ハニーチ

スロウ・エール 183




顔を上げる勇気が、出ない。


ダメじゃないっ て、いわなくちゃ。

日向くんに応えたい。
緊張しすぎてなにも出てこない。

さっきまでふつうにしゃべってたのに。

今までも、こういうの何回もあったのに。

クリスマスの時だって、こんな近く、いくらでも。


「!」


背中に、日向くんの腕が、回った。


いやじゃ、ない、けど。


ここは学校で、怖くもあって。


どうしよう。

どうし、よ。


肩に力が入ったのに気づかれたらしい。
日向くんの手が引っ込んだ。



「ごっごめん、さん。 久しぶりで、つい……、とまんなくなった」

「いぃよ、ぜんぜん」

さん、その、えぇと」


日向くんが違う話題を探しているのがわかって、また、そうやって遠のいていく予感がして、つい、今度は私から掴んでしまった。

制服にシワが寄るのも悪いから、指先でつまむ程度にすぐ変えて、その後すぐ、離した。

無言のまま、顔も上げられないまま、足元を見つめ、日向くんが動くのに合わせて上履きの位置を変えた。

うしろ、壁、ぶつかって、前。



「こっち、……やっと、見てくれた」



日向くんが、なんだか安心したように表情を崩した。

つられて笑顔を意識した。


「ご、ごめん、なんかっ、緊張しちゃって」

「緊張?」

「ひ、日向くんがっ、悪いんじゃなくて、私が、わたしが悪いの、わたし」

「うん……」

「私が、ね」


また視線を落としてしまって、おそるおそる様子を確かめてみる。

日向くんがまっすぐこっちを見ていた。



「“わたしが”、なに?」



日向くんが、待っててくれている。

私が、何を言わんとしているのか、聞こうとしてくれている。

クリスマスの時も、そうだった。

冴子さんに教えてもらった3秒間、そのあいだ、決心がついていなかったのを見透かされていた。

いまも、たぶん、さわられてもないのに、このドキドキ、知られてる。

日向くんがあとちょっと進めばぶつかる距離。

日向くんは、いつだって待っていてくれる。

私が、この手を少し伸ばせば触れ合える近さ、ほんのちょっとの勇気を出して、手のひらを差し出した。


「……よかったら、手、つないでも、いい?」


いいよっ、


そう、すぐ返されると思ったのに、日向くんから返事はなかった。

あ、れ、おかしなこと言ったかな。

手、つなぐの嫌だったとか?そういうこと?

もしかして、調子のりすぎた?


