ハニーチ

スロウ・エール 206






「じゃあな、


従兄は帰り道を違えることなく、順調に家の前まで送り届けてくれた。

久しぶりのドライブに、ちょっとしたバレーの練習、肉まんに、夜景。
おかげで、家を出る前より心がずっと軽い。


「……」


助手席から降りようと足先を伸ばしたとき、ふと振り返った。

従兄は曇ったフロントガラスをぬぐっていたが、手を止めた。


「なんだ?」

「いや……」


……、そうだ。

巻きっぱなしのマフラーに手をかけた。


「これ返す、ありがと」

「あぁ、そこ置いといてくれ」

「それと、」


言葉にしようとした途端、なぜか緊張した。

わざわざ言わなくていい。
誰かに言う必要なんてない。

理屈はいくらでも浮かぶのに、それでも今浮かんだ胸の内を表に出したくて、ふりきるように早口で告げた。



「けーちゃん、私っ。

 行きたいところ、行く」



マフラーをはずした首元に北風が吹きつけ、なびく髪が視界を邪魔した。



「これからは、自分で考えて動く」



髪を払った先にいる従兄は、真っ直ぐ私を見つめていた。

何も言わず、けれど受けとめてくれる。

我に返った。


「そ、それだけっ。なんか言いたくなって」






従兄がポツリとこぼした。



「もうできてる。


 心配すんな」




従兄が再び曇ってきたフロントガラスをまた布で拭った。

感情が、こみあげる。

どう返事すればいいかわからなくて黙っていると、従兄に早く家に戻るよう促された。

わかってる、それはわかってるんだけど、まだ助手席の扉を閉めたくなかった。


「ありがと、けーちゃん、ほんと……いつも」


念押しの感謝、さっきも言ったけど、マフラーのこともあるけど、それだけじゃなくて、全部、ぜんぶだった。

従兄は、どういたしまして、なんて一言もなく、追っ払うそぶりをした。


、いいから早く家入れ。こっちも冷えてきた」

「……わかってるよ」


早く帰った方がいいなんて、そんな正論わかってる。

従兄もまたわかってくれていた。

車のドアを閉めたとき、ガラスの向こうで『がんばれよ』と呟いていた。
暗かったから見間違いかもしれないけど、こくりと一つ頷いた。

従兄の車がゆっくりと走り出して見えなくなる。


はやく、家に帰らなくちゃ。

そう思いながら吐く息が白く立ち上るのを追いかけ、夜空を見上げた。

オリオン座。

日向くんと見上げた星座、過ごした時間が思い出される。


“ 一緒にいよう。これからもさ、違う学校でもさ ”


