ハニーチ

スロウ・エール 17


「おはよう、さん!休みの間中考えて書いてみた!」


冬休み明けの教室、待ち焦がれていたとはいえ日向君がまっすぐ自分のところに来るとは夢にも思っていなかった。
当然、言葉はすぐに出てこない。

私の机の上には画用紙、それと日向君の手のひら。


「日向なに突っ立ってんだ、ホームルームやるぞー」


時が一瞬止まってたんじゃないかって思ったけど、日向君は短く返事をして自分の席へと戻った。
クラス中の注目も一旦解かれて、遅れて早まった鼓動を感じながら久しぶりの号令のため席を立った。


「はりきってんじゃん、日向」

「字、もっときれいに書けよ。ここなんか鉛筆の跡残ってるし」

「消し忘れじゃね?」

「う、うるせー……」


休み時間になると日向君はすぐまた私の席にやってきた。
こっちは冬休みぶりに顔を合わせられてどぎまぎ戸惑うのに、日向君は休み前と変わらずに作成したポスターをまた見せに来てくれた。

クラスの男子も、日向君がいまだにバレー同好会として頑張る姿をなんとなく認めているような気もする。
なぜか私の机を中心に他の男子も集まってきて、日向君が冬休み中考えたらしいデザインの感想(文句?)を言っていた。
目立つ色、バレー部員募集中の文字はこれまでの時間分だけ想いがこもっているように見えた。


もよく付き合うよなー」

「え」

「うちも女子マネ欲しー」

「いや、えっと……」


、先生呼んでる」

「あ、うん。ありがと……」


修学旅行のバス席が隣だった男の子に声をかけられて日向君達から離れる。
背後から聞こえるざわめきは新歓ポスターからかけ離れた騒ぎ声にいつの間にか変わっていた。
声をかけてきてくれた人はぶっきらぼうな物言いだなと思う。
さっき日向君の右側にいた人はなんか軽い感じ。
その更に右はしゃべりやすい方…かな。

日向君のおかげで男子と話すのも前よりは緊張しない気がする。
あ、日向君がいたからかも。

人知れず日向君に感謝して、職員室で必要なプリントを受け取ると、ついでと言って新入生歓迎会に関するプリントももらった。
てっきり家庭科部のためかと思ったら、

「ポスター、頑張ってるらしいな」

と言われたので合点がいかなかったら、話を聞くにバレー同好会もといバレー部員募集のことを先生は話題にしているらしかった。


のご家族はバレーをやっているんだってね」

「はい」

「早く本領を発揮できるといいな」


本領とはなんだろう。まさか私が監督をやる訳でもないし、名選手になれということ?
疑問を口にする気もないが、別のクラスの先生が手を挙げるのを見た。


「先生ー、3番に電話です」

「あ、はい。じゃあ、よろしく」


「はい。……失礼します」


受け取ったプリントをしっかりと重ね合わせて、職員室を後にした。
中はストーブが効いていたのに、廊下は極端に冷える。雪が降ってもおかしくないくらいだ。
時計を見るともうすぐ授業が始まりそうで、少し早歩きで教室に向かった。

通り過ぎようとした視聴覚室から声が聞こえる。
不意に真横の扉が開いて、目元を赤くした同級生が出てきたのは驚いた。


「あ、……!」


私に気づいてばつの悪そうな顔をして彼女は走り去った。
何にも知らない顔をするのって難しい。
通り過ぎる時にチラと見えた室内には、何人か別のクラスの面々がいた。

後で掃除をしている最中に、友達に聞いたところ、新3年生として今後どう進めるかを話し合っていたらしかった。


「なんかね、今年の3年がほぼ戦力だったらしいよ」

「確か準決で負けだったよね」

「そうそう。だから次は優勝ってキャプテン引き継いだ子はやる気あんだけど、同学年の人たちは楽しければいい派らしくてさ」

「あー……、そういうのってつらいね」

「ね、同じならいいけど」

「美菜ちゃんとこも朝練あるじゃん?同じ感じなの?」

「うち?うちも朝練来ない人は来ないよ」

「そうなんだ、……大変だね」

「でも、そういう人は先輩でもコンサート出さないからへーき。自己責任って」

「あ、実力主義なんだ」

「うん、オーデあるし。吹奏楽は人数いるし。ただ、しーのところは大会出れるギリギリの人数だから。あ、しーってっちが見た子のこと」

「うん、わかるよ。四ノ原のしーね」

「そうそう」

「四ノ原さんって真面目なんだね」

「ねー」


毎年訪れることとはいえ、部員の入れ替わりはどの部活動にとっても重要な意味を持つ。
一人じゃできない、一人じゃ立てない舞台。
中学3年生が受験に染まる頃、2年生の私たちは否応なく次に来る季節を実感する。
この廊下が寒くなくなる頃、窓の外の桜も咲いたかと思えば、すぐに散り始め、新一年生が入ってくれるように勧誘する。

