ハニーチ

スロウ・エール 3



人ごみの中から彼を探し出せるくらいにはなっていた4月。


「日向君っ」

「あれ、さん、どうしたの?」

「そっち、1年の下駄箱だよ」

「え、あ!?」

1年から2年になった四月の登校時間の時に、すぐに声が飛び出していた。
日向君と私は顔を合わせたら話はするくらいの仲になっていた。
といっても日向君はけっこう誰とでも仲良くなっていたから、私にとって男子の中でちょっと特別な存在になっている程度の変化だった。

クラス変えの表は既に確認していた私は、日向君と同じクラスなのは知っていた。
同じ下駄箱を使って上履きに履き替えて、クラスに向かった。

階段を上がってすぐに響く、彼の声。


さんっ」

「えっ」

「階、もいっこ上だよ」

「あっ」

「間違えるよね」

「うん」


ちょっと気恥ずかしくて笑顔でごまかしてみると、同じように笑顔が返ってきたから嬉しかった。

同じクラスになれた。それも嬉しかった。

このどこか浮かれる気分を恋と呼ぶのは違和感があったけど、少女マンガをそこそこ読んでいた私は、もしも恋するなら日向君がいいなとこっそり思った。

でも、日向君は嫌かもな。自分より身長高い女子なんか。


「「あ」」


声がかぶった。


さんと隣だー。よろしくっ」

「うん、……よろしく」


私たちは今度は同じクラスで、しかも隣の席になれるなんて運命かな。もしかしておまじない効いたのかな、なんてバカげたことを考えた。

1年生の時と同じように進む毎日の中、隣の席の彼と会話するのが楽しかった。


「日向君、すごくわくわくしてるね」

「そりゃさっ、新入生が入ってくれて5人以上集められれば公式戦に出られるっ」

「こ、公式戦……」

「その時はさん応援来てよ」

「え?「あっ」


応えようとしたときに先生が教室に入ってきて、会話は中断した。

ドキドキしてるのはこのクラスの中で私だけだろうなって思った。単なる話の流れで誘われただけなのに、少しだけ舞い上がった。日向君に、誘われた。

顔に気持ちが表れないように注意しながら部活の説明会の資料をもらって後ろに回した。
こっちの変化に気づくはずもない日向君がプリントの上の方を指さした。
瞬きしてプリントから日向君を見てみると、もう一度プリントを指す。

ようやく指さし場所を見て理解した。


ああ、バレー部の紹介があるんだ(といっても日向君一人の愛好会だけど)。

まだ見ぬ新入生を待ち焦がれている日向君を横目で確認した。

私も男子だったらよかったのにな。そしたら一緒にバレーができるのに。

女子のバレー部に入る気はなかったし、友達ができて誘われるがままに入った家庭科部もそこそこ楽しかった。
部員集めはちょっとだけ頑張ったくらい。かつての自分みたいに友達につられて入るような子もいたし、私の友達がガンガン声かけをしてくれたおかげでいい感じに新入生が仮入部に来てくれた。

日向君、5人とはいかなくても一緒にバレーやれる子、入ってくれたのかな。
チーム競技で一人は大変だろうし。
そもそも仮入部してくれても練習場所あるのかな。

気づけば自分の部活動を後回しにして、日向君がいそうな場所を歩いた。
日向君には見つからないように、そっと覗き込んだ。


「……」

さん?」

「!!ひ、日向君」

「何やってんの?」

「あ、えっと、友達探してて」

「ここはおれしかいないから他じゃないかな」

「そっか、……日向君は練習?」

「そうだよ」


あ。


「どうかした?」

「ううん、なんでもない。じゃあ私行くね」

「うん、じゃあね」


日向君を背にして早足でその場を離れたのは逃げだった。

いつの間にか言葉にしてもらわなくてもわかるくらい、日向君の気持ちを見抜ける私になっていた。

新入生、日向君のところに来てくれなかったんだ。

校舎に駆け込んで家庭科室に行くと、また見慣れない人たちがいた。真新しい制服だから、きっと1年生だ。多分、友達に連れてこられた子だろう。
新入生は既に5人を超えてこの部に入部していた。


「……」

?」

「……」

「どした?」

「なっちゃん……」

「!ほんとにどした?」


友達にもたれかかってる場合じゃないのに、新入生が困るじゃん。
そう自分に叱咤してもダメ、この時ダメだった。

日向君のところに一人でも新入生が行ってくれたらよかったのに。
なんでそんな不毛なこと考えてるの、考える代わりに何が出来るか考えろよ自分、だとか、そんなの私個人の自己満足でしかなくて日向君からしたらどうでもいいことなのに、とか思考回路がループして動けなかった。

視界がぼやける世界はいつもと変わらないのに、くっきりはっきりしていたのはさっきの日向くんの笑顔で、彼の事情も何も知らないのに、バレーができるようになったらいいなと思った。
可哀そうとか思うことが失礼だ。日向くんの気持ちは変わってない。バレー、やりたいって思ってる。
私に、何かできないかな。