そうだね……

日向くん、一緒にいよう。

私も、行きたいところに行く。


星がまたたいていた。



「……よし」


自分で花丸を付けられる元気さで、家に戻った。














授業も一通り終わって、あっという間に自習期間だ。
早いところだと受験も始まっている。

学校に来る必要はないけど、家で勉強ばかり続けるのも飽きるから、今日は学校に向かう。

気分転換に通学路を一本はずれてみると、真ん前の通りを自転車が通り抜けた。


「ぁ、……日向くんっ!」


咄嗟に叫んでいた。よく声が出た。けたたましいブレーキ音が鳴り響いて、走って曲がり角をのぞく。

やっぱり。

日向くんが自転車にまたがって振り返った。


さん!! おはよ!」

「おはようっ」


うれしくて駆け寄る。

待っててくれた日向くんが声を弾ませた。


「なんでっ!?」

「日向くんこそ」

「おれは今日、この坂からガーーーって来たかったから!」


たしかにあの上から自転車で降りて来たら気持ちよさそうだ。


さん、こっちの道使うんだ」

「いつもは使わないんだけど、気分?」

「気分!!」

「気分っ」


なんでだか同じ単語を繰り返して、形容するならお互い“にこにこ”していた。

そーだっ。


「ね、日向くん」

「ん?」

「二人乗「するっ!?」


まだ言い終わってないのに、日向くんが張り切るから、つい笑ってしまった。

手際よく私のカバンを受け取ってくれて、日向くんの荷物の上に積まれた。

日向くんが、妙に瞳を輝かせている。


「……どうしたの?」

さんから二人乗りって言ってくれた! なんかあったっ!?」


日向くんはしっかりと自転車のハンドルを握り直して、またこっちを見た。


「おれは、うれしい!」

「……う、ん」


こんな風にできるの、今だけだから。

口にはできず、日向くんの笑顔がまぶしくて、胸の奥が波立つ心地だった。

自転車の後ろに足をかけ、日向くんの肩をつかんだ。


さん、いける?」

「大丈夫」


日向くんの後ろ姿を見つめ、視線を上げた。

見据えるは校舎、もうすぐ離れる母校。


わたしは、もう大丈夫。



「日向くんこそ重たいな、らっ!?」


降りようかって尋ねる前に、日向くんが自転車を力強くひとこぎした。

また一歩、もう一歩足を動かし、自転車を発進させる。



「おれはだいじょーぶっ。

 さん、いるっ!!!」



こんな風に言ってくれる日向くん、遠慮を飲み込んで、日向くんに身を任せる。

どこか冷たい朝の風を切って走り抜けるのは心地よかった。
指先から日向くんの温度が伝わってくる。

いつもなら、この通学路も、日向くんに自転車を押してもらってゆっくり学校を目指すだろう。

一度、こんな風に学校に行ってみたかった。

好きな人の自転車で二人。

いつか読んだマンガみたく。



「あっ!!」

「エッ」


日向くんが私の声にびっくりして自転車のスピードを落とし、その瞬間、すばやく自転車から飛び降りた。
当然、乗り手が減った自転車は軽くなる。
日向くんのハンドル操作は危うく左右に揺れたけれど、難なく自転車を止めていた。


さん?」

「いやほらっ」


指差すより早く、にこやかに表情を作って愛想よく頭を下げてみせた。


「おはようございます、先生っ」

「せんせ……先生!?」


日向くんも通学路の脇に立っていた先生に気づいた。

うっかりしていたけど、時折こんな風に先生たちは通学路のどこかしらで在校生を見張っている。
目線が高かったおかげで、一足先に気づいた。

先生は腕を組んでこっちを品定めするかの如く視線を送ってくる。

日向くんが自転車を押し、その隣を歩き、なんでもありません、という顔で通り過ぎようと試みる。


、さっき」

「な、何のことでしょう」

「日向」

「はっハイ!!」


日向くんが私以上に緊張しているのは、この先生の授業でよく居眠りしていたからかもしれない。
本当はもっとまじめな顔してなきゃいけないのに、なぜだか楽しくなってくる。
緩んでしまいそうな口元を、片手で隠してみた。

先生もそんな態度を怪しんでか、元々迫力のある眉をひそめた。


「二人乗りは、「もう降りてます」


そう切り出すと、先生が鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。

かまわず続けた。


「だから、違反してないです!」

「えっあっ、さんっ!!」


先生の前から消え去った、もといダッシュした。
日向くんに合図さえせず、でもきっとすぐ追いついてきてくれる。


さん!」

「あ、荷物っ」

「いいよ、それより今の」


日向くんが話も途中にほっぽり出してしまった先生の方を向いた。

同じく先生の様子を窺うと、先生も逃げ去った私たちを目で追っていたから、すぐにくるりと前を向き直した。

さすがに追っかけてはこなそうだ。


「危なかったね」


日向くんに話しかけると、まだ先生を気にしていた日向くんもフッと笑いをこぼした。


さん、いきなり走るから焦ったっ」

「ごめん、あのまま話聞いてたら怒られそうだったから」

さんだから平気だったけど、おれなら追っかけられてんな、絶対」


日向くんがひどく真剣な面持ちで言う。

想像しただけなんだか面白い状況だ。


さん、さん」


一人ほくそ笑んでいると、日向くんに呼びかけられて、少しだけそばに寄った。



「今日どうしたの?」

「なにが?」

「……」


日向くんが見つめてくるから、同じく見つめ返す。

なぜか日向くんが歩みを止め、合わせて立ち止まる。
ちょうど知らない同じ制服の人が日向くんの横を通って気を取られた時、ギ、と自転車が鳴いた。


「な、なんでもない!」


日向くんがぐんぐんと進みだす。

背中を追っかける。


「あの、日向くん、……日向くん?」

「!!」


回り込んで顔を覗き込むと、キィッと自転車のブレーキ音がした。


「な、ななに?」

「顔が」

「顔っ? わっ!!」


日向くんが片腕で大げさなほど顔を隠すと、荷物が二人分のせいで自転車が大きく傾いた。

落ちかけた自分の荷物を取り上げる。日向くんが何か言いたげにこっちを見るから、すかさず告げた。


「大丈夫だよ」


これくらい、なんてことない。

ちゃんと一人で。


「乗っけて」


日向くんが端的に述べた。


「いっしょに、行くんだし」


断るつもりだったのに、有無を言わせない声色だった。


「……うん」

「ん!」


荷物をまた日向くんの自転車に乗っけると、ちょっとだけ日向くんの表情が明るくなったように見えた。朝日が当たったせいかもわからない。



next.