ハニーチ

スロウ・エール 211




受験表、忘れないようにね

入試前日の夜。
送信ボタンを押そうとしたものの、指が止まる。

おせっかいすぎる気もする。
勉強を教えていたとはいえ同じ受験生で志望校、人の心配してる場合じゃない。

やっぱり、やめるか。

携帯を置いた時、まさに本人からメールが届いた。

送信者、影山飛雄。

『明日だな』

それだけ、質問なし。
要件もなしのメールは珍しかった。

『明日だね。受験票忘れないようにね。』

送ろうとしていた内容も付け加えて返信すると、これまた珍しく、もな、と飛雄くんからすぐメールが返ってきた。

明日は、白鳥沢学園の入試本番。

そういうイメージはないけど、飛雄くんも緊張してるのかな。

もう一度忘れ物をチェックして布団に入った。

飛雄くんが夢に出てきたりして。
そんなことを考えたけど、夢を見ないほどぐっすり眠った。








順調に到着した白鳥沢学園高校。
前に来た時と変わらず立派な佇まいでそびえ立っている。
一斉にバスを降りる人たちは、同じ受験生だろう。張り詰めた空気でいっぱいの車内から降りて、やっと息ができた心地だ。

がんばれよ、絶対受かる!

校門前には、ずらり、塾の講師と思われる人たちが並び、受け持ちの生徒を見つけては激励していた。

さすが白鳥沢。
この学校は、いろんな意味ですごい。
他人事みたくそばを通り過ぎた。

大きすぎる入り口、広場、建物、それがいくつもいくつもある。
案内がなければ試験会場にすら辿り着けないし、案内板までも遠い。

難関校+スポーツ推薦枠が大半で受験する人は少ないと聞いていたけど、認識が甘かった。一般入試だけでもすごい数だ。
何より、本気の空気を感じる。

ば、場違い感がすごい……。

大きな案内板の前に受験生がたくさん集まっていて、近づくのも気後れする。
人が減ってから行くべきか。でも外にいるのは寒い。
かじかんだ指先で受験票をカバンから取り出し、気持ち少なくなった人混みに足を進めた。

番号も多すぎて見つけるのも一苦労。


「そっから見えんのか」

「わっ!!

 ……お、おはよ、飛雄くん」


背後からにゅっと登場されると心臓に悪い。
というか、また身長伸びた?
間近で見上げていると首がつらいので、少し距離を置いた。

よく迷わず、ここにたどり着けたね。


「俺がいつ迷った」

「……飛雄くんのそういうところ、ホント、いいと思う」

「?」


堂々と違う道に案内された時のことを思い出しながら、いつもと変わらない飛雄くんのおかげで少し調子を取り戻せた。

改めて自分の受験番号を確認し、係の人が配っているプリントで行くべき建物を照らし合わせた。

飛雄くんと私は、別々の棟だった。


「じゃ、お互いがんばろ!」



「なに?」

「名前、書くからな」


飛雄くんの発言に、周りにいた人たちはちょっと反応を見せていた。
名前を書くってなんだって、そりゃ思うだろう、私以外は。

大きく頷いた。


「それだけは絶対ねっ」


名前を書いてさえいれば、合格する可能性はゼロじゃない。
私のバカみたいな主張を飛雄くんは覚えていたようだ。

お互い受験生らしくどこか背筋の伸びる空気の中を分かれた。

階段も上がって、目当ての教室を発見。
窓際の席は見晴らしがよく、遠くの山も見通せた。

席はけっこう埋まっている。知り合いはいない。
いたところで、試験は一人で受けるもの。
外にいた先生たちは、ただの応援だ。

ふと、従兄の言葉を思い出した。

どうしたって苦しい場面。
やめてしまいたいって思える瞬間、ふっと頭が真っ白になる。


“そのときに気づくんだよ、声援ってやつに″


お正月にもらった五角形の鉛筆を取り出したからなのか、かなり前の話なのにいま思い出した。

今朝、校門前で激励を受けていた人たちは、あの熱いエールをこの試験の最中に思い出すんだろうか。
答えが浮かばないその時に、がんばれのあの声でヒントがひらめく、とか?

