「そういえばさ!」
校門前で切り出してから、日向くんが自転車置き場に向かおうとしていたことに気づいた。
自転車のタイヤが、私の進もうとした方向とほんの少し違えていた。
日向くんは自転車を動かさずに目を丸くした。
「そういえば……なに?」
「あの、後ででっ」
いや、ダメだ。
後回しにしたら話すタイミングなくなりそう。
「一緒に行く、行こう」
駐輪場のある方へ歩き出す。
日向くんがすぐに隣に並んだ。
「さん、なに言おうとしてたの?」
「クリスマスの時に、ちょっと話したんだけど」
なんてことないはずなのに、日向くんを前にすると途端に緊張してくる。
すぐに話さない私を日向くんは急かすことなく見つめ続けていた。
駐輪場は冬休みだからだろう、ほとんど空いていた。
その一角に日向くんは自転車を停めた。
なにも言わずにいてくれた。
校舎に向かわず待っていてくれもした。
「バレーね、やる日、決めたの」
数あるスポーツ競技の一つ、バレーボール。
その単語を出すだけで、なんでこんな気持ちになるんだろう。
バレー?
感嘆でも歓喜でもなく、日向くんは率直にくりかえした。
なんとか一呼吸ついて続けた。
「あの公園から見えてた体育館、借りられたから。
その、14日。
あっ、今月じゃなくて来月、2月の14日。
烏野の受験日と近いんだけど、もしよかったら……
ほんと、都合がつくなら、なんだけど……来てもらえたらなって」
「行く」
いつの間にか俯いていた私の視界では、日向くんの靴と自分の怖気づいたローファーが冷たいアスファルトで向かい合っていた。
次は、日向くんの真っ直ぐな瞳。
「おれ、行っていいの?」
「うん」
「ほんとに、ほんとう?」
「ほっ本当」
来てほしくないなら最初から話したりしない。
早口で付け加えると、今度は熱のこもる返事が朝の冷たい空気を吹き飛ばす勢いで飛んできた。
「行く!!絶対、行くっ。
さん、ありがとう!!!」
自分が告げるより先に、日向くんからお礼を言われ面食らう。
日向くんは満面の笑みで続けた。
「教えてくれてうれしい」
今度は気恥ずかしくなったのか、日向くんが自分の頭に手を当てて視線をそらした。
「前んときも聞いてくれたし、教えてもらえないかなって思ってたわけじゃないんだけどっ。
さんから、話してくれたの、やっぱりうれしいなって」
また視線がぶつかる。
また足先を見つめる。
相槌が、ひどく消えかかってしまった。まぶしすぎたから。
「あのときも言ったけど、おれ、さんのトスすきだ。バレー、いっしょにやれるんだよね、そこで」
「そ、だよ」
「すっげーー! 楽しみ!!」
今にも駆け出していきそうなほど日向くんが飛び上がって喜ぶから、笑いを噛みしめた。
「あのとき、私も言ったけどさ」
「なにを?」
「日向くん、トスならなんでも好きでしょ?」
「すっ、好きだけど、さんのはまた別っ」
「ただのトスだよ」
「すきだよ」
トス、と続けてくれなかった。
「すきだからっ。
すきだって……、上手く伝えられてないってわかるけど、すきだから。
さん、おれ、すきだから!」
まるで自分に向けられた心地がして、わかったって何度も頷いて動揺を隠した。
「もう、さ、学校入んないと」
「そうだった!」
日向くんが私の方に片手を差し出して、何かを待っていた。
も、しかして、手を繋ごうとしている……わけじゃないよねと混乱している内に、日向くんがハッとして手を引っ込めた。
「そそっか、学校! ついっ、その、さんとっ」
「……」
「とっとにかくさん行こう、ここ寒い!」
「う、うん」
日向くんが言う通り、冷たい風が吹き抜けた。
木の葉がどこかへとさらわれていく。ぎゅっと体温も奪われる心地がした。
見上げれば、空。
灰色の雲がいつもよりも速く流されていく。
遠くへ、どこかへ。
「さん!」
「なに?」
「楽しみだね、14日っ」
あの体育館でバレーできる、最後の機会。
「そうだね」
日向くんの言葉に頷いてもう一度見上げた空は青くてあおく、流されても消えない雲がうすがかっていた。
「他にさ、だれ来んの?1年?」
「そう、皆来てくれるって」
「おお……! そしたら5人でバレーできる!」
「5人じゃなくて」
「まだいんの!?」
日向くんは嬉しそうに声を弾ませた。
休みの明けていない3年生の下駄箱はガランとしていて、私たちの声がよく響く。
