ハニーチ

スロウ・エール 172





「ほんと、……すきだね」




ところ変わって食堂。

お昼のチャイムも鳴ったけど学生が駆けこんでくることはなく、冬休みらしくガラガラだ。

飛雄くんのトレイの上には、カレーライス。


「なにがだ」

「カレーが好きだねって言ったの」

「あぁ」

「飽きない?」

「朝はカレー食ってねえよ」

「そっか」


食堂のおばちゃんが、私用に熱々のお湯の中に麺を入れた。

飛雄くんはさっさと荷物を置いたテーブルに行ってしまうと思っていたのにそばにいたから、行っていいよ、と促した。
こくりと一つ頷いて飛雄くんは歩いて行った。

なんだろう、“人に合わせる”ことをやっと覚えたのかな。
成長の速度は人それぞれっていうし。

ふと、スープの煮立つ湯気が届く。

違う食堂でも、食堂の匂いってどこか似ている。

短縮営業で、今日がラストという張り紙が、換気扇のせいなのか、ずっとはためていた。

お待ちどうさまー

違う食堂の人、なのに、にこやかな表情はおんなじ、あったかいきもちで器を受け取った。


割りばしとれんげを手にした時、たった数人なのに騒がしい男子の集団が走ってきた。

その後ろから、たぶん飛雄くんの教室で会った人とその友達らしき女子もやってきた。手にはお弁当袋、きっと友達が買いに来たんだろう。

振り向くと、向こうで影山くんが黙々とご飯を食べていた。


「……」


もし同じ学校だったら、こんな日常を過ごしたかもしれない。

そうしたら、もっと、こう。



覚えたからな。

影山のこと、何にも知らないんだな



な ん に も しらないんだな



わっ、麺のびそう。

零さないように注意しつつ、早足で飛雄くんの元に向かった。

こちらに気づいた飛雄くんのスプーンが宙で止まる。

ほら、やっぱり私ってエスパーだ。
そんなふざけたこと言ってみても、きっと通じも笑いもしないはずなので舌の上で転がすだけだ。


「食べてていいよ」


代わりに私が笑えばいい。

できないことは、誰かが、こんな風にするんだよって。











「飛雄くん、サーブ練習がんばって」


片付けも終わって食堂前、お互いに元気を補給できたはず。

いつも通りの飛雄くん。

過去問の解説とやるべき問題は選んだし、今日の、そして今年最後の勉強会をおしまいにした。


「トスもやる」

「じゃあ、トスも。ぜんぶ頑張れ!」

「おう」

「あと、過去問もっ」


付け加えた言葉に顔を引きつらせる辺り、飛雄くんは慣れてくればわかりやすい。


「目指せ白鳥沢。私もがんばる」

、帰んのか」


一つ頷く。

今日はこの後、塾の冬講習。

クリスマスが終わってからは、完ぺきに受験生モードだ。




「なにー」


手を振って分かれたはずが、呼び留められて振り返る。

ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、飛雄くんは何も言わなかった。


「……呼んだだけだ」


の割に、眉間にしわが寄りすぎだろう。

言語化能力があがれば、もっとコミュニケーションがとれる、気がする。

経験値をもっと積むべきだ。

よし。


「飛雄くん!」

「なんだ」

「呼んだだけっ」


ほんと、それだけだ。

不服そうな顔すら、おもしろくなってきた。


「また来年!」


よいお年を。

手を振る。返ってこない。それでもいい。

またひとつ、飛雄くんを知れたことに嬉しさを感じつつ、下駄箱に向かう。


「……」


そんな楽し気な気分も静めてしまうほど、校内は物音がぜんぜんしなかった。

人がいない学校は、やっぱり苦手だ。

寂しくなるし、心細くなる。

校舎の端っこに進むにつれて暗くなるし、蛍光灯の一つがチラチラとまたたいていて、そんな気分を加速させる。

落ちつけ。おばけが出るなら夏だ。

七不思議でもあるのかな、と想像してしまった。なんでこんなときに。

化けて出るなら、おばけも北一の人を選ぶはず。
こちら、他校生です。
ほんとに他校です。


ふと、後ろを向く。


目がふたつ、曲がり角。



「っんだよ!!!」

「こっ……ちの、セリフだよ」


後輩くん、2号。

びっくりしすぎて声を上げた私に驚いて、相手は飛び出てきた。

最初っから出てきてよ。せめて声かけて。


「べ、別に、お前に興味ねーよ。影山さんがいるってユキに聞いたから」

「……影山さんは体育館でトスとサーブ練してるよ」


はあぁ、もう……

我ながら大きな声を出しすぎた。まだ心臓ばくばくいってる。

暗いし、誰もいないと思ってたし、まさか後ろから誰か来ているなんて、わかんない。

後輩くんは体育館に行っていかず、私を見ていた。
前に会った時より身長が伸びていた。
雪平くんと同じで、このあと、影山さんと二人で会うと疑っているんだろうか。
それとも、他に用事でも。


