第二ボタン。
あんまり、考えたことなかった。
好きな人からもらいたいって、少しくらい浮かんだっていいのに、これっぽっちも想像したことがない。
先生の綴る黒板から視線を外す。
となりの日向くんは机に突っ伏している。
泉くんが言っていた通り、遅れてやってきた先生は話をするにも独特のリズムがあって、午前中だというのに眠気を誘ってきた。
日向くんの上着は、椅子の背にかけられ、ずり落ちそうになっている。
ボタンは、一つ欠けたまま。
第二ボタン。
もし、欲しいって言ったなら、
日向くん、くれる、……のかな。
「ごめんね、日向くん」
「いいよ、ぜんぜん!」
2時間目が終わってすぐロッカーを見に行ったけど、裁縫箱はなかった。
すっかり忘れていたが、部活で使った時にそのまま被服室に置いておいたんだ。
他の人に借りるという選択肢もあったけど、日向くんは、4時間目が終わったら一緒に家庭科室に行くと言ってくれた。
いっしょに来てくれる。それだけで、なんだかうれしかった。
日向くんは、もう学ランを羽織っていた。
ボタンは一つ空いたまま、第二ボタンだってこと、たぶん気にしてない。
3時間目を終えての4時間目、また体育館だった。
卒業式の予行練習。
始業式に出たばかりなのに、もう卒業の練習だなんて3年生は忙しい。
授業のおかげで元気になった日向くんは(よく眠れたようで)、休み時間を終えるころには活き活きしていた。
「朝に始業式だったのに、もう卒業式の練習って変な感じすんなー。 さん、しない?」
「するっ」
「さんマフラーだっ。 あれ、コートは?」
「だめだって、先生が卒業式の練習のときは『なし』って」
「ジャージは?」
「んー……、どうだろ」
先生は卒業式の時の格好でと念押していたから、ジャージは論外すぎる気がする。
マフラーだって女子のブーイングがあったから許可されたようなものだ。
「さん、手出して」
「?」
言われるがまま、手のひらを広げると、ぎゅっと何かを握らされた。この温度。
ひみつへーき。
日向くんはそう言って笑った。
ホッカイロだった。大きいサイズの、貼るやつじゃなくて。
「朝使ってたの、まだあったかいと思う。あげる」
「でも日向くん」
「おれは学校いるときは大丈夫。 並ぼうっ」
日向くんが言うように、今朝と同じく廊下に整列すべくみんな移動していた。
日向くんも、だし、私もクラスメイトに話しかけられて、自然と距離が離れた。
手の中には、日向くんからもらったホッカイロ。
整列するように、日直の二人が先頭で声を上げている。
それでも私は日向くんの見慣れた肩に手を伸ばした。
触れる前に日向くんがこっちに振り返ったから、心底驚いて、何を言おうとしていたか失念しかけた。
「さん、どうかした?」
「え、えっと!」
ビックリしてる場合じゃない。
「これっ、ありがと!!」
言えた。
ただ、ちゃんと、お礼が言いたかっただけだ。
……冷静に考えると、あとで言えばよかったとも思う。
「それだけ、ごめん」
すぐに自分の並ぶべき場所に戻る。
「どーいたしまして!!」
振り返ると、日向くんがうれしそうに片手をを上げてくれたから、すぐ振り返した。
「っち、どうしたのー」
「なんでもないよ」
なんでも、ある。
手の中にあるホッカイロが、すごくあたたかい。
「、」
体育館の入場前、待機している時、なぜか先生に名指しで呼ばれた。
卒業式の予行練習は、体育館の入り方からはじまり、クラスごとに順番に入っていく。
各クラスの整列は出席番号順だが、卒業生代表など役割のある人は、出席番号と関係なく先頭に立つ。
さっきも別のクラスの子が、そのクラスの担任に呼ばれて列の前に並ぶのを見ていた。
「っち、代表だっけ?」