どこか興奮気味の日向くんに絶え間なく質問されるのに一つずつ答えていると、寒そうに肩を丸めた先生が通りかかった。
「先生、おはようございます!!!」
自分がするのを忘れかけるほど日向くんの挨拶は元気いっぱいだった。
先生が気づかない訳もなく、足を止めてこちらを順々に見た。
「おぉ、おはよ。……元気だな、日向」
「元気です!!」
「、朝から日向といて調子崩すなよ」
「なんでおれといると調子崩すんですか!」
先生はどこか眠そうにしつつ、二、三会話続けた時、日向くんが授業中のように手を挙げた。
「先生、おれ、今度バレーします!」
あ、と思いつつ、日向くんの口を止めるすべはない。
先生は『烏野に受かったらな』って幸い話半分に聞いてくれているのに、日向くんの方がご丁寧に2月14日と日付までセットで説明してしまった。
口止め、忘れてた。
私の名前は出されてないけど受験生がバレーするって先生にバレるのはよろしくない。
密かに反省したとき、先生は欠伸交じりに小首をかしげた。
「日向、14日っていま言ったか?」
「はい、言いました!」
「2月14日?」
「ハイ!」
「日向、すべり止めのところ、受験だろ」
「!!!」
となりにいる日向くんが言葉にならないショックを受けているのとは真逆に、先生は淡々と今気づけてよかったなと続けた。
「日向、講習は2組使うからな」
「……先生、い、今から受験日を変えるってできないんですか」
「できないな」
「! 試験受けないのってやっぱり「高校生になりたいなら受けなさい」
受験料ももったいない、と正論を言い残して、先生は職員室へときっと向かっていった。
「さん、おれ!」
「あっ、……受験のほう、ファイト」
って言うしかない。
今の一言がとどめになってしまったか定かじゃないが、ガクッ、と廊下にしゃがみ込む日向くんはポーズでも何でもなく、見たとおり凹んでいた。
体育館の予約日に選択肢はなかったけど、もしかしてこの日って試験する学校が多いんだろうか。
飛雄くんも同じ日に試験だったはず。
あれ、まさか同じ学校を受けるんじゃ。
烏野だって受けるんだし。
知る限りにおいて、二人の成績はある意味で近しかった。
いやでもな、と思い直したとき、日向くんが急に立ち上がるからびっくりして後ずさった。
真面目な表情だった。
「さん!」
「は、はいっ」
「おれ、行くから」
「えっ」
日向くんの行く宣言に、どこに行くんだっけ、と混乱したのち、すぐ行き先に思い至った。
「日向くん、14日は試験「終わったらすぐ行く!!」
あまりの勢いに飲まれかけるほど、冷静さを失ってはいなかった。
「……日向くん、試験って午前?」
「ごごっ、……ご、午前っ、だったっ、ような気がする」
いや、この反応からして午後だな。
「あのね、日向くん」
「さんが誘ってくれたのに」
両手で肩を掴まれ訴えかけられても、このバレーが日向くんの受験より優先度が高いはずがない。
「さ、誘ったけど、受験大事だよ」
「大事だけど、だけど、こっちも大事だっ。
さんが、もう一回、同じ場所でって思った体育館なのに」
真剣さが手のひらからも伝わってくる。
そばの下駄箱で物音がした。
クラスメイト、しかも、女バレの元・主将。
私が慌てて身を引くと、日向くんも手を外してくれた。
「やっ、山田さん、おはよ!」
「おはよう、さん。もしかしてアレ、日向も誘った?」
「へ!?」
「そんな感じの話してたかなーって」
「う、うん。 そうなの」
やっぱり、聞かれてた。
日向くんと目が合って、すかさず14日に来てくれるメンバーだと説明した。
彼女には、日向くんが当日試験があって来られないことも。
日向くんが私の話を聞き終わると続けた。
「さん、試験終わったら飛んでく!」
「いや、時間長くは取れてないから来ても、」
「それでも行く!」
「だっだから」
「日向、バレーしたいの?」
クラスメイト、もとい元・主将らしい雰囲気を醸し出す彼女はしげしげと日向くんを見つめた。
日向くんの解答はシンプルに『したい』だ。
どう話が進んでいくんだろう。
今度は彼女の様子を伺うと、学校の鞄と一緒に手にしていたビニールの袋を肩にかけ直した。
「今日、ジャージある?」
「ある!!」
「さんは?」
「も、持ってきてるけど」
「準備いいね、じゃあさ、今日バレーしよっ」
「「バレー!?」」
同じ言葉のはずなのに、日向くんのと私のとでニュアンスがまるで違っていた。
next.