ハニーチ

スロウ・エール 205





真っ暗な世界、日向くんの言葉が繰り返される。


 違う 学校 でもさ

 ちがう学校


“ 違う学校 ”





「ちが、う」


枕から顔を上げ、目元をこすった。
天井の明かりですらまぶしい。

日向くんの声がまた浮かんだ。

日向くんは、『私と違う学校でいい』って言ったわけじゃない。


「そうじゃ、なくて」



きちんと思い出せ。



“……からもさ、違う学校でもさ”


“……これからもさ、違う学校でもさ”


“  ……いよう。これからもさ、違う学校でもさ”




「『一緒に』いようって、言ってくれた」


ちゃんと、そう伝えてくれた。

これからも一緒にいようって。
違う学校でも“一緒にいよう”って言ってくれた。

自分から話さなかったら、日向くんから聞けなかった。

言葉にしたから、日向くんも同じように応えてくれた。


“烏野一緒にって言おうとしたこと、あるよ”


――だったら、そう言ってくれても。

わがままな言葉が浮かんで消える。

自分勝手な感情、これは日向くんにぶつけるものじゃない。
私が向き合わなくちゃいけない。

ただ、どう対処すればいいか、方法はわからなかった。

まずは、できることからだ。
着替えよう。
ちゃんと受験生しよう。

もっと、ちゃんと、日向くんと“一緒に”いられるように。

制服に手をかけ始めると、いつもの調子に戻れる気がした。

部屋の外に人の気配がする。

ノックだ。もう扉が開けられていた。


ー」

「!!」


ドアを勢い良く押して、扉を開けた従兄をすぐさま追い出した。


「おっおい」

「ななんでノックしてすぐ開けるのっ!」

「いや、そのっ、、しょっちゅう俺の前で練習着に着替えてたろ」

「いくつの時の話?」


中途半端に脱ぎ掛けの制服をすばやくハンガーにかけ、部屋着にばっちり着替えてからドアの前に立つ従兄をにらみを利かせた。

さすがの従兄も視線を泳がせ、ばつのわるそうにほっぺたをかいた。


「わ、悪かった。次からは、ちゃんとの返事があってから開けるようにするって」


それなら、よし。

水に流して、従兄が部屋まで来た理由を尋ねると、面前に一枚のはがきを差し出された。


に郵便だ。 おばさんが料理中だから代わりに」


受験票だった。

大事なものだから早めに本人に渡した方がいいという配慮らしい。

怒り……すぎたかな、と、自分の行動を省みる。


「けーちゃん、あ、ありがと」

「いいや……、そうだ、、夕飯食ってきたんだろ」

「う、ん」

「ちょっと来るか?」

「え、どこに?」


そう聞きながら、従兄がまた玄関に向かっていくのに、くっついて歩いた。


「ドライブだよ、気分転換にどーだ?」


従兄の方から誘いがあるなんてめずらしい。

それこそ、いつもこっちから誘いに誘ってやっと付き合ってくれるのに。

あったかい上着を着るように言われる。
イエスと答えてないのに、従兄の中ではドライブに行くのは決定みたいだ。

でも、悪くなかった。


「行ってくるねー。

 えっ、なに? わ、わかってるっ」


親から『繋心くんに迷惑かけないように』と念押されてしまった。

迷惑なんて今まで……、そんなにかけたことはない。

外は、帰ってきた時よりずっと夜が更けていた。

従兄のぼやく声が聞こえたと思うと、いきなり首に何かが巻かれた。

前も借りたマフラーだった。


はいっつも寒そうな格好してんな」

「いいよ、けーちゃん使いなよ」

「俺はいい、がつけとけ」


ぶっきらぼうな言い方、でも、マフラーは暖かい。
ちょっとだけ煙草のにおいがした。従兄からはいつも、この匂いがする。

助手席に収まってしっかりシートベルトを着けると、車が走り出した。

こんな時間からドライブは久しぶりだ。


「どこ行くの?」

「適当だな」


見たことある道から、知らない通りに出て、外灯の少ない道路を車が移動していく。

前にもこんな風にドライブに連れていってもらったことがある。

流れる景色は別段イルミネーションに彩られているわけでも、雄大な自然が広がっている訳でもない。
どこか見たことあるような、でも来たこともない、よくある日常の風景を眺めていた。


「ねえ、けーちゃん」

「なんだ?」

「後ろにあるの、バレーボール?」

「ああ」


さっきから車が曲がり角に来るたび、何かが転がっているのがわかっていた。
たぶん、町内会チームの練習用だろう。


「やりたいのか?」


今日の従兄は、サービス精神があるようだ。
こっちから練習を言い出しても乗ってくれないことの方が多い。

素直にやりたいと告げると、わかったと短く返事をくれて、いつか連れてきてもらったことがあるような広場で車を停めた。

あんまり長居しないぞ、と付け加えて、お互い準備体操を入念におこなった。

電灯はあるけど、数も少ない。

ボール、ちゃんとみえるかな。


、いくぞー」

「はーいっ」


なんてことないオーバーパス。

弧を描くボール、山なりになって行き来していく。


本当に、なんてことなかった日常を思い出す。

練習相手をせがんで、いつの間にか時間が過ぎて、もうちょっととお願いして、上手く言ったら帰るって約束したのに思うようにならなくて、泣いて、慰めてもらって、教えてもらって、なんとか、上手くいって。

