ハニーチ

スロウ・エール 201




さんって、ときどき、こう……」


教室に戻る途中、日向くんがぽつりとつぶやいた。

なんて続くか気になって待っていたものの、日向くんはそれ以上何も言わなかった。


「“こう……”、なに?」

「んー、なん、でも、ないっ!」


日向くんがどこか含みのある言い方で口を結んだ。

ジッと様子を伺ってみても、なに?って言いたげな眼差しを返されるだけだった。

つかんでいた学ランの袖をちょいちょいと引っ張った。


「日向くん、途中で止められたら気になるよ」

「ほんとっ、なんでもない」

「えーー?」


口を尖らせてみても、秘密だとはぐらかされる。
気になるものは気になる。


「ほらっ、さん!」


図書室はやく行こうって、今度は日向くんに追い抜かされた。

どうしても教えてくれないらしい。

握っていた学ランの袖をはなすと、日向くんがこっちを振り返る。

視線を感じても、私の方もつい明後日の方向を向いて後ろ手を組んだ。

日向くんが歩く速度を落として隣に並んだ。


さんっ、どうしたの?」

「別に、どうもしないけど」

「なんでこっち見てくんないのっ?」


本当は日向くんが教えてくれなかったからだけど、素直に答えたくない可愛げのなさ。

わざと日向くんのいない方を向いていると、日向くんがすばやく反対側にやってきたから慌ててまた違う方を見た。

すると、日向くんが私の視界に入ろうとまた移動してくる。すかさず、日向くんのいない方を向いた。

右、ひだり、と繰り返す内に、どちらともなしに笑っていた。


「日向くん、……なにしてるの?」

さんもっ」


ほんとうに、なにやってんだろ、私たち。

観念して日向くんと顔を見合わせた。


「図書室、そろそろ行かない?」

「行く!!」


廊下だけど教室まで後ちょっと。

先生もいないことだし二人してダッシュ、飛び込んだ。










家に帰ったら受験票が届いていた。

白鳥沢学園高校。
受験番号という数字の羅列と自分の名前が印刷されている。

同じものがきっと影山くんのところにも届いてるんだろう。

絶対忘れないようにしなくちゃとファイルに入れて、カレンダーをめくった。

丸がいくつも付いている。テスト、試合、卒業式。

それと、バレーの練習日。

やるって決めたから、やることにした。
試合に必要な人数もそろったし、全員とまではいかないけど、それぞれと練習する時間も確保できた。

何やってるのって言われないように勉強だってちゃんとしてる。全部やってる。

優勝がかかったわけでも、何かが獲得できるわけでもない試合。
一度きりのラストチャンス。


“ 受験生なのに何やってんだろう ”


不意にこの感覚がわき起こって、カレンダーから手を離した。

勢いのままベッドに飛び込んで、じっと息をひそめる。
寒いからだろうか、慣れっこのはずの不安が出ていかない。



「頭ばっか使うな。


……うごいてみろ。


思いついたこと、全部やってみろ。


“ここ”で、動け」



胸に手を当てて深呼吸したとき、携帯が光っていたのに気づいた。

メールだった。いろんなひとから。
いろんなこと、やらなくちゃ。

がんばらなくちゃ。

プロミスリングが手首で揺れた。

日向くんがくれたクリスマスプレゼント。

これからもずっとつけていたいって思うけど、ミサンガは結んだ時から切れる未来が決まっている。


やろっ。

気合いを入れて起き上がる。
日向くんの編んだプロミスリングも一緒に跳ねた。














「あ」

さん!」


朝のホームルーム前の時間、職員室の扉を開けようとしたら、ちょうど日向くんが出てきた。


「これ?」


日向くんが手に持った日誌を軽く上げた。

その通り、今日は私たちにとって最後の日直当番だ。

いつもなら朝一はどこかで練習している日向くん。
朝講習が始まる前に職員室へ立ち寄る私の方がいつも早いから、今日みたいなのは珍しい。

他に用事がないことを日向くんに聞かれて首を横に振り、開きかけだった職員室の扉をそっと閉めた。

二人して教室に向かう。

日向くんは安心した様子で日誌ごと両腕を突き上げた。


「よかったーっ。 さん、いっつも早いからおれ全然取り行けてなくて。 最後くらいやんないとな!って今日がんばったっ」

「いいのに、ぜんぜん」


いつも日向くんには他の仕事を多めに引き受けてもらっている。
むしろ頑張るべきは私の方じゃ。

言いかけると、日向くんが、びしっと片手を突き出して主張した。


「いや、おれの方が楽してる! 絶対!!」

「そう?」

「そうっ、さん、日誌すぐ書いてくれるし、先生に頼まれてるやつもやってくれてる」


単純に日向くんが黒板を消してくれている間に日誌を書いたり、先生には何故か目をつけられているだけだとは思うんだけど、朝早いこの時間ということもあり、ぼんやりとした頭では日向くんの勢いに流されるだけだった。


