ハニーチ

スロウ・エール 2



中学生になったばかりの5月くらいのことだ。



「危ないっ!」
「えっ」


ガッツン、と頭に何かがぶつかった。
それがバレーボールだと知ったのは、保健室に運ばれてからだった。


さん大丈夫!?ほんとに本当にごめん!!」


ぐわんぐわんしてる視界の中で両手を合わせてる男子を理解した。
身体を起こすと、保健室の先生が氷のたくさん入ったビニール袋をくれた。


「あ、氷を当てる前にちょっと見させてね」

「はい」

「んーー……ここ、痛い?」
「いたっ」

「痛いみたいね。こぶ、できてるみたいだし」

「先生っ、さんは……」

「しばらく冷やしておけば大丈夫。さん、安静にね」

「はい」

「ほんとにほんとにごめん」

「い、いいよ、大丈夫」

「日向君もボール遊びするなら、場所考えなさいね」

「!ボール遊びじゃ……」

「え?」

「あ、いえ……」

「じゃあもう帰って大丈夫よ、さんもう少し休んでく?」

「いえ、ちょうど資料を片付けないと行けなくて」

「資料?」

「あ、おれ、持ってます!」


さっきボールがぶつかった拍子にすべて落としてしまったのを思い出して、日向君が全部拾ってくれていたことを知った。
しゃべったことなんてろくになかったのに。


「じゃあ失礼します」

「はい、気を付けてね」


がらがらがら、と立てつけの悪い保健室の扉を閉めて、その前に二人で並んだ。
日向君を私をどこか心配そうに見ていたから、氷を当てるのをやめてなるべく平気な声を心がけて告げた。


「だ、大丈夫だから本当」

「ごめん……ほんとにごめんね!」

「気にしないで。それより何かの部活中だったんじゃないの?あ、資料持つから」

「おれ運ぶよっ、こうなったのも、おれのせいだし」


いいよって遠慮したけど、そのまま日向君はずんずんと歩いて行ったから、そのあとに続いた。

私より低いな?
同じ中一だよね?

ぼんやりと眺めた背中は、私が苦手とする男子っぽさがなくて一緒にいて嫌な感じなどしなかった。


「資料室だよね?」

「あ、うん。……日向君さ」

「ん?」

「バレー部なの?」

「え?」

「その、持ってるボール、バレーかなって」

「うん、そうだよ。でも……、部員いないからまだ愛好会扱い」

「そそうなんだ」

「いつもは体育館の隅っことか、グランドの端っこでやってたんだけど、どっちも整備だとか試合で邪魔になるから今日はダメでさ。ちょうど広いしあそこでやってたら……」


ちょうどボールが私にジャストミートした訳か。
なんとなく合点がいった。
資料室に入る日向君に続き、少しだけかび臭い気のする室内の電気をつけた。


さんはバレー部だっけ?」

「ううん、授業でやったことあるくらい」

「トスできる?」

「とす?」

「ボールを高く上げてパスするやつっ。スパイクの練習したいんだけど壁だとさっきみたいな事故あるし。これ、ここでいいの?」

「うん、ありがとう」

「どーいたしましてっ」


何がよかったのか知らない。
あまり男子と話したことがなかったし、あんなに素敵な笑顔を見たことないし、バレーが好きって伝わってくるとこも好感持てたし、資料をしまい終えておしまいの関係だったのに、なぜか日向君のことが頭から離れなかった。

日向君が言っていた通り、ある時は体育館の隅っこにいる日向君を見つけたし、ある時は走り込みをしている日向君も見たし、女子部が使わない日の体育館で一人練習している姿を私は見た。


さんっ」


あのよく通る声に呼ばれる。
声のする方を見ると日向君がいた。今日は制服姿だった。


「スパイクの練習付き合ってよっ」

「え?」

「今日の体育、かっこよかったっ。バレー部じゃないって言ってたのにすげー。運動神経あるんだねっ」

「あ、ああ……」

「ねえ、今日の放課後に時間ない?」

「ええっ」

「頼むよ、さんお願い!」


ぱん、と両手を合わせる日向君。
変に思われてやしないかと周囲を見渡したけど、渡り廊下にはちょうど人はいなかった。


「私もうバレーやってないし。それに教えてもらうなら私なんかじゃなくて、バレー部の子の方が……」

さんの試合見て、さんにって思ったけどー……。ごめん、無理言って」

「こっちこそ……ごめん」

「……」

「そ……そういえば、部員集まった?」


日向君は一瞬黙って、ほんの少し強張った笑みで応えた。


「まだ。これから」

「そっか」

さんはバレー部じゃないって聞いたけど、なんか部活やってるの?」


不意に聞かれて答えられなくて、別に普通に会話して終わって、その日が終わって、その日の夜に今日の会話を思い返した。


“なんか部活やってるの?”


日向君は一人なのになんでバレー部やってんだろ。
お風呂につかりながら、考えた。
クラスで孤立している訳じゃないし、他にもっと部員のいる部活もあるのに。
その一方で、同じ条件なのに未だに帰宅部の自分もいた。

来る日も来る日も一人で練習している日向君、私が放課後や昼休みにどこかで出くわす光景だった。

なんで一人でやってるの?バレーってそんなに楽しい?

不思議に思っても彼に問いかけるほどの距離感になるタイミングはなくて、そうこうする内に、中学1年から2年生になった。


next.