「なんか、あったの?」


心配そうな友達の言葉に首を振って否定を告げた。


「ごめんね、もう大丈夫」

「そう?」

「ありがとう、なっちゃん」

「……ちょっと顔洗ってきたら?」

「あ、……うん、ありがと」


ゆっくりと、深呼吸した。
まだ4月は始まったばかりだ。これからだよ、これから。

願うだけじゃダメだから、日向君のために何かできること考えようって思った。
ちょうど持っていたのは購買でノートを買った時のおつりで、ポケットの小銭を握りしめて大股に歩いて、気づけば駆け出していた。


「ひなっ……ごほごほ」

「!さんっ」


せきこむ私を見て、オーバーパスの練習をしていたらしい日向君がボールをキャッチして慌ててこっちに駆け寄ってきてくれた。
こんなつもりじゃなかったんだけどな。でも、カッコ悪くてもよかった。


「これっ」

「何?」

「さ、……差し入れ」


スポーツドリンクのペットボトルだった。
それを差し出した。
こんなの渡されてもきっと困るはず、頭ではそう思ってもどうにか日向君を元気づけたくて自販機を見つけて一本買ってそれを持って校内を走り回っていた。
息を切らして地面にへたり込む私を日向君は見下ろしていた。
さすがに目は合わせられなかった。

自分の手から重みがなくなり、ペットボトルを日向君が受け取ってくれたことがわかった。

まだ心臓がどきどきと鳴っていた。


「ありがとう、さん」

「ううん……、あ、あのさ、これからだから。まだ、4月始まったばっかだから」


想いがあふれ出ていた。


「これからきっと仮入部したいって新入生が来るはずだから、その時困らないようにちゃんと段取り決めた方がいいよ」

「……、……そうだねっ」

「仮入部期間は長いし、大きなところ回ってから来てくれる子もけっこういるよ。バレーやりたい人もいない訳ないから、男子のもあるって気づいてないんだよ」

さん」


ペットボトルを持っていない方の手が私に伸びてきた。
逆光のせいか、気恥ずかしさかわからないけど、日向君が私には眩しかった。


「アリガト、……おれ、がんばるよ」


もう、日向君はいっぱい頑張ってる。
そう思いながら、頑張らなくていいなんて言えなかった。この先、日向君みたくバレーをやりたい子が出てくるかもしれないけど、そんなの待ってたら日向君が卒業しちゃう。

差し出された手に自分のを重ねた。
大きかった。
私より、少し硬かった。


「……えっと」
「……」


なんで差し入れくれるの?
そう聞かれたらどうしようかと思いつつ、立ち去るタイミングもなくてまだ繋がれたままの手を見やった。
日向君が慌てて離した。


「ごっごめん」

「うっううん」

「……」

「……あ、ひ、日向くんさ」

「え?」

「し、身長伸びた?」

「!そう?」


飛び跳ねるほど嬉しそうな日向君を見て、安心した。
もういつもの日向君だ。
日向君がにこにこと顔をほころばせた。


「成長期かな?」

「そうだよ、きっと。男子って一気に伸びる時期あるらしいし」

「へへ」

「もうすぐ健康診断あるし、楽しみだね」

さんは何センチ?」

「え?」

「けっこう身長ある方……かなって」

「あ、うん、両親がそこそこあるから、かな」

「変なこと聞いてごめん」

「あっちっ違うの、全然。私さ……、小学校の時に、この身長だからちょっとだけ目立ってね」


小学校の時は女子の方が成長が早いとよく言うけど、私のクラスも例外じゃなかった。
整列した時に後ろの方に並ぶ。
前の方に並んでいる子が羨ましかった。
私より小さい男子にからかわれるし、好きな男子がいてもなんだか同じ男友達みたいな感覚で付き合われていた気がする。


「だから、いま聞かれてちょっと戸惑っただけで、日向君はそんな風にからかったりしないってわかってるから……まあ男子扱いでも気が楽だし気にしないで」

さんは女子だよ」


日向君はきっぱりとそう言った。小声で続いた言葉は、かろうじて私の耳に届いた。


「……手、やわらかかったし」


キーンコーンカーンコーン、ちょうどタイミングよくチャイムが鳴り響いた。
じゃなきゃこの動揺がばれそうだった。


「もっもうこんな時間なんだね」

「わ、悪い、引き留めて」

「勝手に来ただけだから。また、来たら迷惑?」

「全然っ、今日も嬉しかった。今度お礼しないと」

「そんなのいらないよ、バレーがんばって!」

「!おうっ」


日向君が握ってくれた感覚を忘れないように片手を大事に握りしめて走った。

部室に戻ったら新入生たちが楽しそうに談笑しながら片づけをしていて、友達の視線に肩をすくめた。


「どこまで顔を洗いに行ったの?」

「ちょっとだけ、遠くに」

「いいけどさ」

「ごめん」

「さっきより元気そうだからいい」

「なっちゃんありがとう」

「やめないでね」

「何を」

「部活、がいてくれて助かってるから」

「!やめないよ」


友達や先輩、後輩のいる部活は思っていたよりも楽しかったのは事実だ。
次の日も日向君と話したり、ポスターの貼り方や張ってもいい場所、宣伝の仕方を会話したけど、日向君のいるバレー部に入ろうとは思わなかった。

そもそも女子の私が入っても日向君は喜ばない。

男子ならいいのに、という仮定は相変わらず頭に浮かんだけど、それを口には出さなかった。
私は日向君を応援できればいい。


next.