「よし、廊下に整列。 さわぐなよー」
担任の声かけを合図に、教室が椅子を引く音でいっぱいになる。
全校生徒が集まる朝礼は、校庭ではなくて体育館だった。
窓からみえる景色はどんよりとした曇り空、外より寒さはましだろうけどコートを着ていった方がいいかもしれない。
「さん、行かないの?」
「行くよっ」
やっぱりコートは大げさかな。
考えている内に、教室内のざわめきは廊下に移動していた。
「コート着るの?」
「う、ん……寒いかなって、校長先生の話、いつも長いから」
「たしかにっ、休み明けはいつも長いっ」
日向くんが腕を組んで大きくうなずく。
やっぱりコートを羽織ることにした。
袖を通しながら、教室の扉に向かう。
「日向くん、上着いいの?」
「おれは別に……、あ!」
日向くんが急にくるりとUターンしたと思うと、日向くんの席にかけられていた学ランを手にして戻ってきた。
「やっぱ着る!」
日向くんが、ガラッと教室の引き戸を後ろ手で閉めた。
「風邪引いてそばによれなくなったら、困るっ」
それは、なんの、だれの、そばに。
「日向ー、早く来いよー」
「おー!」
同じクラスのひとでなんとなく出来上がっていた列の空いているところに、日向くんが収まった。
乱れていた生徒の間隔も、前に進むにつれて整っていく。
「ちゃん、コート! ジャージよりそっちがいいかなー」
「もう取り行けないよ、前、まえ。 ちゃんも」
「う、ん」
上履きが廊下で擦れて、キュ、キュッと音がした。
静かにしろって前を歩く先生の声、友達と顔を見合わせて表情だけで会話した。
やっぱりコートを着て正解だ。
ひそひそ話も白く立ちのぼる。
前を歩く日向くんは、クラスメイトの合間からみえる。
「声が小さいですね、もういっかいっ」
あけまして おめでとうございます
全校生徒が集う体育館に、いっせーのせ、で発せられた全員の新年の挨拶がズレつつ響き渡った。
校長先生は、私たち生徒よりずっと元気よく話を続けた。
1回目は声の出てなかったものの、どうやら2回目の『あけましておめでとう』は、合格点をもらえたらしい。
恒例の話をきちんと最初は聞いていたけど、校長先生が徐々に盛り上がっていくのとは正反対に、少なくとも私の周囲は小さな声ながらおしゃべりがちらほら聞こえ始めた(前にいる日向くんは、時々、ガクッと傾いていた)
「え? ボタン?」
思わず声を大きく出してしまって口元を押さえた。
後ろにいる友達が私に近づいて続けた。
遠野くんの第2ボタン、なくなってたっ。
そっか、そういえば、そんな季節でもあった。
友達は声量を押さえつつも、言葉の端々を弾ませていた。
こういう話題が好きな子ではある。
「いいよねー、遠野くんの第2ボタン、自慢になりそう」
「あれ、休み前に、野球部? だっけ、もらってなかった?」
「ちゃんよく知ってるね、これ!!」
クラスメイトは嬉しそうに腕を上げた。
手首にはゴム、その輪には小さなボタンが通してある。
紛れもなく、雪が丘中学の校章が入った男子の学ランのボタンだ。
ただし、このサイズ、服の第2ボタンじゃなく、腕についている方だ。
「これも第2ボタンだよ」
「腕のね」
私の前に立っていた子がさらりと返して、人差し指を立てて制した。
思ったよりは声が大きくなっていたらしい。
といっても、一番前の台に立つ校長先生の話は本筋から外れてまだ盛り上がっていた。
「腕でも第2ボタンは第2ボタンなのに」
友達は、ゴムに通された小さめのボタンをいじりながら口を尖らせた。
一般的に、心臓に一番近いと言われる胸の高さの第2ボタンが意味を持つと言われている。
あなたが一番大切な人、だっけ。
由来は忘れてしまったけど、意中の人が身につけていたものだ。
