顔を上げる勇気が、出ない。
ダメじゃないっ て、いわなくちゃ。
日向くんに応えたい。
緊張しすぎてなにも出てこない。
さっきまでふつうにしゃべってたのに。
今までも、こういうの何回もあったのに。
クリスマスの時だって、こんな近く、いくらでも。
「!」
背中に、日向くんの腕が、回った。
いやじゃ、ない、けど。
ここは学校で、怖くもあって。
どうしよう。
どうし、よ。
肩に力が入ったのに気づかれたらしい。
日向くんの手が引っ込んだ。
「ごっごめん、さん。 久しぶりで、つい……、とまんなくなった」
「いぃよ、ぜんぜん」
「さん、その、えぇと」
日向くんが違う話題を探しているのがわかって、また、そうやって遠のいていく予感がして、つい、今度は私から掴んでしまった。
制服にシワが寄るのも悪いから、指先でつまむ程度にすぐ変えて、その後すぐ、離した。
無言のまま、顔も上げられないまま、足元を見つめ、日向くんが動くのに合わせて上履きの位置を変えた。
うしろ、壁、ぶつかって、前。
「こっち、……やっと、見てくれた」
日向くんが、なんだか安心したように表情を崩した。
つられて笑顔を意識した。
「ご、ごめん、なんかっ、緊張しちゃって」
「緊張?」
「ひ、日向くんがっ、悪いんじゃなくて、私が、わたしが悪いの、わたし」
「うん……」
「私が、ね」
また視線を落としてしまって、おそるおそる様子を確かめてみる。
日向くんがまっすぐこっちを見ていた。
「“わたしが”、なに?」
日向くんが、待っててくれている。
私が、何を言わんとしているのか、聞こうとしてくれている。
クリスマスの時も、そうだった。
冴子さんに教えてもらった3秒間、そのあいだ、決心がついていなかったのを見透かされていた。
いまも、たぶん、さわられてもないのに、このドキドキ、知られてる。
日向くんがあとちょっと進めばぶつかる距離。
日向くんは、いつだって待っていてくれる。
私が、この手を少し伸ばせば触れ合える近さ、ほんのちょっとの勇気を出して、手のひらを差し出した。
「……よかったら、手、つないでも、いい?」
いいよっ、
そう、すぐ返されると思ったのに、日向くんから返事はなかった。
あ、れ、おかしなこと言ったかな。
手、つなぐの嫌だったとか?そういうこと?
もしかして、調子のりすぎた?
「ごごめん、やっぱ今のなしっ、
なし、
で……」
見知った“笑顔”じゃなくて。
教室でみかける“男子”って感じでもなくて。
後輩たちの前で見せる“先輩”でもなくて、
……なくて。
ただ、真っ直ぐに、こちらを捉えている、両眼。
今、気づいた。
日向くん、私の前で距離を保ってくれている。待ってて、くれてる、けど。
右も、左も、きちんと、通せんぼされていた。
日向くんの両腕が、私の逃げ道をなくしていた。
ほんとうは、 日向くん、もっと、 ちがう、「いいよっ」
「……さん、手、つなご」
「あの」
「どうせなら、どっちもっ!」
「う、ん……」
「こうしたらさっ、なんか、いいよねっ」
ぎゅ、と、ぎゅうっと、右手と左手をつないでしまうと、幼稚園生のお遊戯だろうか、ダンスでもするような向かい合う形になっていた。
日向くんは、いつもの日向くんでいてくれた。
「さんの手、冷たくなってる」
「こ、ここ、寒いから」
「あっためるっ」
ぎゅっと、さらに指が重なり合った。
日向くんの指先はあたたかかった。
その熱に、じんわりと追いかけられる心地がした。
電気もつけていない準備室は、暗かった。
窓はあるけど、たくさんの荷物と薄手のカーテンで閉ざされている。
被服室に繋がる扉も入り口と同じで小窓はあるけど、カーテンで向こう側は見えない。
ほんの少しこぼれた明るさと、暗さに慣れた視力で、中の様子を見て取れた。
埃っぽいだけなのに、わずかな光の筋がきらきらしていた。
ここに二人いることを、誰も知らない。
「日向くん……」
なに、言う気だ、自分。
