食堂に行く途中、男子バレー部の貴重な部員3人とすれ違った。
森くん、川島くん、鈴木くん。
午前中、体育館で会ったときは、3人とも、あれ?って顔をしていた。
それくらい、バレーなら日向くんがいると思っていたんだろう。
日向くんが3人と話すのを、少し距離を置いて眺めていた。
口を挟むのが惜しい気がした。
横顔が、“先輩”って感じがした。
「カレー……」
「なにっ?」
「ううん、なんでもない」
「? さんは何にしたの」
「うどん。 まだだから、先行っていいよ」
「わかった、あっちの方にいるね!」
「うん、すぐ行く」
カレーにした方がよかったかな。
日向くんが、水の入ったコップをおぼんに置いて歩き出した時、食堂の人がおまちどうさまと注文の品を出してくれた。
「熱いから気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」
必要なものを取って、日向くんと同じくお冷をおぼんに乗せる。
日向くん、どこだろう。
探すまでもなく、向こうに座っている日向くんが腕を大きく振ったから、大げさに頷いてみせた。
日向くんが頼んだカレーのおかげで、この間の北一のことを思い出した。
影山くんもカレー食べてたっけ。
北川第一に比べれば、この学校の食堂は少し狭い気もした。
「……おぼんは、変わらない気がする」
「おぼん?」
「んーん、なんでもない。 食べよう」
「おっし、いっただきまーすっ」
日向くんと同じく手を合わせてうどんを食べようと試みたけど、食堂の人のアドバイス通り、やっぱり熱かった。
食べるの、まだ無理だ。
「はふはっは?」
「……ん、熱かった」
「ひほふへへっ」
「うん、……日向くんも」
「ん!!」
向かいに座る日向くんが、むぐむぐと頬袋でもできているみたくご飯を詰め込んでしゃべる。
聞き取れてはないけど内容は理解できて、あえてツッコまずに会話した。
しばらくお互い無言で食べ続けていた。
あれだけ動いたのに身体はもう冷えていたみたい。
熱いものが身体を通っていくのをじんと感じる。
北一と違って空調が遠く、足元が寒かった。
「よーっし、そんじゃさん、バレー!」
「食べてすぐの運動はダメだって」
「ぐっ!」
お昼を終えて食堂を出たとたん、日向くんがはりきりだしたから、きちんと釘を刺しておいた。
日向くんのバレーに付き合うのはいいけど、健康第一だ。
日向くんも正論とわかっているらしく、けれど名残惜しさ100パーセントの表情でこぶしを作ってこらえていた。
かと思うと、急に距離が近づいた。
「じゃあ、今からなにする!?」
ビ、クリする。
「え! えーー……と、図書室で勉強?」
「ベっ、ンキョーー、かぁ」
わかりやすく一喜一憂する日向くん、はたで見ている分には面白い。
しゃがんだかと思うと、視線だけこちらに向けられた。
「さん!」
「なに?」
今すぐにバレーはダメだよと念押しすると、苦渋の表情でわかったと日向くんが頷いた。
日向くんは膝を抱えて続けた。
「いま、おれ達は腹がいっぱいです」
「そうだね」
お昼を食べたばかりだから当然だ。
「だからさっ、やっぱ図書室はやめないっ? ねむくなるっ」
「さっきの冷ピタ貼ったら目が覚めるんじゃ」
「あ、あれは、秘密へーきだからっ、まだ出番早いっ」
「そうかな……」
「いま使ったら、次のピンチ乗り切れない!」
日向くんのピンチ、しょっちゅう起きてるような。
どう答えようか迷っていると、日向くんがすばやく立ち上がって、私の腕を引いた。
「どっどこ行くの?」
「どっか違うとこっ、
まずは図書室からはなれるっ」
「えっ、そんな近くもっ」
ない、
のに。
言い切るより、日向くんの歩幅が広くて早くてバランスをくずしかけた。日向くんがつかんでてくれるから大丈夫だけど。
バレー部の彼女に引っ張られた時とは、やっぱり違う。
制服越しの日向くんの手のひらは、ちょっと会わない間にまた変わっていた気がする。
い、きなり、振り返らないでほしい。
勢いづいたら最後、急に止まれないから。
「さんならどこ行くっ?」
屈託なく日向くんが話しかけてくれる。
こんな、近くで。
こっちの気持ちに微塵も気づかないで。
「ど、どこって」
「もし夏目と時間まで待つならどうする!?」
「なっちゃんと? あんまり、こういうシチュエーションにならないけど」
食堂でもなく、図書室でもなく、時間をつぶすとしたら……
「おーっ、さんたちって感じだ!」
「そう、かな?」
家庭科室、もとい被服室は、部員としてはよく使う場所だった。
