ハニーチ

スロウ・エール 18


ふわふわした気持ちで部活動を終えた。
まだ休み明けでしゃっきりしていない思考回路は、それでもまっすぐ日向君に向かう。
友人にはどう伝えようか迷ったけど、伝えるより早く友人の方が用事があると言って抜けてしまった。
残された私は後輩よりも遅く残って、今日のことを振り返りつつ、ミシンを動かした。
そういえば、友人に付き合っている人がいないか確認されたけど、何かあるんだろうか。まさか、…まさか誰かが私のことを好きだったりして。
ありえない妄想をした瞬間にミシンの行き先がずれてしまった。
まだ修行が足りないなと思う頃、既に最後を知らせるチャイムが鳴っていることに気づいて被服室を後にした。



*


「あれ」

「あ、さん!」

「今日、早いね」

「そうかな?」

「いつもより早くない?」


教室に明かりがついているから立ち寄ってみると、既に学ランの日向君がいた。
私が待つと思っていたら、今日は待たせてしまったらしい。
予定よりも進めた作品の入った手提げを机の脇にかけた。
前と違って席についても日向君との距離が近くなる訳ではないのは残念だ。

日向君が席から立ったと同時に先生が見回りに来た。


「まだ残ってんのか、もう下校時間だぞ」

「はい、今出ます!」
「すぐ出ます」


急ごうとするとどうして荷物がまとまらないんだろう。
日向君と先生が話す間に大慌てで鞄を閉めて、日向君の方に駆け寄った。途中、鞄を引っかけてしまい、ずれた机を慌てて戻す。何やってんだ自分。日向君が直すのを手伝ってくれた。


「日向ももうすぐ3年だな、ちゃんと勉強しないと烏野厳しいぞ」


“烏野”

その単語に反応してしまう自分がいる。
そんな私に先生も日向君も気づくことはもちろんなく会話は続いていた。


さん、もう帰れる?」

「うん」

「じゃあ寄り道しないで帰れよ」

「はい、さよならー」


あ、私もマフラーしよっと。
日向君がぐるぐると巻いている姿を見て、自分もチェックのマフラーを引っ張り出した。
1階まで来ると夜の冷たさが更に増す。昇降口から勢いよく風が吹き込んできていた。
さすがに最終下校時間になると人が多いけど、それでも今日は運動部以外は帰っている人が多く全体的には空いていた。


「おれ、自転車取ってくるから待ってて!」


頷いて校門前で立って待つ。
息をつくと白くなった。
途中、クラスメイトとも会った。
日向君と一緒にいるところを見られた訳じゃないけど、どこかばつの悪さを感じてしまう。
もし目撃されたってバレー部の新歓があるからと言えばいいだけだけど、それでも勘ぐられる可能性があること自体警戒してしまう。迷惑なんてかけたくない。

また一層強い風が吹いてきた。
寒くて手袋もつけた。
日向君はこんな時でも自転車登校ですごい。

ガラガラと車輪の回る音がして、振り向くと日向君で、ようやく足並みが揃った。


「こんな寒いのに自転車なんだね」

「最初はすごく寒いけど、飛ばすとすぐポカポカしてくるよ」

「そのポカポカまでが長そう」

「確かに寒い!寒いなー!」


日向君と自転車、その横を私が並んで歩く。
道なりに設置されたライトが影を薄く伸ばすのを眺めていた。


「あ、さんさ、時間ある?」

「時間?」


明日だとか来週じゃなくて、日向君曰く、今日のことらしい。
こんな時間だけど別に用事がある訳じゃないから大丈夫だ。


「さっき先生には寄り道しないって言ったんだけど、寄りたい場所があって」


一緒に行こう、と誘われているらしい。
断る理由なんかなかった。


「よかった、こっち!」


促されるまま、通学路から外れて細い坂道を歩いていく。

家は点々とあるものの、1月のこの時間ともなれば暗いし、歩いている人もいない。
日向君がいなければ絶対に来ないであろう道をどんどんと進んだ。
静まり返る暗い道のりはどこか怖い。


「き、肝試しとかじゃないよね?」

「大丈夫、もうちょっとだから」


日向君が進んでいく先は、決して森の中だとか道なき道ではなかっただけよかったと安心する。
空を見上げると星が見えた。


「なんかある??」

「星、オリオン座見えるなって」

「オリオン座?どれ?」

「わかりやすいよ、ほら、3つすぐそばで並んであるやつ。それを中心にリボンの形」

「リボン?」

「ほら、あそこの星とあっち、結ぶの」

「えー、どの星?」

「あれっ」

「合ってるかな、あ、3つの並んだのはわかった!」

「そこを中心にしてリボンができてるの」

「んーーー…、あ、わかった!あれだ!あれとあれ!」



そんな話をしている内に日向君の目的の場所に着いたらしい。
ちょっとした広場になっているスペースに自転車を置いて、二人で枯葉を踏みしめた。
人気はないからちょっと怖いけど、日向君がいる。


「ここに何があるの?」

「教えてもらったんだけど…、ほら」

「わ、小さい神社だね」


神社と呼ぶには小さすぎるんじゃないかと思われる鳥居がある。


「ここでちょっと気合い入れたくてさ」

「気合い?」

「この場所で願い事すると3年以内に願いが叶うって聞いたんだ」

「3年って…けっこう時間かかるんだ」

「な!それはおれも思った」


いつかは願いがかなうよりは現実的なのかな。
目の前の鳥居は小さいけれど、どこかで見かけたことがあるような苗字の相合傘が並んでいたり、必勝祈願なんて書かれたお守りが結び付けられていた。
そういえば、願いが叶う場所があるなんて誰かから聞いたことがある。まさかこんなところにあるとは思わなかった。

