ハニーチ

スロウ・エール 166






“ つけてる!!! ”






朝一番に届いたメールは、本人の声で聞こえた。


なんてことのない、ひとこと。

同じようにすぐ返事を考えた。


私もつけてるよ


早く切れた方が、とまで打ち込んでから、やっぱり消して送った。

願いが叶うために切れて欲しい。
まだ付けていてほしい。

二つの矛盾した想いが胸に浮かんだ。


日向くんのくれたプロミスリングを眺めた。

少しだけ個性的な編み目、私が作るのとはまた違う、たった一つの手作り。

これを編んでくれた時間は、私のことを考えてくれていたんだろうか。
そうだったら、うれしい。

布団から出るのが億劫になる冬の早朝でも、すぐベッドから降りられた。

今日から受験生に戻る。昨日は夢じゃない。

ラメの沈んだスノードームを揺らし、一瞬だけきらめきを創造してから、着替えを始めた。





















「なっ、坂ノ下が閉まってる!?」


ふさふさとした帽子をかぶった学ランの人がそう叫んでいた。
きっと烏野の人だ。

従兄にマフラーを朝イチで返そうと向かった坂ノ下商店、いつもなら朝早くからやっているのに、今日に限ってはお店が暗い。
年末休みにしては早いような。

がっくりと肩を落としたその人は、とぼとぼと歩き出す。

朝飯まだだったのに、とか、あんだけ飲んで帰ってラスイチのパン食うのかよ、とか、いろいろ呟いているのが聞こえた。

わ!

いきなりその人が振り返った。



「坂ノ下、閉まってんぞ」

「あ、はいっ」


親切にもお店が閉まっていることを教えてくれたその人はまた歩き出す。

きっと同じ烏野高校の生徒と思われたに違いない。

どうしようと思いつつ、坂ノ下商店の入り口に近づくと、テープが2カ所張られていた。

あれ、と視線を落とすと、風で飛ばされたらしいプリントが一枚。

拾い上げると、ボールペンの走り書き。


--

故障につき、入り口の電気は消灯中。

営業中!

--


従兄の字だ。

そっとドアを開けてみると、中に入れた。

レジにはおばさんがいた。


ちゃん、いらっしゃい」

「おはようございます。あの、ここの電気って」

「あー、昨日取り換えたんだけど点かなくてねえ」

「けーちゃん、電気屋さんに行ってるんですか?」

「いんや、もう一つ換えがあったから、それ取りに行ってもらってるよ」

「あーー……」


それがダメなら電気屋さんを呼ばないと。この師走に困ったもんだわ。

おばさんがそうぼやいているのに相槌を打ってから、お店を飛び出した。


さっきの人、いないかな。

いた!


呼びかけるの、変かな。

わざわざ話しかけるのも。


そうブレーキのかかる心を前に、一歩だけ勇気。



「あのっ!! 坂ノ下、やってましたっ!」



相手の足は止まらなかった。

となりに回り込むと、相手は飛びのいた。


「うおっ!?」


「す、すみませんっ」


「なっ、なにっ?」


「あの、さっき、坂ノ下、やってました」


「ぇ……、閉まってたろ」


「あ、なんか、電気消えてるだけで、入り口の。この張り紙落ちてて」


って、張り紙、入り口のところに貼り直すべきだった。

拾ってそのまま持ってきちゃった。

反省していると、話しかけたその人は噴き出した。


「やってんのかよ! わざわざ教えてくれてありがとなっ」

「い、いえ!」

「これで朝飯にありつけるぜっ」


ダッシュしていくその人は、足がとっても早かった。

帽子のふさふさが揺れていた。

あんな感じの帽子も冬らしくてかわいい。
次、日向くんと会う時にかぶろうか。

って、昨日会ったばかりなのに、もう会うこと考えてる。

気合い、入れ直さなくちゃ。
影山くんに偉そうなこと言えなくなる。

また坂ノ下商店に戻ってくると話し声が聞こえた。


「鍵当番でもないのにどうしたんだよ。今日、雪降るんじゃないか?」

「なんスか、それ。昨日の夜、すげー酔っ払いが、おっ!」


さっきのふさふさ帽子の人と、お店の入り口でばったり。
ビニール袋を下げていたから、この人の渇望していた『朝飯』はゲットできたようだ。

どちらともなしに道を譲り合って止まってしまうと、一緒にいた人が『先、どうぞ』って一言声をかけてくれた。

会釈すると、去り際に言われた。


「サンキューなっ!」


私に、だった。

もう一度頭を下げて、店内に入ると、おばさんがレジにさっきと変わらず座っていた。
背後で、ふさふさ帽子の人にもう一人の人が話しかけているのが聞こえた。
誰だよ今の子。なんでもないッスよ。