「いや、違うけど……」
呼ばれるがまま同級生の間をすり抜けて、一番前にいる先生のところに行くと、卒業生代表である遠野翼くんが、事前の説明通り立っていた。
翼くんが立っているのは正しい。代表だから。
先生に『何でしょうか』と尋ねると、今日、翼くんと同じ役割の子が欠席らしく、代わりを務めてほしいと言われた。
ただ、一緒にスピーチを読むだけだとか。
「頼むよ、。 遠野が持ってる紙、交互に読んでくれればいいから」
「はあ……」
「じゃあ、頼んだぞ。 あっちのクラスに言ってくる。待機な。しーずーかーにーー」
静止するよう注意する先生の声の方が大きいよなと思いつつ、改めて翼くんに向き直った。
うちのクラスの代表、遠野翼くん。
卒業生代表ってたしか成績とか、部活の功績とか、先生の推薦で決まるはず。
さすがだよなと思いつつ、同じ委員会ということもあって話しかけた。
「翼くん、あの、よろしく。 ごめんね、急に私になっちゃって、もう一人って」
「隣のクラス、風邪だって」
「そっか、早く良くなるといいよね」
こんな時期に風邪なんてかわいそうだ。
あれ、となりのクラスの子なら、そっちのクラスの子が代わりをしてくれてもいいのに。なんで、私がわざわざ呼ばれたんだ。
「俺が言った」
「えっ?」
「なら、すぐ、できるだろ、こういうの」
「そんなこと……」
「俺も、慣れてる女子の方がいい」
「そ、そっかぁ」
そりゃ、そうだよね。
慣れてない相手と一緒に、3年生の代表として卒業生挨拶を読み上げるのは大変そうだ。
私なら同じ卒業アルバム委員だし。
みんなの前で読みあげるくらい……、
……壇上、で? 皆の前に立って?
「よーし、じゃあ、次のクラスがいったら遠野とも付いていけ、うしろも」
「先生、せんせい」
「なんだ、」
「私無理です、皆の前でしゃべるの」
「本番はじゃないから安心しろ、ほら、前行ったぞ」
「で、でも!」
急かされるまま、クラスの先頭に立って体育館に否応なしに入場させられる。
今朝と異なり、いつの間にか装飾され、パイプ椅子も並んでいた。
その椅子に先に入場していたクラスの皆がいつもより姿勢正しく着席している。
「ストップ」
別の先生が、自分たちの席までの道順を指示してくれる。
直進し、一度止まって方向を変えて、該当する列のパイプ椅子に着席する。
歩く道筋は、いい。大丈夫、それより、も。
「さん、なんで先頭? すげっ!」
状況を知らない日向くんと、途中で顔を合わせた。
列が途中で2列から1列に代わったから、ぐねぐねと曲がったその途中だった。
本当はしゃべっちゃいけないけど、いつもと違う位置に私がいたせいか、日向くんが興奮気味に話しかけてくれた。
「すごくないよ、ぜんぜんっ」
「なんかあんの?」
「欠席の子の代役しなきゃいけなくなって」
「代役?」
「、前」
「う、うん」
翼くんに声をかけられて、お互いに3年生らしく黙って進んだ。
日向くんと離れるのが名残惜しい、というより、卒業生代表の挨拶をやらされるその時が刻一刻と迫っているのが憂鬱すぎる。
「本当に、仲いいよな」
「え?」
「翔陽と」
何を言われたのかと思った。
「翼くんの方がいいじゃん、幼馴染なんだし」
私は中学生からだ。
この、雪が丘中学から、日向くんを知った。
「うらやましいよ」
顔を上げると、体育館の壇上には『卒業式』の文字が掲げられている。
もっと、前から知りたかった。
小学校の時のことも、その前も、できるなら、ぜんぶ、最初から。
身体が芯からポカポカしてくる。
「私、……がんばる」
日向くんからもらってる元気、きっと、こんな風に使う時なんだ。
ポケットの中のホッカイロも、今はお守り代わりだった。
next.