ハニーチ

スロウ・エール 4


なのに、日向君の温もりを思い出せなくなった頃、日向君と男子の会話が偶然聞こえてしまった。



「誰が目当てなの?」

クラスメイトが日向君に女子バレー部のことを聞いていた。 どうやら日向君が一人でバレー部に奮闘している理由を、好きな先輩がいるからだと勘違いしているようだった。 ロッカーから古典の資料を持ってきたタイミングで席に戻りづらかった。聞かなきゃよかった。


「おれは男子バレー部!」

そのまま動けずに立ち聞きしてしまった。
日向君は純粋にバレーがしたいだけだ。
でも、続いた話題に少しだけ上げた爪先が着地点を失った。


「でもよくといるじゃん、付き合ってんの?」

「ちげーよ!!」

「じゃあが日向好きなんじゃねえ? 自分よりでかい彼女かよ、並んだら面白いな」


そこまで聞こえてしまって、もう教室から背を向けていた。

彼女なんかじゃないから、付き合ってるかの質問を否定されても傷ついたりしない。

“並んだら面白いな”

その言葉が、小学校の時にからかわれていた時のことを思い起こさせた。

曲がった先でぶつかりかけたのは、関向君だった。


「悪い」


私がぶつかりかけたのに、返事もできなかった。ごめん、関向君。早足でどこに向かっているかわからなかった。
バレー部員募集のポスターが貼られていた廊下も一気にかけ歩いた。
生徒会の人や先生に聞いて、一緒に許可をもらって貼り付けたんだ。全部日向君と一緒だった。

並んで歩いたこの廊下でも、誰かから見たら、滑稽な二人だったのかな。


「!」

「チャイム鳴ってるぞ」


先生に顔から激突してしまった。
鼻が痛い。
よろけて壁に手をついた。


「どうした?」

「ちょっと、気分が悪くて」


余りに顔色が悪かったらしい。先生が保健室に行くように促した。ちょうどよかった。教室に戻りたくなかった。
日向君と隣り合った座席、嬉しいはずなのに今は行けそうもなかった。


「あら、またボールぶつかった?」

「いや……」

「そうよね、風邪? 顔色悪いみたい」

「少し頭痛くて」


口から出まかせだったのに、病気は気からと言われている通り、熱を測ると普段よりも体温が低かった。


「横になって休んでなさい」

「はい」

「先生に言っておくから」

「ありがとうございます」


先生に言われるがまま体温計を片付けて名簿に名前を書いた。
独特のにおいがする保健室の空気を吸い込んでベッドに横たわった。
目を閉じると、さっき聞いてしまった会話がよぎった。

“並んだら面白いな”

面白いかな、やだな、そんなの。日向君より小さかったら、そんな風に見えないかな。

次第に意識が遠のいた。そういえば最近日向君のために何ができるかを考えてばかりで、夜遅くに一気に宿題をやっていたなと思った。


「もう大丈夫?」

「はい」


カーテンの向こうで先生が私が起きたのに気付いたらしい。
チャイムの音で目が覚めた。目元を擦った。6限がある。

誰かが入ってきた音がした。


「今日はどうしたの、日向君」


その名前を聞いた瞬間、一気に眠気が吹き飛んだ。


「あの、さんは?」

「大丈夫よ、少しだけ体調崩しただけみたいだから」

「そうですか……」

「もう起きてるから大丈夫」


やばい、カーテン開けられる。
慌てて髪を撫でつけた。ぼさぼさになっていたけど、手櫛でまだマシになったと思いたかった。
なんで、日向君が来てくれたんだろ。

何にも知らない保健室の先生はにこやかな表情で、カーテンを引いた。


「次、出られそう?」

「……はい」

「よかったわね」

「はい」

「日向君も心配してたみたいだし」

「えっ、いや……、いないからどうしたのかと思って」

「そうよね。さん、戻る前に名簿書いてね」

「はい」


日向君と目が合って、何を言えばいいかわからず、そのまま名簿のあるディスクに近づいた。
名前と時間を書いた。
あと、5分ぐらいで休み時間が終わる。
古典の先生に何か言われたのかな。でも日向君に声をかけられなかった。


