと、視線に気づいて、もうひとかけらつまんだ。



「日向くんも食べる?」

「え!?」

「味、好き嫌いあるかもだけど」


友達にされたみたく、開いた口にクッキーを放っていた。


「ん!!」

「小っちゃかったから、味、わかんない?」

「わか、わかった、味は!」


あ……

取り損ねたクッキーのかけらが、ころん、とコートを滑って、地面に落ちた。

自分でいま、クッキーあげといて、今さら動揺するなんて。
ぼ、ぼーっとしてた。何にも考えてなかった。

となりを見れば、口元を押さえた日向くんが、きっと、たぶん、照れていた。


「な、んか、大人の味した」

「しシナモンがっ、入ってるから、そう、感じるのかも」

「食べたことない味……、嫌いじゃないよ」

「も、もっといるならあげる、いっぱいもらったから」

さんは、誰にでも……やんの?」


なにを言われたのかわからないでいると、日向くんはすぐに『なんでもない』と付け加えた。


「な、なにをやるの?」

「だからっ、なんでも、ないって」

「こ、こんな風に、食べさせたりなんか……男子に、したことない」


同姓でもかなり近しくないと気まずい。

想像したってクラスメイトの誰であっても、いま日向くんにしたことをできそうになかった。



「でも、さっきされてた」


「されっ、それいつ?」



日向くんがゆっくり飲むと言っていたココアを一気にあおった。


「缶、捨ててくるっ「だっだめ」


今にも走っていきそうな日向くんのコートを引っ張った。


「それは、後っ、でいいと思う」

「そ……だね」

「そう、です」


日向くんが、すとん、とまたベンチに座った。


「さっき、されてたって、何のこと?」

「なんかっ、くやしかった」

「……それ、質問の答えになってない」

さんに、クッキー、食べさせてたっ」


ごった返す人混みのなか、チームメイトに味見とばかりにクッキーを口に入れられたことを思い出す。


「仲……よさそうだった、から」

「そりゃ、だって」


かつてのチームメイトだから。

同じ、バレーをしていた仲間だから。

バレーをするだけで苦労してきた日向くんに説明するには、少し足踏みしてしまう相手ではあった。



「かっこわるい、のはわかってる。自分で行って来たらってつったのに」

「日向くん、……やきもち?」


ぽつりと呟くと、確信をついてしまったのか、日向くんが決まりが悪そうにそっぽを向いて、自分の髪をクシャ、と握って言った。



「おれも、クッキーもらっていい?」

「う、ん……、割れてるけど」

「いい!」



紙袋から2袋出して日向くんに渡すと、すぐにビニール袋は開けられた。



さん、口開けてっ」


え、なんで、私。

そう思いつつ、日向くんに言われるがまま口を開けると、同じ味のクッキーを入れられた。

さくさくさく、もごもぐもご。

何を言えばいいかわからず、ただ、クッキーと共に状況を咀嚼しようとした。
飲み込んでも、やっぱりよくわからなかった。


さん、もう一回!」


なぜ。


疑問は浮かんでも聞き返せず、勧められるまま、もう一度口を開けて、また同じクッキーを味わった。
そんなにこの味が好きなわけじゃないから、まだ残っている自分のクッキーはしまっておこうと誓った時だった。



「これで、おれが2回!」

「……2回?」

「だから、おれの勝ちっ!」


日向くんは残ったクッキーを自分で食べ始めた。


「誰に、勝ったの?」

さんの、さっき仲よかった人」

「……」


それって、さっきの子、だよね。

あっ、そっか。

あの子が私にクッキー食べさせたのが1回だから、今ので日向くんは2回ってことだ。

そっか……



さん!?」


日向くんにもたれると、わかりやすく日向くんがビックリしていた。



「さっきの人、女の子だよ」

「え!?」

「サッカー部だから、今は髪も短くしてるんだと思う」


思い返してみれば、身長もすらりと高く、着ていた服もどこか落ちついた色合いだった。



「昔……

いっしょに、バレーやってた子なの。

仲よくみえたんなら、それが理由かな」


よし、と気を取り直して、ベンチに座り直した。

膝上の置いていたクッキーを片付けて、程よくぬるくなってきた缶に手を付けた。

甘いあたたかさが、体の芯を通っていく。



「ど、どうしたの!?」



唐突に日向くんが天を仰ぐから、何かと思った。



「おれ、すごく、かっこわるい……!!」

「いやっ、でも、ちゃんと説明しなかった私が悪いから……、聞いてくれていいのに」



いつも、そうだ。



「日向くん、いつも私に遠慮してる。

さっきも、なんで帰らないかって聞いてくれていいのに、黙って、そばにいてくれて。

みんなに、バラしたくないって言うのも、私を優先してくれてるからだし」



もっと、全部みせてくれていいのに。

なんで言ってくれないの。



そうじゃ、ない。



「わたし、だよね。
 私が、もっと、ちゃんとしないから」


さん……」


「日向くんにだったら、なんでも、わたし」



身体の向きを変えて、日向君の肩に手を寄せ、そっと、目を閉じた。


next.