「バレーやんのっ?」
「バレーって……」
日向くんの“バレー”には期待と喜びとワクワク感があり、私のには隠し切れない戸惑いが自分でもはっきり聞き取れた。
バレーしようと言い出した彼女のほうは、いつだったかの卒アル写真を撮った時のようにどこか楽しそうだった。
せっかくだから、ちゃんと試合にしたい、と。
そのために、受験生として鈍った身体をもう一度慣らしたい、と。
部活を引退してからは鍛えるだけでバレーの練習はしていないから、今日は2年生の子たちも、男子バレー部の1年生ももうすぐ来るから一緒にやろうと、キャプテンらしく仕切ってくれた。
「でっでも、山田さん迷惑じゃない? 他の人たちも」
迷惑?なんで?
山田さんは不思議そうに問いかけたから、すかさず答えた。
「受験、もうすぐだし、2年生の子たちも自分たちの練習あるんだし、1年の3人だって、やっと自分たちで練習メニュー決めて……」
たった1試合。
付き合ってほしいとお願いして協力してもらえる。
それだけで十分だ。
ここまで付き合わせるのは気が引ける。
時間は戻せないってことを、過去を振り返るたびに痛感する。
だからこそ、みんなの大事な時間をかけてもらうことはない。その必要はない。
あとで、取り戻すことはできないんだから。
「さん!」
まだ話している最中なのに、日向くんの一言が割って入った。
きっぱり言われた。
「だいじょーぶっ!!」
日向くんの言葉、意味はわかる のに、きちんと飲み込めない。
女バレの彼女のほうが、日向くんが言わんとしていることを理解できたようだった。
日向くんと同じく、どこか瞳が輝いてみえた。
「うん、日向の言うとおりだっ。 さん大丈夫だよ」
「ご、ごめん、よく、意味が」
「私たちのこと心配してくれてるんでしょ? へーきだって!」
受験勉強ならひと通り終えていること。
2年の女子バレー部の皆も希望者が参加するだけで、練習が追加になることは承知していること。
1年生の男子バレー部3人も、もうすぐ2年生に上がる。
「考えて動いてんの、さんだけじゃないよ!
ねえ、日向っ、先輩としてどーよ、あの3人」
話を振られた日向くんも頷いた。
「おれが説明しなくても、さん、わかってると思う。
……ずっと、みててくれたの、さんだ」
予鈴のチャイムが鳴り響く。
「3人はさ、ひとりじゃないし」
どこか、影を落とした笑み、声色。
日向くんと二人っきりじゃなくてよかった。そうじゃなかったら、たぶん。
伸ばしかけた指先をぎゅうっと密かに握りしめた。
山田さんは私の変化に気づかずに、手を音を立てて合わせた。
「じゃっ、今日バレー決まりっ」
おーっし!と日向くんが高らかに両腕を突き上げたかと思うと、今度は気合いを入れて屈伸をし出す。
山田さんが私の腕をつかんだ。
「さん、一緒に着替え行こうっ」
「え、と、今から?」
「午後は他の人たち使うから「まま待ったっ、おれ、これから講習なんだけど!」
予想外の展開にうろたえる日向くんに動じる素振りなく『だったら日向は今日無理だね』と彼女はさっぱり流して歩き出した。
「さん行こっ」
「いや、でもっ」
今日のバレーも参加できない日向くんをほっぽって練習するのは気が引ける。
山田さんはきょとん、と目を丸くした。
「さんも日向と講習?」
「いや、私は違うんだけど」
「ならいいじゃんっ」
い、いいのかな。
ずるずる、ずる、と思いがけぬ力で引っ張られていく。
さすが体育系の部活をやっていただけあるのか、山田さん、パワーある。
「ま、待った! おれもバレーっ、さんっ!!」
「あ、えぇっと」
講習、がんばって。
って言うしかない。
あれ、これさっきも似たやりとりしたような。
そんなデジャブに襲われながら、彼女に連れられつつ振り返ると、遠くに見える日向くんはいつまでも廊下にひれ伏していた。
「ありがとうございましたー!」
体育館に響く声、幾重にも重なって白くまた立ち上る。
なんだか懐かしい気もした。
体育でバレーしたことだってあるのに。
使っていたボールをカゴに入れて、体育倉庫まで運ぼうと押し始めると、すかさず山田さんが前にやってきて引っ張ってくれた。
お礼を言おうと思ったけど、彼女がさきに今日の練習内容について話しだしたから、言いそびれた“ありがとう”は喉元に留めた。
ちょうど籠のあったであろう大きめのスペースに運び入れ、二人して倉庫を出た。
日向くんも講習終わったのかな。
体育館の時計は、いつもの学校なら昼休みの時刻を示していた。
「日向?」
「へっ!」
今朝の下駄箱での出来事も聞かれていたし、まさか彼女に日向くんとのことがバレたんじゃと焦ったものの、話は違う方向に進んでいった。
「やっぱり一人足りないよね」
「ひとり?」
「日向いない分さ、男子が5人になる」
そっちの話か、と重要なことなのに、一人胸をなでおろしてしまった。
あの体育館での試合、1年生3人と影山くんの後輩2人、合わせて5人。
日向くんに参加してもらえるつもりだったから、このままだと男子が一人足りない。
ポジションだとか言い出せばきりがないし、男子バレー部3人は女子と練習だってしているから、さいあく男女混合かなと考えていたけど、どうせならあと一人揃えたら、というのが山田さんの考えだった。