「先生、書きました」

「はい、ありがとう」

「じゃあ失礼します」

「ちゃんと寝なさいね」

「え?」

「何してるか知らないけど、少しだけクマが出来てるわよ」


思わず目の下を指先で撫でた。
頭を下げて、二人で保健室を出た。日向君が私を気にしてくれているらしいのはわかったから、いつもの自分を心がけて声を出した。


「日向君、なんか先生に言われた?」

「なんで?」

「いや、わざわざ保健室に来てくれたからなんでかなって」


ゆっくりと教室に向かって歩き出した。


「コージーが……、いや、関向がさんとすれ違った時、顔色が悪かったって聞いたから」


そういえば関向くんとすれ違った気がする。私のことを日向君になんで話したんだろうと思ったけど、そこまでひどい顔だったことの方が恥ずかしかった。
髪を撫でつけた。


「心配してくれてありがと」

「もう大丈夫なの?」

「うん、平気」


どうして来てくれたの?

日向君に聞こうかと思ったけど、もう教室が近かった。
さっきのクラスメイトに二人でいるところを見られたら、日向君がからかわれるかもしれないし。


「私、先生に保健室行ってたこと伝えてくるから」

「一緒に行くよっ」

「!い、いいよ、もうほんと平気。ありがとね」


まさか一緒に行こうと言われるとは思ってなかった。
否定を告げて走りながら、なんでそんなこと言うの?って日向君に聞きたかった。

私、少し特別なのかな?

でも、問いかけるよりも事実を先に理解した。


「あ、手伝うよ」


振り返ると日直の子の荷物を手伝っている日向君がいた。
窓ガラスにうっすらと映る自分はどこか元気がなさそうで、優しい日向君はそれに気づいて声をかけてくれた。
ただそれだけだ。


「あ、
「なっちゃん」

「さっきどうしたの?保健室なんて」


なんでもないよ。

そう言おうと思ってたのに、友達を前にしたら気が緩んだ。


「後でね」


そう言うとわかったって彼女は言ってくれた。
そばにいてくれる友達がいる。
こんなうれしいことってない。もうこれ以上何かを望む必要なんてないと思った。
教室に入った時、日直の子と話す日向君を見て、胸がちくんと痛んだ。これが恋なんだ。漫画見てた時と違う。漫画のヒロインを眺めている時は幸せそうに見えたのに、恋する当事者になるとこんな気持ちになるんだな。

昨日までと同じ席に腰かける。


「あれ、今日何ページからだっけ」


いつものように日向君に声をかける。


「43ページ」

「ありがとう」


同じように返ってくる言葉にお礼を返す。
でも、自覚してしまった。ぼんやりと意識していたけど、私は日向君が好きみたい。


授業中に、居眠りをしている日向君の横顔を見た。
たった一人でもバレーをやりたいって熱意を持っている日向君、私にはそんな風に強い意思はない。だから憧れる。
応援したい。好きです。でも、純粋な応援の気持ちじゃない気がして、前みたく声をかけていいかわからなかった。


