さらに1時間が経った頃、向き合っていた問題も丸付けが終わっていた。
今日はここまでかな。
飛雄くんにも声をかけようかと思いつつ、シャープペンがまだ動いている。
代わりにカバンの中を覗くと、新着メールが届いているサインがピカ、ピカと一定のリズムで光っていた。
「」
カバンの口を閉じて視線を上げた。
「なんか、あったのか?」
「えっ」
飛雄くんがこちらをじっと凝視してくる。
顔に何かついてる?と焦り、思わず手を頬に当てた。
「な、なんにもないけど……なんで?」
「……」
「どっか、おかしい?」
「いや」
言いづらそうに顔を背けられると、余計に気になってくる。
カバンから小さな鏡を取り出して、前髪が変になってないかを確認している時だった。
「が」
なんつーか、
その、
うれし、そうだった。
「つか、そう見えたから、気になっただけだ」
「う、うれしそう……?」
思い当たるのは、パッと、光る、カバンの中の携帯電話に届いた、きっと、その。
取り出した手鏡をしまいながら答えた。
「メールが、その、届いて」
「メール?」
誰からだ。
そう聞き返されたらはずかしくて答えづらいこと、なんで自分から言っちゃうんだ。
後悔して中身のなくなった紙コップを見つめた時だった。
「メール、、好きなのか?」
「ぇ……」
「いま、そう言っただろ」
「いや……」
メール、
じゃなくて。
うれしかったのは、メール、なん、だけど。
好き なのは。
メールじゃなくって。
「すき、だよ」
日向くんのことが、すき。
本人を前にしている訳でもないし、文脈だって違うのに、なんで、こんな、一人ばくばくしてるんだろう。
置きっぱなしの消しゴムと赤ペンをいささか乱暴にペンケースへと戻した。
「だっだから、その、うれしくなって。 ごめん、すぐ顔に出る、ってまた謝ってる」
謝りすぎちゃいけないって今日指摘されたばかりなのに。
密かに反省していると、ふと向かいの席の飛雄くんは、無意識なんだろうけど、ちょっとだけ表情がやわらかな気がした。
他人事だったらこんな簡単に気づける。
きっと、私もこんな感じだったんだろう。
気持ちって、ときどき、勝手にあふれ出てしまう。
本人に指摘はしなかった。
「それよりさ、今日はこの辺にしない?」
お店も私たちと同じくらいに入った人たちも帰っていて、混雑具合も落ちついていた。
飛雄くんも一つ頷いてシャープペンをカバンにしまい、すぐハッと気づいて、私の真ん前に戻した。
私が貸したシャーペンだったから。
「いいよ? あげる」
そう切り出すと飛雄くんは目をぱちくりさせ、いいのかと聞き返した。
誰にでも自分の文房具を上げる習慣を持っているわけでもなんでもない。
ただ、なんとなく、このシャーペンは飛雄くんと相性がいい気がした。
「それ使ってると調子よさそうだったし、私のお気に入りってわけでもないし」
「……」
「い、いらないなら別に」
「いる」
私のものだったシャーペンが、再び飛雄くんの手中に収まった。
「、……ありがとな」
「ううん、大事にしてね」
「ああ」
今度こそシャーペンは飛雄くんのカバンの中に消えていった。少しでも飛雄くんの受験に役立てるといい。
お互いに広げていたプリントやノートもしまい、テーブルの上をスッキリさせてお店を後にした。
ありがとうございましたー
いらっしゃいませー
店員さんのマニュアル通りの挨拶に電子音、店内のBGMも、自動ドアが閉まってしまえば、幕切れのように冬のワンシーンに切り替わる。
見上げた夜空はまっくらだ。
「あ!」
声ひとつ上げて立ち止まった私に合わせ、飛雄くんも足を止めた。
「あのさ、時間ある?」
「なんかあんのか?」
「ちょっとだけ、いい?」
「?」
車道を挟んで向かい側、大きな看板が電灯の少ないこの通りではひと際目立っていた。
横断歩道を見つけてボタンを押す。
おまちください、の指示に従って二人一緒に青信号を待つ。
「腹減ったのか?」