「どのボタンも3年間ずっとその人といっしょだったから、特別だよね」
「それっ、ちゃんいいこと言うっ」
先生の咳払いがちょっと後ろで聞こえてきた。
二人してピンと背筋を伸ばす。
私たちの真横を先生が通り抜けていく先に、またガクッと反対側に傾いた日向くんがみえた。
こんな時間でさえ、きっと。
「翔ちゃんどこいったんだろ」
あたたかな教室、泉くんが後ろの席を見てそう言った。
「なんか、呼ばれてたよ」
朝礼を終えて教室に戻る道中、先生に声をかけられていた日向くんを思い起こす。
「翔陽は寝方が目立つんだよなー」
「あー」
泉くんが、関向くんの言葉に納得したらしく困った笑顔を浮かべた。
まだ賑やかな教室の前の扉が勢いよく開かれた。
「日向くん、戻ってきたみたい」
あれ。
上着を着てない。
「翔ちゃん、なんで汗かいてんの!?」
「職員室から戻る時に、となりのクラスのやつがさっ」
「翔陽、学ランは?」
「やべっ、置いてきたっ」
「翔ちゃん!?」
どたばたと教室に戻ってきたかと思うと踵を返して日向くんは出ていった。
すばやい。もういない。
ロッカーから教科書を持ってきたらしい友人が、日向くんとは大違いで静かに席に着いた。
「日向、となりのクラスの男子と相撲だかなんだかしてて、すごかった」
「相撲!?」
まさかケンカかと焦ったものの、単なるじゃれ合い?取っ組み合いらしい。
休み明けだもんなとカバンから筆箱を取り出すと、前に座る友人は、これだから男子はと呆れた様子で欠伸していた。
やっぱり誰にとっても校長先生の話は長かったようだ。
「ごめん!!」
日向くんの声、ちょうど廊下に出ようとしたクラスの子とぶつかりかけたようだ。
「なにやってんだよ、翔陽」
「チャイム鳴るかと思って焦った!」
「次の先生、遅いから大丈夫だよ」
泉くんたちと話す日向くんは学ランを手にして、シャツは腕まくりしていた。
まるで湯気が立ちそう。
「教室、暑くない?」
「どこが」
私たちの方を向いてシャツの一番上のボタンを日向くんは外した。
友人がすかさずツッコむ。
暖房は入れてはあるけれど、窓際というのもあってまだ寒い。
日向くんは、机から下敷きを引っ張り出してあおいだ。
学ランを椅子の背にかけている。
「さん、どうかした?」
「あっ、ううん!」
つい、友達との会話もあって日向くんの学ランを凝視してしまった。
別に第2ボタンなんて、第2……
「これ?」
日向くんは学ランをまた手に取った。
ズボンをまさぐって何かを掌にのせて差し出した。
「目立つ? さっきとれた!」
第2ボタン、ちょうど、胸の高さについているべきもの。
「翔陽、制服、卒業までもたねーんじゃねーの?」
関向君の言葉を受けて、日向くんが両手で学ランを広げ、しげしげと眺めた。
前の席に座る泉くんもその様子を見ていた。
「これでも大事にしてんだけどな」
「あと3か月もないもんね」
「そうだ!」
日向くんがパッと掲げていた学ランを机まで降ろして、こちらを見た。
「さんか夏目、針と糸あったりする?」
友人が首を横に振った。
「こないだ持って帰ったんだよね」
そういえば年明けすぐに自由登校になるからと、東京に引っ越す友人はいち早く荷物を整理していた。
「、ある?」
「たぶん、ロッカーの中に」
まだ裁縫箱は持ち帰ってなかったはず。
見に行こうと思ったところで先生が入ってきてしまった。
「ごめん、日向くん、後で」
「いいよ、むしろありがとう!!」
「翔陽、自分でつけれんのか?」
「おー、やってみようと思ってさ!」
日向くんが関向くんたちと話すそばで、取れてしまった第二ボタンは机の上に転がったままだった。
next.