ハニーチ

スロウ・エール 207





学校が近づくにつれて、空が明るくなる。
まぶしくて目を細めた時、視線を感じた。

気のせいだった。

日向くんは空を見上げていて、口を開いた。



「今日さ、晴れそうっ」

「そうだね、風冷たいけど雲ないし」


ゆるめに結んでいたマフラーを結び直しながら続けた。


「遊びに行きたくなる天気」

「えっ!!」

「あっ、サボんないよ?」


校門もすぐそこで、受験生だから当然。
だけど、紛らわしいタイミングで言ってしまったなと念押した。

日向くんがわかりやすく肩を落として呟いた。


「今日のさんならって一瞬思ったけど……だよなぁ」

「あ、サボんないけど。 今日、練習するから、日向くんもやる?」

「バレー!?」


さすが日向くん、勘が鋭い。

頷くと、二つ返事で参加してくれることになった。
がっくりした様子から一変、すっかり元気も取り戻したようで、つられて声も弾む。


「じゃあ、昼休みの時、声かけるねっ」

「やった!!」


日向くんは、今度の練習?って続けた。

力強く頷いた。
今度の、あの体育館での最後の試合。

どんな結果になるかはわからないけど、ここまで来たら“前に進む”のみ。

ふと、やっぱり視線を感じてとなりを見ると、今度は日向くんと目が合って逸らされた。


「日向くん、どうかした?」

「ううん! おれ、自転車っ」

「一緒に行くよ」

「あ……、行こう」


なんとなく一緒にいたくて自転車置き場まで付いていくと、ちょうど他の人と入れ違いになって、私たちだけになった。

カバンを受け取り、日向くんが自転車を停めているのを眺める。

鍵をかける音と同時に日向くんが言った。


さんってもう試験あった?」

「まだだよ」


来週には白鳥沢の入試が待っているけど、残りの受験日程もその後だ。
試し受験をする予定もない。


「なんで?」

「なんかさ」


日向くんが言葉を切ると、じっとこちらを見つめる。

確実に私を両の目で捉え、唇は結んだまま。


「……なんか?」


言葉の続きを促すべく声をかけたものの、日向くんはしゃべらない。

なんだろう、言いづらいこと?

もしかして。



さん、どうしたの?」

「いや、私の顔に何かついてて気にしてくれたのかなって」


手鏡で身だしなみをチェックしてみたものの、髪が少し乱れているくらいだ。考えてみれば試験日程と何の関係性もない。


さんは、いつも通りかわいい」


思わず手鏡を落としそうになりかけて、日向くんが慌てて続けた。


「あっ、違くて! いやっ、違くないんだけどさん可愛いけど、そういう意味じゃなくて!! そ、そいう意味じゃないっていうのも変だっ」

「お、落ちついて日向くん」


なんでだか混乱している日向くんをなだめると、意を決したように日向くんが近づいた。



「久しぶりに、会ったからかな……


 さん、今日、すごく……


 キラキラしてる」



き、らきら?