日向君がお供え物を置けそうな石段に近づいてしゃがみこむから、同じように近づいた。
日向君はポケットから何かを取り出した。
見ると、あめ玉だった。


「ここの神様、甘党なんだって」

「……、お賽銭とかじゃないんだ」

「おれも教えてもらっただけだからよく知らないんだけどさ。……よし!」


日向君が手を合わせて目をぎゅっと閉じた。
私は鳥居と祠と、日向君を順番に見た。


「今年こそ部員集めてバレーする!! 大会出て勝つ!次の試合も!その次の試合も!」


“ ぜ っ た い ! ”


冬の空を突き抜けていく宣誓が空を切る。

私も慌てて両手を合わせた。ぽふっ、毛糸の手袋のせいで気の抜けた感触を感じながら、瞼を下ろして願う。
叶いますように。日向君の願いごと、叶いますように。

目を開けて隣を確認すると、日向君はしばし鳥居の向こうを見つめていた。


「ここの神様に今言ったこと叶えてもらおうってんじゃないんだけどさ」

「……」

「その、……そうじゃなくて」

「……」

「言いたかった。さんにも聞いてほしかったし、さ。……付き合わせてごめん」


私はカバンに片手を突っ込んで中をまさぐり、見つけた小さな長方形のチョコレートを日向君の飴玉の横に置いた。
ぽふっ、二回目もやっぱり手袋のせいで柔らかな祈りのポーズだ。


「雪が丘中学バレー部、……がんばれ!」


私も、頑張る!


何をどう、とすぐに答えは出ないけど、頑張る。がんばるよ。
目を開けて私はカバンを抱きなおした。


「お互い、がんばろっ」

「ん……おう!」


二人でしゃがむのをやめて立ち上がる。


「じゃあ、帰る?まだ何かあるなら付き合うよ」

「もういい!やる気出た!」

「そっか」


日向君が自転車のスタンドを蹴り上げた。


「後ろ乗る?」

「え」

「もう遅いし、下り坂だからそっちの方が早いよ」

「え、いや、私、あの重いから」

「へーき、こないだ男3人で乗っても行けたから」


3人乗りってこの自転車にどうやって!?
日向君が乗る前提で私の荷物も前カゴに入れてしまうと、どうにも逃げ道がないように思われた。
こ、これはよくある青春の一コマ的なやつなの、かな。

既に日向君はサドルにまたがっていて、すぐにでも出発できる様子だ。
荷物もとっくにスタンバイ済で、後は私が覚悟を決めるだけ、だ。

おそるおそる日向君の自転車に近づいた。


「こ、壊れたらごめん……!」

「壊れないって!それにすぐ着くからっ」


ゆっくりと荷台に腰を下ろす。
少し自転車が揺れて私の重さに耐えられないんじゃないかと思ったけど、さすがにそこまで私の体重は重くはなかったらしい。
荷台の端っこを両手で掴んだ。


「じゃあ、行くよ!」

「うん」

「けっこうスピード出るからちゃんとつかまってて」

「わ、わかった」


最初はペダルを踏みしめるのも力がいるようで、降りた方がいいかと様子をうかがっていたけど、すぐに下り坂に入る。
どんどんと加速していく自転車の速度、日向君は扱ぐのを一旦やめて両足を開放的に伸ばした。


「やっほーーー!」


日向君、テンションあがってる。
つられて私も笑ってしまった。


「あのさあ!」

「え?」

「もっとスピード出していい?!」

「運転大丈夫なら!」

「おーー!」


ただでさえ坂道で加速しているところに日向君がペダルをこぐ。
右、左、右。
踏み込まれた一歩一歩に車輪がすごいスピードで回ってる。
目まぐるしく景色が流れて前方は日向君の背中と揺れるマフラーで埋まる。
両手に力をこめてしっかりと荷台を離さなかった。
風にあおられる髪がひどく乱れないといい。


「とーーーちゃく!」

「あ、ありがとう」

「はい、鞄」


結局、バス停前まで自転車で届けてもらった。
日向君の自転車が壊れなくてよかった。バスもあと3分で来る。


「すぐバス来るから大丈夫だよ」

「いいよ、待つ!」


いいのに、って言葉が喉元まで来ていたけど、言わずに飲み込んだ。
自転車で一気に下ったから顔がすごく寒かったけど、そのおかげで立ち止まる今は冬の空気もあたたかく感じる。


「そういえばさ、さっきの日向君のって願い事じゃなかったね」


バレーするっていうのも、大会出て勝つっていうのも、全部なになにしますようにって言葉じゃなかった。


「そういうのって、……いいな」


言ってから自分変なこと言ってるなと思って慌てて日向君に謝ったけど、帰りのバスに揺られながら、日向君のそういうところも好きだとじんわりと思った。
バスの中はあたたかい。

日向君も早くおうちに着いたらいいな。
スピード出してたから、もうポカポカ?

聞きたいなあと思って携帯を取り出した。
メールするかしないか悩む時間はまだ十分ある。


next.