そんな時間を重ねて、私の毎日は出来上がっていった。



「あっ」


「おま、……っと!」



手元が狂って力加減を間違えたボールは大きくそれたけど、従兄が大きく踏み出してボールをはじき、私もまた追っかけてボールを捉えた。

でも、指先にボールが引っ掛かっただけで、勢いのままに茂みへと吸い込まれた。

段差で止まってくれたらよかったけど、元気なボールはがささと音を立てて草木の中だ。


「あーーみえない、けーちゃーーん」

「たく、なにやってんだよ」


私の腕の長さではボールに手が届かないから、従兄にバトンタッチした。

あいにく何にも持ってきてないから、電灯の代わりになるものもない。


、枝ないか?」

「枝~? これ?」

「なんでこんなひょろいやつよこすんだよ、使えるかっ」


ひょいっと折角見つけた枝が投げ捨てられた。


「けーちゃんが枝って言うから」

「奥で引っかかってる、もっとしっかりしたやつじゃねーと」

「これは?」


どこかで折れたのか太めの木の枝を従兄に渡すと、ものの見事にボールは救出された。

受け取ったボールは、ちょっと汚れてしまっていた。
こすって落とそうとした瞬間、ボールは従兄に奪われた。


「あ」
「帰んぞ」

「もうっ?」


やっと身体あったまってきたのに。


「長居はしない約束だ。 置いてくぞ」


仕方ない。

こっから自力で家に帰れる気はしないので、大人しく従兄についていく。

車の鍵を開けた、と思ったら、運転席には回らず離れて行く。


「どこいくの?」

「ちょっとな、車で待ってろ」

「わっ」


ボールを黙って投げられてビックリしている内に、従兄は向こうに行ってしまった。

よくよく目を凝らせば、1件お店があった。

煙草かな。


辺りは人気もないので、大人しく助手席に収まっていると、従兄が戻ってきた。


「やる」

「なに?」

「熱いから気をつけろ」

「肉まんだっ」


湯気とおいしそうな香りが、車内に広がった。


「ボールどこやった?」

「後ろに置いたっ」

「よし」


従兄がてきぱきとシートベルトやら準備して、車を動かし始めた。

私はもらった肉まんを注意しながら一口頬張った。
食べてから気づいた。


「けーちゃんも半分食べる?」

「俺は家で食うよ」


従兄からはマフラーとは違う新しい煙草の匂いがした。
たぶん、吸ってきたんだ。車で吸えばいいのに、私を気にして吸わなかったんだろう。

車は順調に走り出す。

景色はもうまっくらで明かりがぽつぽつ光っているだけだ。

黙々と肉まんを食べながら、チラと運転席を見た。


「けーちゃん」

「なんだ」


残り少なくなった肉まんを大事に食べながら続けた。


「けーちゃんはさ

 中学の時、どこの高校行くか迷ったりした?」


窓の外を見た。

肉まんのせいなのか、運動してきた私たちのせいなのか、窓ガラスがちょっぴり曇っている。

最後の一口を押し入れて指先でハートマークを書いてみた。


「俺は、と違って高校選べる頭じゃなかったからなー」


手の内のごみをぎゅっと握りしめて片した。


「どうした? 試験近くなって不安になったか?」

「そういうわけじゃ……」


ただ、真っ暗な中を車の明かりが前を照らして進んでいく。

自分でも、なんでこんなことを急に言い出したかよくわかってなかった。

不安、なのかな。

日向くんと違う学校に行く想像をしたか。
それでも、同じ学校に行きたいと思っているからか。

迷っては、いる。迷ってる場合じゃないのに。


「どこいってもなら大丈夫だろ」

「なんで?」


何を根拠に大丈夫って言えるの?

そんな生意気さが含んだ物言いになっていた。つい従兄には甘えてしまう。

実際、従兄は変わらず優しい声色で答えた。


「お前は自分で物を考えられる」


なんでだか、信頼されている気がして、こそばゆくなって従兄から顔を背けた。

車が曲がって、行きとは違う道を進んでいく。


「俺は、がまたバレーするとは思ってなかった。

それも、自分で体育館借りて、人も集めて、練習もしてるんだってな?」


受験生のくせに。

従兄は笑って続けた。


「おばさんも、じいさんも、小さい頃の知ってる人は、みんな喜んでるよ」

「み、みんなって?」


視線を戻すと、従兄は含み笑いだけで教えてはくれなかった。

私が、またバレーしたからって、何がいいんだ。
やってほしかったなら、そう言えばよかったのに。


「そうじゃねーよ。

言われてやるんじゃなくて、が自分でやりたいことやってるのが嬉しいんだ」


従兄の声は、心底そう思っている響きを持っていた。


「バレーじゃなくたって応援してる」

「そうなの?サッカーでも?」


思いついたスポーツを口にしてみただけだが、従兄は小さく噴き出して頷いた。


「本当にがやりたいならな。 着いたぞ」

「どこ?」


気づけば、ちょっとした山のうえの方で車が停まっていた。

従兄が車から降りるから、一緒に外に出た。

見晴らしがよく、建物の明かりが遠くに集まって光っていた。


「さすがに見えねえか」

「なにが?」

がバレーする体育館だよ。こっからが、一番よく見える」


従兄を真似て片手をおでこに当てて目を凝らしたものの、明るさが足りなさ過ぎて建物がどこにあるかさっぱりわからなかった。


「暗くてなんにも見えない」

「だな。 そろそろを帰さないとおばさんも心配する」

「けーちゃんと一緒なら問題ないよ」


当然のことを口にしたつもりだけど、従兄は笑っていた。
車に戻ると、中はまだ暖かかった。


「暖房付けるか?」

「いい、大丈夫。 ……あのさ」


従兄の運転が少し難しそうだったから、真っ直ぐな道になってから続けた。


「ありがとう」

「ん?」

「気分転換、なった」


別に、なにをした、という訳ではないんだけど、従兄や私の周りにいる人たちは、みんな私を応援してくれているんだってことは伝わってきた。

きっと、それは“愛情”なんだと思う。

チラととなりを見やると、従兄と目が合って、なんでだか同時に笑みをたたえた。



next.