「さんも、烏野 受けるよね?」
物音のしない昇降口で、日向くんが突然振り返って尋ねてきた。
唐突な話題に驚きつつ、頷いた。
「受けるよ。 なんで?」
「いっいや、なんとなく!」
日向くんが自分の下駄箱に近づいていく。
同じく上履きを脱いで自分のところにしまった。
みんなの靴があんまり埋まってないのは、まだ冬休みだからだ。
日向くんが元気よく外履きを落とした。
私はそっと低めの位置から靴を置き、足先を入れて話した。
「けっこう受ける人いたと思うよ」
「そうなんだ」
たしか模試で志望校に入れていた人がチラホラいたはずだ。
吹奏楽部の子とも話したことがある。
日向くんも腕を組んで、そういえばと天井を仰いだ。
「アッちゃんも受けるって言ってたっけ」
「行きづらいって、他のところ受ける人も多いみたいだけど」
「そっか。でも、さんは受けんだ」
「うん、受ける」
私は、日向くんと同じ烏野高校を受験する。
校舎の外を出ると、すっかり日も落ちていた。
少しだけ前を歩く日向くんの隣に早歩きで追いついて、横顔を見つめた。
「なんでっ?」
「えっ」
「日向くん、わざわざ確認するから。
なんでかなって」
日向くんは“なんとなく”を繰り返したけど、同じく“なんとなく”納得できなくて、さらに聞いてみると、日向くんは俯いて言葉をにごした。
校門を通り抜けてもだんまりだ。
もしかして講習でまた先生に変なことを吹き込まれたとか。
私が烏野を受験するなんて、ずっと前から知ってるはずなのに。
「おれ、自転車っ、「わかった!」
駐輪場に駆けていきそうになる日向くんの前に回り込んだ。
私の行動に驚いたらしい日向くんが目を丸くした。
「わ、わかったって」
「日向くん、寂しくなった?」
さっき、私が日向くんにこぼしてしまった感情を思い出していた。
こんな寒い季節、だれでもそんな気分になる。
暗がりに、第一志望の高校を書いた時のことを思い浮かべた。
「正解だ」
なんでもないクイズのように続け、自分の口元に同じく人差し指を当てた。
もし本当にそうなら、二人だけの秘密にしておこうって、そんな気持ちを込めて。
日向くんは目が合うと、一瞬だけハッとした様子を見せて、すぐに横を向いた。と思うと、その反対側を見た。
もう一度、反対方向を見る。
なにかあるのかなと、同じ方向を確認したときには、もう視界が傾いていた。
一気に距離が縮まって、うでに、身体に、何かがぶつかって、あたたかい。
お互い荷物を持っているから、なんとも不格好だった。
それでも、ちゃんと抱きしめられている。
知っている感覚で、ぬくもりだった。
ひ、なたくん。
上手く声が出なくて、空気で伝えていた。
嫌ではなくて、頭が真っ白になった。なんの、はなし、してたっけ。
一台の自動車がさっそうと走り抜けていった。
ヘッドライトが一瞬だけでも眩しかった。
今の、は。
「あ、あの、日向くん」
日向くんはちょうど道路を背にしていたから、車は見えていない。
何とか自由のきく手首を動かして、日向くんのコートを引っぱったけど、一層強く抱きしめられた。
い、嫌がってるんじゃなくて、あの!