は、日向が好きなんだ」


友達に話すと、あっさりと確信をつかれて逆に戸惑った。
今日使ったボウルを洗っていたが、途端に滑り落してしまった。


、何してんの」

「!なっちゃんが聞くから」

「だって、そういう話だったし」

「そうだけど……」

「だからしょっちゅう日向のとこに差し入れしてたんだ」

「それだけじゃなくて」


応援したかったからだと主張しても、恋心も自覚してしまった今はどこか言葉に説得力が欠ける気がした。
ボウルやへらを拭きながら友達が言った。


「日向かー、小学生にしか見えないけど」

「ひどい!」

がスキになるキャラってもっと身長高いし、かっこいい系だし」

「それは漫画の話だし」

「カワイイ系は苦手って言ってたし」

「う……、でも、しょうがないじゃん」


好きになっちゃったんだから。
話せば話すほど、やっぱり日向君を好きになってる自分を意識した。
もう前みたく声をかけちゃいけない気もする。


「なんで? いーじゃん、別に」

「だって……私と日向君並んだら面白くない?」

「まあ兄弟とか先輩後輩っぽくも見えるね」

「それが嫌なんだよ!」

「じゃあやめたら?」


またあっさりと友達は告げた。
そりゃそうだ、やめるか、やめないかの二択なんだから。

すべて洗い物を終えて、器具を家庭科室の既定の場所に片付けた。


の気持ち次第だよ、日向のとこに行くかどうかなんか」

「……」

「そうでしょ?」

「そう、だけど」


だけど、クラスメイトの言葉が引っ掛かった。
家庭科室の電気を消した。


「今日は渡り廊下行かなくていいの?」


いつも家庭科部でお菓子を作った日は、自分でも材料を買い足したりして多めに作って、差し入れしていた。
もちろん今日も差し入れ分はあった。手提げに入れて、カバンを肩にかけた。


「今日は、……行かない」

「そう」

「もうやめる」


差し入れもお手伝いも自分から積極的に関わらない。
日向君に話しかけたりしない。
もう、純粋な気持ちじゃないから、純粋にバレーをする日向君に近づけない。


「いいの?」

「何が?」

「Tくんのこと、好きなんでしょ?」

「Tくんってなに?」

「あいつって太陽みたいな名前だから、太陽のTをとってみた」


好きな人が誰かにばれたら困るから、T君で通した。
私は頷いた。


「うん、……T君が好きだよ」


途端に顔に熱が集まる。
友達とは反対の方向を向いた。


「好きならふつうもっと近づくんじゃないの?」

「邪魔になるよ。私なんか眼中に入ってないから、バレーだけだもん」

「バレー一直線……、お子様っぽいもんね」

「そういうんじゃなくて……」


バレーに恋してる。日向君はずっと、バレーに焦がれている。
そんな日向君だから、私は応援したかったんだ。

渡すはずだった差し入れの入った手提げを握りしめなおして、昇降口に向かった。

ボールの跳ねる音がした。つい視線を送ってしまう。バスケ部だった。


「……T君じゃなかったね」

「なっちゃん」

「ごめん。あ、泉ー」


バスケ部の中の一人に友達は手を振った。
そういえば日向君と仲がいいんだっけ、一緒に練習しているのを見たことがある。


「夏目、なに?」

「これあげる」

「えっなにこれ」

「パウンドケーキ作った、その余り」

「いいの?」

「こないだ辞書貸してくれたから」

「サンキュー」

「あ、あの」


手提げから同じ袋に入った色違いのパウンドケーキを取り出した。


「これもよかったら」

「え?」
?」


泉君となっちゃんの声が重なった。家じゃこういうの食べないし、自分はそこそこ食べてしまった。これ以上食べたらまずい。

「泉君がいらないならいいんだけど」

「いや、もらえるのは嬉しいけど……」

「けど、何なのさ」

「え、夏目怒ってる?」

「怒ってない。泉が受け取らない理由は?」

「俺、バレー部じゃないから。ほら、さんいつもバレー部の差し入れって、翔ちゃんに渡してるでしょ?」

「え、うん」

「翔ちゃんって誰?」

「日向だよ、日向翔陽」

「ああ……」

「いつも喜んでたからさ。俺がもらったら翔ちゃん気にするだろうし、家庭科部って誰にでも配ってるの?」

「んな訳ないじゃん、予算があるんだから」

「!夏目なんか怖いんだけど」


手に持ったままのパウンドケーキ、それを見下ろした。


「泉君、ごめん。これ……渡す人、やっぱり」

「い、いいよ俺は!夏目からもらったし」

「ごめん、なっちゃん。寄るところ……」

「いいよ、全部さ、が決めることだから」


手提げにもう一度包みをしまった。


「日向ってどこで練習してんの?」

「どこって……今日は体育館」

「だってさ」

「ありがと、泉くん、なっちゃん」

「いいから行きな」

「うんっ」


「……さんって、もしかして翔ちゃんのこと」

はT君が好きなんだよ」

「?T君って誰」

「そういう泉はラブレター書いてたんでしょ」

「書いてないって!それデマだからな」


next.