ハニーチ

スロウ・エール 20


「あ、そこはね、糸をしっかり押さえて……」

「こう、ですか?」

「ううん、じゃなくてね」

仮入部にやってきた1年生に、フェルト人形の縫い方をレクチャーをする。
針を刺す間隔が広すぎると後で入れる綿があふれ出てしまう。
また、糸の止め方が甘くてもダメだ。
同じものを作ってみせて、お手本になった。かつて私も教わったように。


「あ、わかりました!」

「うん、あとちょっとだよ」

「副部長、ありがとうございます」

「ううん、続きがんばってね」

「はい!」


こんな私も副部長になったのかと家庭科室を見回した。
あっちではなっちゃんが数人をまとめて教えてるし、そのそばで去年よりも素早く人形を作り終えた新2年生の姿があった。
時計をチラッと確認する。部活初めに聞いた日向君の報告が気になって仕方ない。
どんな1年生が入ってくれたのか、本当に日向君はバレーができているんだろうか。


「副部長、すみません」

「あ、はい!」


いけないなと、今自分のすべきことに集中しないなと自分を小さく叱咤した。
これまで続けてきた家庭科部の活動はやっぱりやりだすと面白くて、でも心はそわそわと浮き足立っていた。
自分の中で何かが変わっていることに無自覚だった。


*


部活が終わると真っ先に日向君達を探しに走る。
仮入部期間で早めに空いた場所でやると日向君は言っていたけど、どこだろう。
校内を歩いて回って、ようやく体育館の隅に日向君の姿があるのを見つけられた。
さすがにいきなり声はかけられない。
折角の1年生がいきなり見ず知らずの私に驚いてしまっては困るし、向こうも戸惑うだろう(当たり前だ)。
声をかける代わりに、体育館の扉の隙間からそっと覗き込む。

いる、確かに日向くんの他にも3人いる。

真新しいジャージを着た男子、日向君に比べると小さくて冬休みに勧誘に行ったときの小学生を思い出した。


さん、何やってんの」

「えあっ!?」

「!ん……な、驚かなくても」

「な、なんだ、泉くんか」


バスケ部のユニフォーム姿の泉君、今年は同じクラスになった。
日向君とは3年連続同じクラス、なっちゃんも同じだ。
日向君ともなっちゃんとも仲がいい泉君はしゃべる回数こそ少なかったが、しゃべりやすい男子の一人だ。


「泉君、バスケ?」

「うん、まあ部長のやつらが新入生にざっくり説明してるから暇でさ。あ、バレー同好会か。1年来たみたいだね」

「うん……、よかったよね」

「うん、よかった。翔ちゃんすげー喜んでたしさ」

「あ、報告に来た?」

のところにも行った?」

「部活始まったくらいに」

「こっちも部活中なのに翔ちゃんがすげー話しかけてきてさ」


二人で話している内に、日向君がどれほど喜んでいるかがお互いにわかって思わず笑ってしまった。
色んな人に報告してるんだろうなあ、嬉しかったんだろうな。
ふと一人でにやけている自分に気づいて、泉君に謝った。


「ご、ごめん」

「何が?」

「なんか、一人でニヤニヤしちゃったから」

「?だからって何で謝るの」

「あ、いや」

なんでだろう。
なぜか居たたまれない気分になる……からかな。
顎に手を当てて考えてもはっきりとした答えは出てこない。

難しい顔になっている私と違い、泉君は緩やかに笑った。


さんって真面目だよな」

「え、そうかな」

「そうだよ。もっと肩の力抜いていいのに」

「いま力入ってる?」

「うん。もっと夏目みたく堂々とさ」

「堂々……」

「深呼吸してみたら?」

「深呼吸……」

「翔ちゃんといる時みたく、リラックスだって」

「え!?」


言われてゆっくりと息を吸い込んだとき、まさかの指摘を受けて声が裏返ってしまった。
しかも、ちょうど日向君がこちらに走ってくる。
な、なんだろう。
驚きが重なってせきこんでしまった。
泉君は接近してくる日向君に気づかず私を心配してくれた。


「だ、大丈夫?」

「う、うん」

さん!」

「あれ、翔ちゃん!練習は?」

「まだやる!けど、ふっ、二人が見えたからっ」


ようやく咳が落ち着いて、なんでもないと首と手を横に振った。


「ごめんね、日向君、邪魔しちゃって」

「そんなことないっ。えっと、その」

「ん?」


どこか落ち着きのない日向君、言葉を待っていると先に泉君が日向君の肩をぽんとたたいた。


「翔ちゃんの話してただけだって」

「!?べ、別におれは……!」

「はは。ね、さん、そうだよね?」

「う、うん」


日向君の話、といえば日向君の話かな。どっちかというと緊張しない方法のような気もしつつ、泉君に尋ねられて反射的に頷いてしまった。
チャイムがまた一つ鳴った。


「あ、そろそろ戻らないと」

「まだ練習あるんだ」

「暇とはいえさすがに最後はね。でも、まあ、正直言うと翔ちゃんが言ってた1年が気になってさ。よかったね、翔ちゃん」

「イズミン……!!」

「翔ちゃんまた涙目」

「ち、違うって!」


そう否定しながら日向君はTシャツの裾で目元を荒っぽく拭っていた。


「あ、日向君、1年生、指示待ちじゃない?」


離れたところにいる3人がこちらを見ている。
チャイムも鳴ってしまったことだし、先輩の日向君の指示を待っているのかもしれない。
私は3人のいる方を指さした。


「ほら、行ってあげた方がいいよ」


まだあどけなさが残る3人、ずっと待ち望んでいた部員たち。


「ね、日向先輩」

「……!」

「そっかー、翔ちゃんも先輩だもんな」

「い、行ってくる!!」


日向君って本当に走るの早いなあ。
もう新入生のところにたどり着いてる。
やさしい風がどこからか甘い花の香りを運んできたのがわかった。


「いま、力抜けてるね」


まだとなりにいた泉君に指摘されて、自覚する。

いま、さっきとちがってた。

深く頷いて応えた。
泉君ってけっこう人のこと、見てるんだな。
同じ学校に通っていても、こんな小さなことも私はまだ知らない。もっと知り合えたらいいな、来年にはそれぞれ違う道を歩んでいるかもしれない。
そう思いながらも、胸の中でくりかえすドキドキは誰にも気づかれませんようにと密かに祈った。


next.