「あの、あったかい。 日向くんの手、あったかいね」
「それはっ、よかった」
「ありがと……、あ! あのね」
目、みれない。
11月と12月のままのカレンダーが壁にかかっていた。
「そっそういえば! 日向くん、答え合わせ、まだだったねっ」
「答え、合わせ?」
「ほらっ、年越し! ジャンプしようって、忘れた?」
新しい年が来る瞬間、0時ちょうどにジャンプしようと電話で話したことを、間を埋めるように説明した。
日向くんだって覚えているかもしれないのに、わざわざ、ご丁寧に。
「日向くんは、そうだな……寝てたっ。 どう?」
「起きてたっ」
日向くんがきっぱり答えを言い放つ。
「おれ、起きて、さんに電話かけたっ」
「そうなの?」
「繋がんなかったけど」
もしそうなら、一番に声聞けたのに。
一番にこだわっても意味はないのに、なんでだか、繋がらなかった事実が無性にもったいなく思えた。
電話会社の人、がんばって電波を繋げてくれたらよかったのに。
「さんは起きてジャンプした?」
「した」
「やっぱり! おれ、正解っ」
「いっ、今のずるくない?」
「なんで?」
「先に答え聞いたから。 ちゃんと日向くんの予想聞けてない」
「さんならジャンプしてくれるって思ってたっ、だから正解っ、てー、ことじゃダメ?」
手を繋いだままだけど、いつもと同じ、明るい感じで話が弾んだから、ダメなんて言う気もなくて、いいよって笑った。
「じゃ、さ」
日向くんが言葉を切って、天井を見上げてから続けた。
「ごほうび、もらえる?」
「ごほうび? 日向くん、欲しいものあるの?」
「ある!!」
「なに? 高いものは無理だけど」
すぐに食堂のメニューと財布の中身が頭に浮かんだ。
いまは購買はやってないから選択肢は少ないけど、学校が始まってからなら、ある程度のものなら都合をつけられる。
「そ、そういうんじゃなくて」
「もっと高いの……?」
「それもちがうっ」
お年玉で買える範囲を想像して躊躇したものの、日向くんの欲しいものはそういう系ではなかったらしい。
「さんだからできることで……、購買とかそういうっ、どこかに売ってるものじゃなくて」
「……あ!! 差し入れ大丈夫、作ったことあるやつならなんでもっ」
「さんの中の『おれ』、そういうイメージなんだ。 ……ちょっと、凹む」
「えっ、いや、ごめん!」
「かわいい、けど」
「えっ?」
話の方向がわからなすぎて、大きな声で聞き返してしまうと、日向くんもまた同じ勢いで答えてくれた。
「さん、かわいいっ。
いっつも、かわいいけど。
かわいい!」
な、
ん、
で。
「そういうこと……、そーいう」
「……、……」
「日向くん……、
そんな、みられると、さ」
「ごごめん、さんかわいくてつい!」
「だっ、から」
すぐ、そうやって、かわいいとか、日向くん。
抗議する意味も込めて、いや、もうただ、ただ反応に困って、繋がったままの両手をぶん、と、上下させた。
意味なんてない。
ただ、からかわないでって気持ちを込めただけだ。
人の気も知らないで。
そんな想いを込めてにらんでみせても、日向くんのほうは、なんだかうれしそうに微笑んでいた。
「なんか、おれ、満たされたっ」
「なっ! なに、それ」
「久々に、ちゃんとさんに会った感じ!」
「……さっきから、ずっと会ってる」
「ん、会ってるけど、もっと、もっとさ!」
腕時計をちらと見た。
「トス、あげる時間なくなっちゃうよ?」
「そっそんな時間経った!?」
「受験生に時間はないんですっ」
「じっじゃあ、さん行こうっ、時間なくなる前に」
「トスの方が、いいんだ」
小さく呟いて、どっちの手も離した。
「えっ、今なんて言ったの?」
「なんにも言ってないっ」
「さん、なんか機嫌、「日向くん、置いてっちゃうよ」
「待ってって、さん!」
すぐ追いつかれるのはわかっていた。
わざと後ろ手で勢いよく準備室の扉を閉めた。
なんて言ったのっ?
ほら、もう隣にいてくれる。
next.