なんとか声に出せた。
「いま、今、車がっ、その、先生乗ってて!」
「……えっ」
先生という単語のせいか、日向くんが腕の力をゆるめて、背後を見た。
ちょうど信号が赤になっている辺り、学校の駐車場から出てきた自動車が停まっている。
気まずそうに表情をこわばらせた日向くんが、改めてこっちを見て、向こうを指さした。
「あ、あのクルマ?」
「……そう」
「!!」
日向くんが私から数歩分、後ずさったとき、信号が青に切り替わって自動車はみえなくなった。
チラ、と学校の駐車場のある方を見る。
日向くんも同じ方向を向いていた。
「……」
「……」
あの車、ぜったい、絶対、そう。
言葉にならず、口元を両手で覆った。みられた、見られた、ぜったい。
顔から火が出る状況ってこのことだ。
「さん、おれっ」
「あ、謝んなくていいからっ」
本心である。恥ずかしさはあれど、引き寄せられた感覚は決して嫌なものではなかった。
日向くんがソワソワともう一度辺りを見回した。
「せっ、先生、乗ってた?」
「……そりゃ、もちろん」
暗くてはっきり見たわけじゃないけど、まさか誰も乗らないで自動車が動くわけがないし、お抱え運転手がいるなんて聞いたことがない。
なにより、あのクルマの感じ、ぜっったい見たことある。
日向くんもさすがに後悔しているのか、気まずいのか、原因はわからないけれど、しばらく固まって動かなかった。
「あの、日向くん」
声をかけても反応がない。
「このまま、その、ここにいても寒いし」
「だっ、だよね、かえろ!!」
「待って自転車っ、取りに行かないとっ」
「そうだった!!」
日向くんが走っていく。駐輪場へ。
「……」
「さんっ?」
後から追いかけていくと、日向くんがハンドルを握って自転車をうごかし始めたところだった。
いつもなら、校門のところで待っている私が来たから不思議に思ったんだろう。
近づいていくと、日向くんがじっと私を見つめて様子を窺っていた。
見つめ返してから、右をみて、左を確認する。ついでに後ろも。
その様子を見て、日向くんが言った。
「誰もいない、けど、……ここは」
「みたいだね」
「おっおれのそば、来ない方がっ」
「えっ」
自分でもびっくりするほど声が出ていた。
日向くんは、私のいない方を向いて続けた。
「きっ今日のおれ、さっきも、つか、家庭科室でも、ちょっとアレ……だったし」
日向くんの自転車まで、そばにいることを拒むように明後日の方向を向いていた。
「さんと久しぶりだからってつい……、近くにいるとまた、さっきみたく、」
さっきみたく、抱きしめることはできなかったけど、代わりに、ハンドルを握る日向くんの手を、ぎゅっと両手で握りしめた。
「あのっ、イヤじゃ、ないから」
日向くんの手は、どこか冷たかった。
少しでも温まるようにと優しく指先に力を込めた。
「ま、周りには、注意してほしい、けど」
「……ごめん」
「いいの、もう」
手を、はずした。
「帰ろうっ。 謝るの禁止っ」
声を明るく切り替えた。
「ん……」
自転車のタイヤが回る音がついてくる。
振り返ると、まだ日向くんの表情が固くって、歩く速度を落としてとなりに並んだ。
「あの、日向くん」
すきだよ
そう言いたいのに、日向くんと目が合うと、すぐ、これだ。
胸が詰まって言葉にならない。
「なんでも、」
ないって、続けようとしたけど、なんでもなくないから、息を吸い込んで、ゆっくりと吐くと、私の熱意が白く立ち上っていった。
「あの、えーーっと」
視線を浴びすぎてくすぐったい。
すきなのに逃げたい。なんなんだろ、この感じ。
「えっと、……」
ほら、早く。
心の中で自分にはっぱをかける。
「次っ、は、人いないところでしよっ」
「えっ」
「あっ……」
深い意味はないんだけど。
付け加えた言葉はもはや意味をなしていなかった。
「そうするっ!!」
「……」
「よかった、おれ、さんに嫌われたかなってそれだけがほんと心配でっ……、あっ、信号っ、いや、次でいっか。
さん?」
待って、もうちょっとだけ。
言葉にならなかった。
いま言ったの、人のいないところで抱きしめてって意味になる。
それって、好きって伝えるより、大胆すぎないか。
「さん? だいじょーぶ?」
「あの、なんかっ、ちょっと待って」
寒いのに熱い。
それでも触れたほっぺたは確かに冷たかった。
日向くんの視線を感じる。
いつも通りに戻ってくれてうれしいのに、今度は私の方が追いつけなかった。
next.