「あ!!」

「え?」

さん、ちょっといいっ?」


日向くんが教室に向かう階段じゃなく、別の方向に歩き出した。

どこ行くのと尋ねる前に、手招きにつられて付いていくと、いつぞやの英会話の先生の教室前だった。
スピーキングの先生は毎日来る訳じゃないし、この時間はいつもいない。

用事でもあるのかなと見守っていると、壁に張られた展示物の裏から日向くんは何かを取り出した。


「それ……」

「合い鍵っ」


なんで合い鍵がそんなところに。
使っていいの、そもそも。

混乱している間に、その合い鍵を使って日向くんが扉を開けた。


「大丈夫、ほら、さん入って」

「え、えっ」


日向くんに背中を押されて中に入ると、正しくあの時の部屋で、違うとすればクリスマスグッズがすっかり片付けられていることくらいだった。

日向くんは勝手知ったるが如く、先生の机のそばにあるストーブを点けた。

窓があるから真っ暗ではないけれど、電気はまだ付けていない。


「日向くん、明かりは?」

「他の先生にバレたらまずいから消したままで。 いいっ!?」

「いい、けど」


いいん、だけど、いいの、か?

状況がいまいち理解できていない私を日向くんが呼ぶ。

どこかの教室から持ってこられたらしい椅子2脚は、日向くんの手によってストーブ前に並んでいる。そのうちの一つに座るように急かされて日向くんの隣に収まった。

いいストーブなのか、付けたばかりなのにもうあったかい。

オレンジ色が灯るタイプ、見ているだけでポカポカしてくる。

いつかのオレンジ好き疑惑が脳裏をよぎった。


「あったかいよな、これ」


ストーブに両手をかざす日向くん、膝の上には日誌。


「日向くん、ここ、よく来るの?」


ぐるりと見渡す室内は、前に入った時と同じく英語の世界地図にABCの単語表が貼られていた。


「来ないよっ。 こないださんと入った時とは別に来た時、先生に合い鍵の場所教えてもらった」


どういう流れでそうなったのか。
気になったけど、あんまり聞きすぎるのもなとストップして、あったまってきた指を組みなおした。


「英語で教えてもらったの?」

「ううん、日本語! あっ、え英語!!イングリッシュで教えてもらった!」


日向くんが大あわてで言い直す。
笑いそうになって、表情に出さないように気を付けた。

それにしても、合い鍵の場所を教えてくれるって、日向くんと先生、どんな話したんだろう。

いや、それより日向くんはなんで私をここに。


さん、昨日遅かった?」


日向君がとなりでストーブを見つめたまま言った。

ギクッとしたの、ばれたかな。
ばれてるんだろうな。


「……ちょっとだけ」

「そっか」

「う、ん……」


すごく、いま、鏡が欲しい。

私はどんな顔してるんだろう。

眠そうなのかな。
可愛くないのかな。元気、ないのかな。

日向くんの前だけは、いつだって、ちゃんとしてたいのに、いろんなことをやんなくちゃいけなくて、きっと出来てないんだ。

椅子を引く音がして、日向くんと私の距離が縮まった。

いつも隣の席だけど机がなくて椅子だけだから、ずっと、近い。


「肩、使う?」

「へっ?」

さんが、嫌じゃ、なかったらだけど」

「嫌なわけ、ない」

「じ、じゃあ!」

「……」


日向くんは真っ直ぐストーブを見つめたまま、伸ばしていた両手はぐーになっていて、日誌の上に置かれていた。

なんでだか、すごく緊張した面持ちだった。


「……じゃあ」


ゆっくりと、日向くんの肩にもたれてみた。


「日向くん」

「なに!?」


日向くんの声が上ずる。


「なんか緊張してる?」

「してないっ」

「してる、よね」

「し、してないって」

「そっかぁ」

「うん……、してないよ、緊張。 緊張は、してない」


今日は、こないだよりずっとあたたかな指さきが、スカートの上に置いていた手の甲にふれ、重なった。

ぎゅっとされると、スカートのしわも変わった。


緊張じゃなくて、これは、なんて言えば合ってるんだろう。

この高鳴り。

このときめき。


時計を探す視線を気づかれて、もう行く?って日向くんに聞かれた。

小さな声だけど、いま近いから、ちゃんと聞こえる。


朝の講習がもうすぐ始まる。



「……ううん」


肩にもたれたまま身じろぎすると、髪とかみが触れ合った。


「そっか」

「うん」


日向くんの指が、ぎゅっとした。

ストーブの暖かさと、すぐそばの日向くん。
あったかくて、がんばって、いるであろう自分に、今この時間を許すことにした。


ほんの些細な許可。

朝講習よりも、今この時間が必要だった。

途端、あたたかさに気が緩まる。



「あったかいとさ、眠くなるね」

「うん」


日向くんが間をおいて、いいよと付け加えた。


さん寝ても。 おれが起こすから」

「うーん……」

「おれは眠くないし、おれたち日直だから」


日向くんの足に乗っかったままの日誌を眺める。

私たち、今日、日直だ。

いっしょにやる日直、二人そろって教室にいなくちゃいけない。


「ん……、日向くん、起こしてね」

「うん、任せて」

「ありがとう」


ううん、と日向くんが穏やかに呟いた。


「おやすみ、さん」


朝に聞くおやすみって、なんか変だな。

小さく笑って目を閉じる。

直前、視界に入った日向くんの手首にもプロミスリングがみえた。

それと、つながったままの、手と手。


next.