作りかけの続きをしたり、次に作る物を考えてみたり、縁遠くなった今は懐かしくもある。
今日は冬休みで誰もいないからいいかと思って来たけど、中に入ったとき、暖房のぬくもりが残っていた。
意欲的な後輩たちが思い浮かんだ。
作品作りの時期ではないから、めずらしい。
「おれ、よくこっから覗いてたっ」
日向くんが入り口の扉の前で俊敏に動いて、また中に入った。
はじめてバレー部に1年3人がやってきた、記念すべき日。
わざわざ教えに来てくれた時のことが思い浮かぶ。
「この窓、小さいのにね」
「中はよく見えるよっ。 あっ、アレなに?」
珍しいものでも見つけたのか、日向くんが奥の棚に飛んで行った。
家庭科部としてよくここを使っていた自分には、別段代わり映えのしない室内でも、日向くんからしたら目新しさがあるのかもしれない。
こんなことをしている内に、30分くらいすぐ過ぎそうだ。
日向くんが手にしたのは、大きな布だった。
こんな大きいの、見たことがない。
折りたたんでもこの大きさ、材料でもなさそうで端も処理されているし、別の色の布が縫い付けてある。
「文化祭のかざり??」
「そういうのは別の場所にまとめてるから……、なんだろ」
「広げてみる?」
日向くんが二つ折りになっている布をまず戻してみせた。
ひらがな、にみえる。
ピンク色の布はおそらく花だろう。違う色の布部分はきっと文字で、『め』かな。
文化祭で部活は引退しているから、友人が作ってはいないはず。
クリスマスプレゼント用に組みひもの材料を探した時も見かけなかった。
先生が授業で使う物は、ここに置いたりしない。
『で』、『と』、『う』……
あ、これっ、もしかしてっ。
「さん?」
「これ、たぶん、私たち見ちゃいけないやつだと思う」
「えっ! なんかの秘密!?」
「なんの!? ちがくて、そういうんじゃなくて」
「あ、誰か来るっ」
「えっ」
「ほら!」
日向くんが言うとおり、廊下のほうで声がする。
近づいてくる。数人、楽しそうにはしゃぐ、きっと女子だ。
「さん、おれもたたむ「いいよ、それよりっ」
乱暴だけど、そこまでこだわった畳み方じゃなかったから、いいやっ。
誰も入ってこないなら、そのとき畳み直せばいい。
中途半端に広げた布をだいたいの折り目に沿って畳み、元の位置に戻した。
声がどんどん近くなる。
「さんっ?」「こっち」
準備室だ。この中までは入ってこない、たぶん。いや、でも、一応隠れておこう。
目についた長いカーテンをサッと引いて身を隠した。電気はもちろんつけない。
暗がりでも日向くんが驚いているのがよくわかる。しーーっと人差し指で制した。日向くんが何度も頷いた。
被服室、やっぱり誰か入ってきた。
電気つけっぱじゃーーん
最後出たの誰? 消したよ、ちゃんと でも点いてた!
おばけじゃない?前にも噂あったし
雪中七不思議ってあったよね ここ3番目だっけ? 今冬だよ 冬って幽霊出ないの?
あ!
やっぱ、ちゃんとしまってないっ
引き戸が開けられる音、ビニール袋が掠れあう。
言い争うやり取り、3年生に見られたらどうするのって責任感ある口調はたぶん現部長だ。
なだめているのは、確か同じクラスの子だ。
3年生はそんなに学校に来なくなるから、誰も見てないよって。
「卒業式までちゃんと隠しとくってみんなにもっかい言っとこ!!」
数人のおしゃべりが遠のいていく。
今度はちゃんと電気消した?って確認の声、消えてんじゃん!って軽口、廊下に響いてどんどん遠のいていく。
やっぱり、そうだ。
「さっきの、卒業式の時に飾る横断幕だと思う」
毎年恒例、ということはなく、たぶん今年の2年生たちの発案だろう。
文化祭と同じく新しいチャレンジをしたに違いない。
先ほど広げた布は、『お め で と う』の文字と、はっきり確認はしていないけど、“卒業”と縫い付けてあるようだった。
ピンクの花は、さくらだ。
卒業生の門出を彩る、お祝いの証し。
「よかった、2年生と会わなくてすんで。バレたら気まずいし」
といっても、卒業式に特別な飾りがあることは誰しも想像がつくことだし、鉢合わせても問題なかったともいえる。
隠れるの、大げさだったかな。
いや、結果オーライだっ。当日はじめて目にして驚いた方がずっといい。
「……」
日向くんから返事がない。
はたと気づく。
また、私。
すぐ前が、日向くんの学ランの黒。
離れなくちゃ。
体の向きを変えたはずが、また黒、それは日向くんの腕だった。
「もうちょっと、このままって、だめ?」
やっと、聞こえた日向くんの声。
黒が、また近づいた。
next.