ついこの間まで中学1年生だったのにあっという間だ。
来年の今頃も同じようにあっという間だったなと思うのかな。
未来を想うとふと寂しさが過る。


っちって彼氏いる?」

「え!!い、いないよ」


唐突な質問に声が裏返った。


「そっか、よかった」

「ななんで?」

「なんかね、ふふ、秘密」

「秘密って何!?」

「えー、うちから言ったら怒られるもーん。秘密ー」

「え、……え?」

「あとそーだ、っち、しょーちゃんとも付き合ってないよね?」

「しょーちゃんって……」

「ひなちゃん、日向翔陽」

「つ……付き合ってないよ」

「そうだよねー、しょーちゃんちっちゃいし。二人仲いいよね」

「う、うん…」



友達の相槌にこっそりと傷つきながら、箒でゴミを払った。



「そういう美菜ちゃんは彼氏いるの?」

「いないー」

「そっか」

「でも、好きな人はいる」

「好きな人って、うちのクラス?」

「ううん、部活の先輩」


先輩ということは、もうすぐ3月で卒業してしまうのか。


「優しくて演奏中がかっこよすぎるの」


掃除を終えてから教室に戻るまでずっと友人の話を聞いていた。
その先輩のことは全く知らないけど、勝手にイメージが膨らむ。
日向君は同学年だからよかったけど、安心もできないか。
春になったらクラス替えだ。
高校は烏野希望とはいえ、受かるかどうかはわからない。だんだん受験生としての不安も先取りで湧き上がってくる。
廊下を抜ける通り風はやっぱり冷たい。


さん!」


真っ直ぐなその声は、今考えてた全部を吹き飛ばした。


「これ、どう?」


ジャージ姿の日向君がポスターを両手で広げていた。
それは、さっき教室で見せられたものと同じで、やっぱり赤が目立つポスターだ。


「あれ、さっきと何か違う?」

「ううん、さんの感想聞きたくて。さっきは聞けなかったから」


言われてみれば私と日向君以外の男子が感想を口々に言うだけで、あまり会話できていなかった。


「どう?」


自信満々に問う日向君に頷いた。


「いいと思う。熱い感じ!」

「じゃあこれで行く!」

「あ、あとそうだ。新歓のプリント預かってるよ」

「ほんとに?ありがとうっ」


鞄から出そうにもに手提げ袋があって、上手く引き出せない。
すかさず手が伸びてきた。


「持つよ!」

「いいよ、あ」


手提げを落としかけて、結局、日向君に助けられた。
荷物を持ってもらっていることを気に掛けるより、早くプリントを渡してあげた方がいいだろう。
A4ファイルを引っ張り出して、中から紙を出した。


「ありがと。はい、これ」

「ありがとう」


日向君はプリントをじっと眺めていた。
ポスターを見せてくれた時より、一瞬表情が影を落としたように見えた。


「日向君……?」

「なに?」

「いや……」


新入生、入ってくれたらいいね。試合、出れるようになったらいいね。

取り繕うように希望を言えればよかったけど、指摘すればかえって現状を意識させてしまう気がして、言葉を濁した。私と分かれたら、また一人の部活動だって知っていたから。


「ううん、……先生が忘れずに提出するようにって」

「あ、締切あるんだ!すぐ出そう。さんこれから部活?」

「うん、今日は被服室でミシン」

「そっか。遅くまでいる?」

「うーん、まだわからないな。何か手伝うことあるなら今でも…」

「そうじゃなくてさ、今日一緒に帰らない?」

「!」

「あ、夏目と用事ある?」

「な、ないよ、なっちゃんは関係なくて。急に、どうしたのかなって」

「一緒に帰りたかったから」

「うん、帰ろう!」


自分でも驚く声量が出てしまい、日向君は笑ってくれたけど、恥ずかしくて片手で顔を隠した。


「じゃあ、約束!さんまた後で!」

「うん、寒いから風邪引かないようにね」

「おう!」


方向が逆で被服室へと歩き出したとき、聞こえた。


さん!」


日向君はすでに遠くなっていたけど、声は届いた。


「風邪、治ってよかったね!」


お礼を返そうとしたところに、日向君が先生に注意されて、日向君が手を振ってくれたから、何も言えずに歩き出した。
自分がすごく単純に思える。今、寒さすら感じてない。


next.