自分に相応しくない形容詞に面食らう。

まさかと思い、頬に手を当ててみたものの、ラメなどついていなかった。

私の靴に小さな小石がぶつかった。
なんだろう、と疑問を持ちつつ、視線を戻すと、日向くんが一歩、私に近づいた。また、一歩。

真剣な面持ち、だけど、そんな風に近づかれるとどうすればいいかわからない。思わず一歩、後ずさった。


「なんだろ」


独り言みたく日向くんがつぶやく。

私を見ているようで、見ていないような。
どこか黙々と調査する探偵を想起させた。

待って、日向くん。
言葉にする前に、背中に誰かの自転車がぶつかった。

もう後ろに下がれない。
日向くんが立ち止まってくれるのを期待したけど、なお、日向くんは一歩踏み出し、距離が狭まった。
そのままフリーズしていた。

日向くんの影が迫り、顔を背けた。


「! ……ごっごめんっ。

  さん、ごめんっ!」


すごく間近で一回、驚くほどの速さで後ずさり両手を合わせてもう一回。
日向くんが謝罪を口にした。

離れてくれて、ほっと息をつく。
日向くんが慌てた様子も、いつもの雰囲気に戻ってくれたと勝手に安心した。

まだ申し訳なさそうな日向くんに首を横に振った。


「いいよ、日向くん。行こう」


日向くんも頷いて昇降口の方へと歩き出す。
二人並んで。お互い距離は適度に保って。鼓動は早いまま。

日向くんとは反対の方ばかり向いていたけど、やっぱり気になって盗み見る。
たぶん、気づかれた。

日向くんが片手で後ろ髪をクシャっと握りしめ、空をもっと高く見上げた。



「さっき。

 さんに、引っ張られた」



思わず自分の持ち物や制服が日向くんのカバンにでも引っかかってないかチェックしてしまった。
そうじゃないと正された。

日向くんは、引っ張られるんじゃなくて吸い寄せられた、と言い換えた。

どっちの表現でも、ピンとこない。

そうこうする内に、下駄箱に到着した。

いつも通り自分の場所に靴を入れる。自習期間だけあって、そんなに靴は埋まっていなかった。
みんな家で勉強しているんだろう。

気づくと、日向くんが外履きをしまったまま動かず、私の方を見ていた。
見つめ続けていた。

空気を変えようと、意識して明るく話しかけた。



「まだ、キラキラしてたりする?」


「する」


期待に反して、とても落ちつき払った答え。

空気切り替え作戦が失敗に終わった。

どう続けたらよいかわからず、上履きを履いた。

日向くんの視線を感じる。

え、と。


「日向くん、上履き」

「そうだった!」


豪快に落とされた日向くんの上履きは、その勢いのまま転がってひっくり返った。

日向くんが足先で上履きの片方を元に戻し、器用に履いていた。

よかった。
これでいつも通り。

日向くんがまた私を見ている。


「そ! そんな見られたら、はずかしいよ」


片手で顔を隠すそぶりをすると、日向くんが違う方を向いた。


「ご、ごめん」

「いいよ、ほら、早く行こっ」


教室に早く行って、勉強して。

いつも通り、ちゃんと。


「!」


日向くんが私の手首を掴んだ。引っ張られた。


日向くんが何にも言わないで見つめてくる。瞳を通じて心の奥底を覗き込むかのように、きらきら、きらきらしているのは日向くんじゃないか。

捕まれている手から熱が伝わってくる。痛くはないけど、そのギリギリだった。


日向くん。

ねえ、日向くん。


眼差しで訴えかけてもそれこそ日向くんに吸い込まれるだけだ。
目を閉じるべきか身を任せるか、悩む内に、前髪がふれる。

鼓動が最高潮に高鳴ったとき、日向くんはハッと息を漏らして、私からすばやく顔を背け、やさしく手を離してくれた。

一歩、また一歩、廊下を歩き出していく。

階段を数段登ったところで、日向くんがこっちを振り返った。


さん。


呼ばれたのに、動けずにいた。

日向くんと目が合うと、ばつが悪そうに視線をそらされた。

沈黙が私たちの間を埋めていく。

日向くんが反応を待っているのか、なかったことにしたいのか読み取れなかった。

私も、どう受けとめていいかわからない。

浮かんだのは今をやり過ごす方法。



「さ、先に行ってて、日向くん。

 私、寄るところが」



少し間があってから日向くんがわかったと頷いた。

階段を上がっていく音がして、次第に聞こえなくなった時、急に脱力してしゃがみ込んだ。
体育座り、ではないけど、膝を抱えて丸くなる。

ばくばくと、全身に血が巡る。

前にもあった夏の出来事。
階段で居眠りしていた日向くんのことを思い出した。

日向くんを起こそうとしたら、肩をつかまれて、すごく、距離が縮まって、あと少しで。

あの時とは違う。
もう、お互いの気持ちをわかっている。

そこまで考えて、そうだっけと思った。

階段を見つめる。
日向くんが私を待っていてくれた。

もう日向くんのいた痕跡はないけれど、日向くんの姿が浮かぶ。

目をそらしたのは、日向くんの方だ。
いつも遠のいていくのは、日向くん。

けど、この状況を招いたのはきっと。



「……きらきらって、なに」


日向くん。

本人がいないのに気持ちがこぼれた。
いっそ答えのある試験問題の方がよっぽど簡単だった。参考書があるなら教えて欲しい。

不毛な考えに陥って、深く息をついて立ち上がった。

一連の動作だけ見ればさぞおかしな行動だろうが、さいわい目撃者はいない。



「あれー、先輩!」

「!!」


部活の後輩が向こうから走ってくる。

片手をあげて応えた。いつもみたく振舞えているだろうか。
私は、日向くんにどう映ってるんだろう。

日向くんがいない。
それだけで、こんなにも風景が変わる。



next.