だったら、と口を開いた。



「コート上の王様って知ってる?」



カウンターパンチになったのか、声は上げなかった代わりに、後輩くんは一歩後ずさった。

思い返してみれば、他校の生徒も飛雄くんのことを“王様”と呼んでいた。
だったら、この学校で、同じ部なら、後輩と言えど耳にしているはずだ。


「知ってるなら、どういう意味か教えてくれる?」

「な、……んで、んなこと」

「影山くんに直接聞けって?」


男子の方が素直だ。

そんなことするのかって全身で表していた。

影山くんが気にしている、“王様”ってワード。
後輩からすれば、取り扱い要注意の言葉。

これまでだって、その言葉が出るたびに過剰に反応していたから、飛雄くん本人には聞く気はなかった。



「でも、誰かに教えてほしいって思ってる。


 王様って、いい意味じゃないよね?」



キュ、と彼の体育館履きが廊下と擦れた。



「ぶッ、部外者に言えるかよ」

「言ってもいいんじゃない?」


いかにも帰ります、といった出で立ちで、一人の男子生徒が通りかかった。

この人、前にも金田一くんと一緒にいた。


「く、国見さん」

「隠すほどのことでもないし。言わないで、うろちょろされるのも面倒そう」


先生に上手いこと取り入ってたみたいだし。

チラリと視線がぶつかる。

国見、ときれいな文字で書かれた上履きが、私の方に向きを変えた。


「そのままの意味だよ。試合中、偉そうなトスばっかり出すから、チーム内でそう呼んでたら広まった」


自己中で、横暴な独裁者。


「これでいい?」


よくない。


「同じ……チームの、人ですよね?」

「そうだけど」

「そんな風に言われたら、傷つく」


なんでだか、身体が強張る。

国見という人が、自嘲気味に口端を上げた。


「影山に泣きつかれた?」

「そんなんじゃないです! あだ名で呼んで……、同じチームなら話し合えばいいのに」


勢いあまって近づいても、国見という人は後輩くんと違って引きはしなかった。


「影山とバレーしたことあんの?

 どういう関係か知らないけど、部活も引退だし、今更さわいでも意味ないよ」


そうだけど、


 そうじゃない。



「あ、そうだ。阿月、雪平にさ」


二人は、この話題をよそに、体育館について話を進めていく。

私だって、“コート上の王様”の意味を知ることが出来た。

もう終わりでいいじゃないか。

頭はわかっているのに、心が全然受け付けてくれない。


「じゃあ、俺行く」

「はい!」


「待って!!!」


後輩くんと話している国見くんは、ちゃんとした3年の先輩にみえる、のに。

足を止めて、こっちを見る表情だって、至って普通の対応なのに。


「まだなんかある?」

「今日、影山くんにだけ、及川さんのこと連絡しなかった」


国見くんの眉が動いた。


「……だから?」

「コートの中のこと、違うところで持ち出してるの、おかしい」

「おっおい!」


前に攻撃的に突っかかってきたはずの後輩くんが、私をいさめようとしているのくらいわかる。

わかるけど。



「引退したって、バレーする以上、関係は消えたりしない。

そんなの、絶対おかしい!」


チッ、と舌打ちされた。

感情の温度を感じなかったこの人の瞳の奥底で、何かが動いたことだけは感じた。


「関係ないだろ」

「あるっ!!

 影山くんの、友達だからっ。

 だからっ

「も、黙れ! 国見さんすみません!!」


視界から国見くんが消え、体育館履きと廊下に切り替わる。

後輩くんに頭を下げさせられたんだと知った。

彼の腕を思い切りどかすと、後輩くんの方もまた面食らっていた。
国見君も同じだった。そして、面倒、と呟いた。


「王様にしたの、

 影山くんひとりのせいじゃない」


国見君のとなりを抜けて、下駄箱に向かった。真っ直ぐ。

来た時と変わらない、ほとんど空っぽの靴箱から、自分の靴を見つけて地面に落とす。
乱暴すぎたせいで、右の靴も左の靴も横に倒れてしまった。

体育館履きをしまい、振り返ることなく校門を目指す。

誰かが駆けてきた。呼んでいた。振り向かなかった。


「おい!」


阿月くん、一部始終を見ていた後輩くんだった。


「なんでっ、影山さんに迷惑かかったらどうすんだよ!」

「知ってたんでしょ、こんなの、ひどい」

「……っ、もう、終わってんだよ」

「終わってない!!!」


後輩くんの顔が、歪んで見える。

何でこんな気持ちになっているかわからなかった。頬に、涙が伝った。


「さっきの、全部、影山くんの迷惑になるなら、いいよ……、迷惑かける。

チームでしょ?

一緒に、試合してたんでしょ?」



ぜんぶ、終わったとでも思っているのか。

共に過ごした時間は、消えやしないのに。


「あんなの、ひどすぎる」


手の甲で涙をぬぐうと、もう冷たくなっていた。

歩き出すと、後輩くんは追ってはこなかった。



「影山さんが、なんか言ったのかよっ!!」



足を止めた。


私の知る限りの、影山くんが浮かぶ。


眉間にしわ寄せたり、何考えてるかわからない。

威圧感が無駄にあって、怖くって、おっきくて。


『  』


時々、前より、やさしい。




「影山くんが言ってくれるの、待ってたら、

いつまでたっても何も出来ない。

動きなよ……

離れてからじゃ、意味ないんだから!!」



走った。

走って、はしって、振り返らずに、今はただ、真っ直ぐに。


next.