カバンから、きちんと畳んだマフラーを取り出した。

入り口の電気は暗いまま、店内のどこにも従兄はいなさそうだ。

直接渡したかったけど仕方ない。


「おばさん、けーちゃんにこれ、昨日借りたからありがとうって」

「ああ、だから、今朝つけてなかったの」


優しい従兄が、私にマフラーを貸したせいで風邪をひいてしまったら、心苦しい。

今度、お礼しなくっちゃ。

たぶん年明けにでも集まることもあるだろうし、その時にお酌でもしようかな。
未成年はお酒は差し入れできないし。



「あ、おばさん、あとね、ビデオ大丈夫だったって言っといてもらっていい?」

「ビデオ?」

「そう伝えてくれたら、けーちゃんわかるから」

「わかった、戻ったらすぐ言っとくよ」

「ありがとう、おばさんっ」


用事も済んだし、早く行かなくちゃっ。

くしゃ、とポケットで紙の歪む音がする。

入り口のプリント、貼り直さなきゃ。そう思ったのに、入り口の扉にはもう紙が貼られていた。


--

電気は消えてるけど、やってます!

営業中!

--


従兄の字とは違う。

上の行と下の行でも、文字は違った。



「ああ、さっきの子たちが書いてくれてね。飛ばされてたって。
今度は四隅にテープ貼ったから」

「そう、ですか」

「烏野高校の生徒さんよ。あの子たちはバレー部だね」

「バレー部……」


いつかの烏野高校バレー部の真っ黒なジャージが頭に浮かんだ。
祖父の家にあった、たくさんの写真のことも。
日向くんが、黒いジャージに身を包んでいるイメージも、一緒に。

おばさんと、祖父の病態について少しだけ会話してからお店を後にした。

おじいちゃんがいなくなったバレー部は、いま、どんなだろう。

来年を、思わずにいられなかった。

















まだ、



いない、か。



2回目とはいえ、他校に来ると、やっぱり緊張してしまう。

北川第一中学校。

今日もまた、どこか厳かな雰囲気をもって立ちはだかっていた(単純に、私があの試合のイメージを持っているだけかもだけど)

前回来た時は放課後だったから、北一の生徒がたくさんいたけど、どこの学校も今は冬休み期間、ちらほらと人が行き来するくらいだった。

今日は午前中に影山くんと勉強会だ。

おととい会ったばかりだけど、目標とする学校のレベルと影山君の学力を考えれば時間はいくらあっても足りないくらい。
私だって、午後は冬講習で、年明けにはラストの模試、少ししたら本番の入試とあって、ゆるんでいる場合じゃない。

手首につけたプロミスリングがあることを指先で確かめる。

会いたくなる。


おかしい、気を緩めちゃダメだって自分に言い聞かせたのに、もう、いま緩んでる。


腕時計をたしかめた。









制服の影山くんは、一昨日会ったときと変わらずだった。

いや、ちょっとだけ表情が明るい、かな。



「おはよ、時間ちょうどだね」

「待ったか?」

「ううん」



いつも待ち合せしているスポーツセンターは年末年始で休館となっていたから、午後からバレーの練習がしやすいといって、今日は北川第一で待ち合わせした。


「で、どこ行くの?」


土地勘があるのは影山くんだ。

近くに公立の図書館や文化センターでもあるのかと思っていた。

影山くんは迷わず歩き出した。校門の内側に。


ちょっと待って。



「なんだよ」

「あの、ここ、北一だよ」

「決まってんだろ」


なに、堂々と言っているんだ、この人。


「あのね、私、他校。勝手に入ったらダメなの」

「……そうなのか?」

「そ、だよ」


ガクッと肩が自然と落ちてしまう。

誰だ、影山くんに自習できる場所を任せたの。 私だ。人選、ちゃんと考えろ、自分。


「え、なに?」

「黙ってりゃいいだろ」

「えっ!? えっ!!」


影山くんに腕を引っ張られるままに校門を超えてしまった。

幸い、守衛さんはいなかった。


いいのか、という疑問を道連れに、どんどんと踏み込んでしまう。

前回の自分は一人でコレをやってのけたのか。ほんと、なにやってたんだろ。




next.