マフラーを巻き終えた飛雄くんがポケットに手を突っ込んだまま問いかけてきた。
「ちがうよ。おなかはすいてるけど。
あ、行こっ」
赤から青へ、進めに切り替わった横断歩道を渡り切った先に、お菓子が山ほど積まれた棚が大きな値札とともに並んでいた。
お菓子の問屋さんみたい。そばを通ったことはあるけど、中に入るのは初めてだ。
店内はさらに窮屈なほどお菓子が陳列されていた。
「ほら、前に飛雄くんのクラスの人からもらったでしょ?」
「?」
「キットカット。 ほら、これと同じの」
受験生応援バージョンのキットカット、一つだけ手にして飛雄くんに見せるとようやく思い出したらしい。
記憶を取り戻せたからといって、なんでこの店に自分たちがいるかまではピンと来ていない。
ほんと、バレー以外のことには頭が働いていない。
「お礼のお菓子、買おうと思って。 明日渡してもらっていい?」
「誰に?」
「飛雄くんが、前にキットカットくれた子に」
「……なんでそんなことすんだよ」
「私も一緒に食べたから」
なんだか悪い気もしていた。
飛雄くんにプレゼントした子の気持ちを、半分ももらってしまったようなものだから。
好みを聞いてみても飛雄くんは知らないらしい。
しょうがないので、くれたお菓子と同じものは避けて、同じ系統のチョコレート菓子を一つ買うことにした。
今週のセール品らしく、もらう相手も負担に感じることはないだろう。
箱の裏には、やっぱり受験シーズンのおかげか、メッセージ欄までご丁寧に印刷されていた。
ついでに自分用のおやつも買うべきか。
勉強で疲れた頭は糖分を欲していた。家まで我慢すべきとも思う。
「あ」
横から伸びてきた手は飛雄くんのもの。
私が手にしていたお菓子の箱は奪われ、そのままレジへと向かっていく。
狭い店内でカバンが棚にぶつかり、落ちかけたお菓子を元通りにしていると、もう飛雄くんは会計を終えていた。
目が合うと、出口の方を指差され、姿を消した。
お店の外に出ると、白いレジ袋を下げて飛雄くんが待っていた。
何か、食べている。
「な、なんで食べちゃうの!」
「ダメなのか?」
「あっ、あれ……」
私が選んだのとは違う、栄養バーみたいなのを、飛雄くんはもさもさと口にしていた。
腕を近づけられたかと思うと、そのお店のふくろの中にはちゃんと無事な姿でお菓子が入っていた。
「……な、なんで飛雄くんが買うの?」
「お礼なんだろ、こないだの」
「そう、だけど」
「俺がもらったんだから、が買うのは変だろ。 違うか?」
あっという間に、なんとかバーを食べ終えた飛雄くんは、お店のそばに設置されていたゴミ箱へと向かった。
飛雄くんの質問は、正論ではあった。
「ち、……がわない」
けど、言いたいことは一つや二つは出てくる。
行くぞ、と一言だけ呟いたかと思うと、飛雄くんはもう歩きだしている。
早歩きで追いついた。
「あのキットカット、私も食べたから払うよ」
「いらねーよ」
「なんで、半分」
「からもらっただろ」
同じ信号でまたストップ、飛雄くんから視線を落とされる。
「これ」
いつの間にか懐にしまわれていたらしいシャーペンは、再び飛雄くんの制服の中へと消えていった。
青信号になるとすぐ飛雄くんが歩き出す。
なに、それ。
お返しする気もなかったのに急に、何なんだ。
「」
いきなり立ち止まったかと思えば突き出されたこぶし、何かを握っている。
訳もわからず片手を差し出すと、飛雄くんの手から四角いものが落ちてきた。
チョコレート、小さなサイズ。
オレンジに近い黄色のような、ビスケットの絵柄。
「やる」
「え、ちょっと」
なんでくれるの。
状況を理解していない私が手のひらのチョコを見つめているというのに、チョコをくれた本人はスタスタと歩いている。
「これっ、もらっていいの?」
「ああ」
「……なんで?」
勉強のお礼?これもシャーペンあげたから?
混乱する私に飛雄くんはポツリとこぼした。
「オレンジ、好きっつってただろ」
next.