『すきだから!!!』
メールを開いて飛び込んできた文字の羅列。
お昼を食べ終えて一足先に学校を後にし、塾に向かっている道中のこと、携帯を見たのがよくなかった。
足が、とまった。
すき、だか、らって?
困惑してまばたきし、メールを凝視する。
送り主の名前、日向翔陽。
日本語として、単語として、“すき”も、“だから”も、意味は分かるんだけど、前後の文脈なくいきなり届いたメッセージにどうしたって思考停止する。
好きな人から『好きだ』って届けば、だれだって、きっと、こうなる、はず。
続けて新着メールが届いた。
携帯電話の通知欄には、「日向翔陽さんから新着メッセージが届いています」の文字がこっちの気なしに流れている。
もしかして、間違いメールだったからごめん、みたいな内容かも。
携帯電話をすばやく親指で操作した。
『おれはさんすきです!!』
……、……えっと。
1通目のメール(すきだから)よりは、情報が増えたからといって、思考回路が回りだすわけじゃない。
え、なに、なんだろ。日向くん、いきなりなに。
携帯が鳴った。
『もしもし、さん!?』
携帯電話の画面に出ていた通り、電話の向こうは日向くんだった。
返事をすれば、間髪入れずに日向くんは言った。
『おれ、さんすきだから!!』
「……、……へ?」
『それっ、どうしても言いたくなって!』
「あの……」
記憶をたどる。
私たちが分かれたのは、ついさっきのことだ。
先生からもらった缶コーヒー3本分、日向くんたちが、当然私はもらうべきだと1本受け取ることになり(別にあげてもよかったんだけど)、女子だから、という理由で友人も1本もらい受け、残りの1本を男子3人がじゃんけんした。
にぎやかなお昼を過ごして、日向くんは最後のラストスパートだという先生の補講を受けるらしく教室に残り、私たちもそれぞれの用事もあって昇降口で分かれた。
友人とはバス停まで一緒、日向くんと被服室でどんな時間を過ごしたかを聞かれて、取れたボタンを付けただけだと、ある意味正しく事実を説明した。
さらなる追求が来そうになったタイミングで、友人の乗るべきバスが来て、すぐ後に私の乗るバスも来た。
いつも通りの車内、見慣れた景色とアナウンスで停止ボタンを押し、これまでと変わらずバスを降りた。
うとうとしていた眠気も吹き飛ぶ北風を頬に受け、早足になりかけた時に携帯がふるえた。
それが、日向くんのメールだった。
「日向くん……、いま、補講中じゃないの?」
『ほっ、補講中!』
「なんで私に電話してるの!?!」
『いや、ちゃんと先生に言ったから!大丈夫!!』
「なにを先生にっ!?」
『あっ、さんがすきって言ったわけじゃないから!!』
そりゃそうだよ……!!
内心ツッコみつつも、いきなり『すき』と伝えられたこともあって、上手く言葉にできない。
電話越しに誰かが日向くんを呼んでいるのも聞こえた。日向くんの『やばい』の一言も。
『さんごめん!そろそろ戻る!!』
「いや、あの」
『またかけるから、じゃあ!!!』
また、
かける、って。
通話時間、5分もない。
携帯電話の画面から、「日向翔陽・通話中」の文字が消えて、何の変哲もないホーム画面に切り替わる。
携帯電話を手にして突っ立ったまま、数分。
風がびょおって音を立てて横切り、スカートから覗く膝小僧を冷やした。
木の葉がカラカラと、空っぽのペットボトルもどこからともなく転がっていった。
さらに数分。
パタン、と二つ折りの携帯電話を畳んだ。
ひ、な、た、くん。
「……もーーーー!」
勝手すぎる、
勝手なんだから。
すきって、なんで、いきなり。電話。学校にいるんじゃないの。
ぐるぐるぐると色んなことが頭の中で追いかけっこしてぶつかってぐちゃぐちゃだ。
ボタンを押さなきゃいけない横断歩道で、押すのも忘れてずっと立ち尽くしてしまった。
知らないおじさんが押してくれた。
“おれ、さんすきだから!!”
「……あっ」
バカみたい、信号が青になってるのになんでずっと眺めてたんだろ。
ボタンを押してくれたおじさんがもう遠い。
今度はちゃんと『押してください』ボタンを自分で押した。
携帯電話を開いてみる。
受信箱、日向翔陽の文字。
すきだから、て。
さんすきです、って。
なんでそんな、かんたんに。
空を仰ぎ見る。
厚い雲のあの辺から光がこぼれている。みえなくても、太陽はそこにあるんだろう。
ぜったい、私だって、すきって、言う。
言うんだから。
「さん、なんかあった?」
「え!」
塾の講師室から必要なものを受け取って、さっさと自習室に入ろうとしたとき、山口くんから声をかけられた。
山口くんの手にはコンビニの袋がある。
ドアノブに伸ばしかけた手で、自分の髪を撫でた。
「な、なんで?」
「いや、なんか」
「そこどいてくれる?」
自習室の扉が開いたかと思えば、頭の上から声がした。
月島くん。
山口くんのそばにいなくてよかったと油断するとこうだ。
返事をするのもなんだか悔しくて黙って道を譲ると、いつも通りの気のないお礼をくれた。
どうやら山口くんがすすんで買い出しに行っていて、自習室の中から戻ってきたのに気づいたらしい。
見かけによらず可愛らしい食べ物を受け取っていた。
視線に気づかれた。
「……なに?」
「なんでも」
ないですけど。
そこまで親切に言葉にしなかった。
「つ、ツッキー、俺がさんに声かけたから」
気まずそうに山口くんが声をかけてくれると、山口くんからこちらの方にわざわざ月島くんは身体の向きを変えてくれた。
「さん、余裕だねー」
「……余裕?」
「わざわざ同じ問題コピーして、他人の受験勉強まで手伝ってるんだって?」
ニコリと笑顔、が作られていることがよくわかる。
「ホント、根っからの“いい子ちゃん”やっててすごいよ。 自分だけ落ちないようにね」
月島君の後ろで山口くんがソワソワと視線を泳がしていた。
「ほめてくれてありがとう」
私だってきちんと笑顔を作れたはずだ。ついでに声色も。
相手の眉がぴくりと動く。
「月島くんが私のこと心配してくれたおかげで烏野落っこちたりしたらやだな」
「ハ?」
これまでの私なら、男子の冷たい一言にすぐさま凍り付くだろう。
一歩踏み出して自習室のドアノブに触れた。
「お互いがんばろうね」
「……」
「山口くんも」
「う、うんっ」
「じゃあ、私、他人の手伝いあるから。 休憩、ごゆっくり」
二人分の視線を背中に感じながら、なんでもないってふりをして自習室の扉を閉めた。
はああ、と一人胸をなで下ろし、目に付いたテーブルに荷物を置く。
手には月島くんに指摘されたとおり、“他人”のためにコピーしてもらったプリント2枚。
カバンの中で携帯が震えた。バイブ1回だけ、電話じゃない。
今度はなんだろ。
コートを脱ぐのも後回しで椅子を乱暴に引いた。
next.