「山田さん、当てあるの?」
「ないっ。 クラスの男子でも誘う?」
真っ先に浮かんだ泉くんも関向くんも受験を理由に断られていた。
他に話しかけられそうな男子なんていたかな。
「遠野は?」
「遠野くん?」
「さんとよくしゃべってるイメージある」
同じ委員会で、同じ塾。
その程度の仲ではあるが、誘ってみる発想は自分の中になかった。
山田さんが髪を手ぐしで整えながら言った。
「もう受験終わってるし、ちょうどいいんじゃない?」
サッカー部のエースで、サッカーで強豪校に行く人だ。
運動全般、問題なし。
知る限りにおいては、彼ならバレーもそつなくこなしていたと思う。
「わかった、学校はじまったら聞いてみる、あ」
学校が始まるのを待たなくても、早めに確認した方がお互いにとっていいはずだ。
山田さんが汗のせいだろう、大きなくしゃみをしたのが落ちついてから、あとで聞いてみると言い換えた。
「さん、家近いの?」
「なんで? メールで聞くだけだよ」
わざわざクラスメイトの家まで尋ねて、たった一回のバレーの試合に参加してほしいってお願いするわけがない。
第一、そこまでしたら相手に迷惑だ。
山田さんは腰に巻いていたジャージを羽織った。
「さん、遠野のメアド知ってんだ」
「え、おかしい?」
「んーん」
女子更衣室が見えてきた。
「前にメアド聞いた子、断られてたの思い出しただけ。 サッムい、早く着替えよ!」
「う、うん」
委員会で連絡取り合う理由があっただけだと深くは考えず、薄暗い更衣室の明かりをつけた。
「さん、使う?」
「ありがとっ」
ジャージから制服姿に戻る際中、山田さんが差し出してくれたのはデオドラントのスプレーだった。
ありがたく受け取って使わせてもらう。
暖房の効きが遅く、ただでさえ冷えている更衣室ではあったが、久しぶりのバレーの練習は汗をかくほどではあった。
吹きかけた冷たさに肌が引き締まる心地がした。
彼女にスプレー缶をお礼と共に渡した。
「冬なのに準備いいね」
夏ならいつも用意していたが、さすがにこの時期に常備はなかった。
「家にすんごい余ってんだ。買いすぎた」
話しながらもてきぱきと着替えていく山田さんを見習って、同じように制服に身を包んだ。
荷物もまとめて、廊下へ出た彼女に続こうとしてから空調を消し忘れていたと室内にとどまると、なんだかやり取りが聞こえてきた。
声、日向くんだ。
ちげーよって聞こえたけど、なにが違うんだろ。
更衣室の扉を後ろ手に閉めると、やっぱり日向くんと山田さんがいた。
日向くんがこっちに気づいた。
「さん!」
「日向が覗きをしようと、「してないって!!!」
なんでも、更衣室の扉の真ん前ではなかったものの、その横で飛んだり跳ねたりしゃがんだりしていたそうだ。
確かに紛らわしい行動ではある。
「ちがくてっ、待ちきれなくてっ、バレーもうおわった!?」
「う、ん」
見た通り、着替え終えている。
改めて伝えると、今朝と同じく日向くんが肩を大きく落とした。
講習が終わって体育館に飛んで行ったらしい。
もちろん体育館はもぬけの殻で、鍵もしまっていると判明し、すぐに女子更衣室まで私たちを探しにきたそうだ。
この学校でおそらく1番バレーをしたいであろう日向くんができなかったのは、傍で見ていて気の毒だ。
一方の彼女は、今朝と同じく『仕方ない』ときっぱり聞き流していた。
なんというか、慣れている。
彼女が手を上げて階段に向かった。
「んじゃ、行くね」
「またね、今日ありがと」
「山田さん、もう帰んの?」
「後輩に呼ばれてんのっ。 ばーいっ」
「おーっ!」
颯爽と走り去る彼女の足取りは軽やかだ。
やっぱりバレー部だったから、ちゃんとバレーができて、いい気分転換になったのかもしれない。
よかったとうれしくなる横で、いいなぁ、という呟きをすかさずキャッチした。
「……日向くん、やる?」
「なにを?」
「トス、私、あげよっか」
「いいの!?」
「お昼食べてからなら「やったーーー! ありがとー!さん!!」
天井にぶつかるんじゃ、と心配になる勢いで日向くんがジャンプした。
この飛距離を目の当たりにすると、更衣室上部のガラス部分から中を覗けそうだ。
そりゃ、覗き疑惑もかけられると納得した。
「さん、おれ、ボール取ってくるっ」
「待って、ご飯食べないの?」
「そっそうだった、腹へってたんだっ」
おなかすいているのも忘れるくらい、バレーしたかったのか。
「講習、ちゃんと集中してた?」
「してた!!!」
日向くんは勢いよく返事したかと思うと、ポケットを探って平べったい何かを取りだした。
少し近づいて、日向くんの手の中を覗き込む。
「それ、なに?」
「秘密兵器っ、ないしょだけど先生が頭冷やして集中しろってくれたっ」
冷ピタ。
おでこに貼って、ひんやりと頭の熱を取り除いてくれる代物。
つい噴き出すと、日向くんも笑っていた。
「集中、できてなかったんじゃん」
「これのおかげでしたよっ」
「うそだ」
「ほんとっ、これすごいよっ」
「泉くんのノートでがんばってた時も貼ってたもんね」
「頭がばあーーってとき、これあるとちがうっ!」
「日向くん、お弁当?」
「食堂!!」
「じゃあ、行こう」
「おー!!」
まるで瞬間移動。
風を感じたとき、もう日向くんが隣にいた。
next.