「ごごめん、やっぱ今のなしっ、


 なし、


    で……」




見知った“笑顔”じゃなくて。


教室でみかける“男子”って感じでもなくて。


後輩たちの前で見せる“先輩”でもなくて、

 ……なくて。


ただ、真っ直ぐに、こちらを捉えている、両眼。


今、気づいた。


日向くん、私の前で距離を保ってくれている。待ってて、くれてる、けど。


右も、左も、きちんと、通せんぼされていた。

日向くんの両腕が、私の逃げ道をなくしていた。


ほんとうは、 日向くん、もっと、 ちがう、「いいよっ」



「……さん、手、つなご」

「あの」

「どうせなら、どっちもっ!」

「う、ん……」

「こうしたらさっ、なんか、いいよねっ」


ぎゅ、と、ぎゅうっと、右手と左手をつないでしまうと、幼稚園生のお遊戯だろうか、ダンスでもするような向かい合う形になっていた。

日向くんは、いつもの日向くんでいてくれた。


さんの手、冷たくなってる」

「こ、ここ、寒いから」

「あっためるっ」


ぎゅっと、さらに指が重なり合った。

日向くんの指先はあたたかかった。

その熱に、じんわりと追いかけられる心地がした。

電気もつけていない準備室は、暗かった。

窓はあるけど、たくさんの荷物と薄手のカーテンで閉ざされている。

被服室に繋がる扉も入り口と同じで小窓はあるけど、カーテンで向こう側は見えない。

ほんの少しこぼれた明るさと、暗さに慣れた視力で、中の様子を見て取れた。

埃っぽいだけなのに、わずかな光の筋がきらきらしていた。

ここに二人いることを、誰も知らない。


「日向くん……」


なに、言う気だ、自分。


「あの、あったかい。 日向くんの手、あったかいね」

「それはっ、よかった」

「ありがと……、あ! あのね」


目、みれない。

11月と12月のままのカレンダーが壁にかかっていた。


「そっそういえば! 日向くん、答え合わせ、まだだったねっ」

「答え、合わせ?」

「ほらっ、年越し! ジャンプしようって、忘れた?」


新しい年が来る瞬間、0時ちょうどにジャンプしようと電話で話したことを、間を埋めるように説明した。
日向くんだって覚えているかもしれないのに、わざわざ、ご丁寧に。


「日向くんは、そうだな……寝てたっ。 どう?」

「起きてたっ」


日向くんがきっぱり答えを言い放つ。


「おれ、起きて、さんに電話かけたっ」

「そうなの?」

「繋がんなかったけど」


もしそうなら、一番に声聞けたのに。

一番にこだわっても意味はないのに、なんでだか、繋がらなかった事実が無性にもったいなく思えた。

電話会社の人、がんばって電波を繋げてくれたらよかったのに。


さんは起きてジャンプした?」

「した」

「やっぱり! おれ、正解っ」

「いっ、今のずるくない?」

「なんで?」

「先に答え聞いたから。 ちゃんと日向くんの予想聞けてない」

さんならジャンプしてくれるって思ってたっ、だから正解っ、てー、ことじゃダメ?」


手を繋いだままだけど、いつもと同じ、明るい感じで話が弾んだから、ダメなんて言う気もなくて、いいよって笑った。


「じゃ、さ」


日向くんが言葉を切って、天井を見上げてから続けた。


「ごほうび、もらえる?」

「ごほうび? 日向くん、欲しいものあるの?」

「ある!!」

「なに? 高いものは無理だけど」


すぐに食堂のメニューと財布の中身が頭に浮かんだ。

いまは購買はやってないから選択肢は少ないけど、学校が始まってからなら、ある程度のものなら都合をつけられる。


「そ、そういうんじゃなくて」

「もっと高いの……?」

「それもちがうっ」


お年玉で買える範囲を想像して躊躇したものの、日向くんの欲しいものはそういう系ではなかったらしい。


さんだからできることで……、購買とかそういうっ、どこかに売ってるものじゃなくて」

「……あ!! 差し入れ大丈夫、作ったことあるやつならなんでもっ」

さんの中の『おれ』、そういうイメージなんだ。 ……ちょっと、凹む」

「えっ、いや、ごめん!」

「かわいい、けど」

「えっ?」


話の方向がわからなすぎて、大きな声で聞き返してしまうと、日向くんもまた同じ勢いで答えてくれた。


さん、かわいいっ。

 いっつも、かわいいけど。

 かわいい!」


な、
  ん、
    で。


「そういうこと……、そーいう」

「……、……」

「日向くん……、

 そんな、みられると、さ」

「ごごめん、さんかわいくてつい!」

「だっ、から」


すぐ、そうやって、かわいいとか、日向くん。

抗議する意味も込めて、いや、もうただ、ただ反応に困って、繋がったままの両手をぶん、と、上下させた。

意味なんてない。

ただ、からかわないでって気持ちを込めただけだ。

人の気も知らないで。
そんな想いを込めてにらんでみせても、日向くんのほうは、なんだかうれしそうに微笑んでいた。


「なんか、おれ、満たされたっ」

「なっ! なに、それ」

「久々に、ちゃんとさんに会った感じ!」

「……さっきから、ずっと会ってる」

「ん、会ってるけど、もっと、もっとさ!」


腕時計をちらと見た。


「トス、あげる時間なくなっちゃうよ?」

「そっそんな時間経った!?」

「受験生に時間はないんですっ」

「じっじゃあ、さん行こうっ、時間なくなる前に」

「トスの方が、いいんだ」


小さく呟いて、どっちの手も離した。


「えっ、今なんて言ったの?」

「なんにも言ってないっ」

さん、なんか機嫌、「日向くん、置いてっちゃうよ」

「待ってって、さん!」


すぐ追いつかれるのはわかっていた。
わざと後ろ手で勢いよく準備室の扉を閉めた。

なんて言ったのっ?

ほら、もう隣にいてくれる。


next.