応援って、実は無意味なのかもしれない。

お守りもそうだけど、結局、この手で解かない限り、合格っていう結果には辿りつけない。


外野が何を言おうが、最後は本人次第だ。


そう考えることは夢がないのに、なんでだか気持ちがいっそう落ちついた。

試験開始まであと少し。
腕時計と教室の時計を見比べ、また窓の外を眺めた。










「やっばかったなー! なあっ」


午前、お昼をはさんで午後。
長丁場の試験が終わって教室を出た瞬間、どこかの男子が友達に話しかけていた。

内心、深く同意した。
今年の白鳥沢は、難化しすぎ。
過去問の傾向から行ってそろそろ易しくなると思ってたのに、上を行く難しさ。
どの教科も難し、いや、現代文だけカンタンな方だった。けど、あれ、飛雄くん解ける気がしない。
名前はもちろんだけど……、せめて解答欄はぜんぶ埋めてて欲しい。
勉強会で頭がショートしている飛雄くんの姿が浮かぶ。

試験が終わるタイミングが同じだから階段はひどく混んでいて、建物の外も人があふれていた。

バスも長蛇の列。
時間、ずらした方がいいかも。

ひとまず進む方向を変えて飛雄くんがいそうな建物を目指した。
メールしてもいいけど連絡する程でもないし、偶然に賭けてみる。

すれ違うたび、黒髪の男子に反応してしまう。
服装も似た感じの人が多い。

皆、飛雄くんにみえてくるけど、本人はいなかった。

学校の外に出る門もいくつかある。
飛雄くんはそっちを使って、とっくに帰ってるのかもしれない。

バスを待つ間に、メールするか。
今日、おつかれさまって。

携帯を取り出した。



「!」


足に、何か、拾い上げてみると、漫画雑誌。
従兄がよく読んでるのと同じ。



「んん~~ーー?」


いきなり目の前に壁、じゃない。

大きな男の人が立っていたかと思うと、急に接近してきた。


「あのさー、俺たちどっかで会ったことない?

 あるよね!」


返事も聞かない、この無遠慮な態度。

この場所で、聞き覚えのある声。
見たこともある容姿。

極め付けは、そのジャージ。



「あの時の“あなた”!」


この学校のオープンデー、金の卵探しとかいう訳わかんないことしてた男子バレー部の人。
目立つ髪色に挑発的な発言、この感じ、よく覚えてる。

そう、たしか、天童っていう人。

ものすごくこっちを見てくる。


「ひ、人違いです」

「あっちの体育館でバレーいっしょに見たよね、久しぶりー」

「ちがうって言ってます」


そう主張すると、鼻で笑われた。


「即答できるってことはさ、俺のこと覚えてるからだよね?

本当に覚えてないなら、もう少し思い出すフリしないと。だって、覚えてないんだから」


まるで真相を言い当てられた犯人のように、つい反応してしまった。

ほら、と、愉快そうに指摘される。

墓穴、掘った。
この動揺こそ、推理の正しさを証明していた。

これ以上、知らないふりは無理だ。
仕方ない。


「よく、覚えてますね」

「そりゃマネージャーやってもらうんだし」


まだそんなこと言ってる。
この場を離れようとする私に何故か付いてくる。


「あっ!」

「ありがとー、俺のジャンプ!拾ってくれて」

「あ、あなたのって証拠、ない」

「俺のじゃないって証拠もないよね」

「ないっ、ですけど、落としものです。届けます」

「どこに?」


見渡す限り、建物はあれど、いつのまにか裏手にでも来てしまったのか窓は見えても入り口はなく、人もいない。
いや、白鳥沢の生徒の人たちはちらほら見かけた。ジャージ姿だから、試験休みに部活かもしれない。

落とし物を届けるべき場所が思い浮かばず、もういいやと身体の向きを変えた。


「も、いいです。あなたので」

「ねえねえ」

「まだ何か?」

「名前なんてゆーの?」


誰の名前を聞いてるのかと思った。

念のため周りを見渡すが、そばには私だけ。

絡んでくるこの人は、漫画雑誌を小脇に抱えたまま物珍しそうに私を観察した。


「前もそんな感じだったね。“あなた”ちゃんは自分が見えてないとでも思ってる?」

「そ、その呼び方、やめてください」

「他に呼び方知らないし。

 俺は牛島若利。よろしくー」


「誰が牛島さんですか」


私じゃない、声。

斜めに分かれた前髪が印象的な人が立っていた。
同じジャージを着ているからバレー部の人だろう。

天童さんが別段調子も崩さず彼に話しかけた。


「白布賢二郎ですって言った方が良かった?」

「自分の名前、名乗ってください。

 ……受験生?」


前髪の人がこっちを見た。

素直に頷くと、今日は一般入試でしたねと彼は零し、また天童さんに向き直った。


「遊んでないで早く来てください。始まってます」

「はーあーー、自由参加じゃなかったっけ?」

「みんな来てます」

「わっ!」


いきなり肩を掴まれて引っ張り出される。


「それより!

 あの若利君が去年の夏にナンパした子だよ?」


ナンパ?牛島さんが?

半信半疑の眼差しを前髪の人から受けていたたまれず、背後の天童さんを見上げて訴えた。


「ごっ、誤解まねく言い方やめてください!」

「星の数ほどいる中学生からたった1人選ばれたんだから、すごいと思わない?」


適当にも程がある。
肩を掴む手を振り払って歩き出すと、なぜか付いてくる。
天童さん、と呆れ気味のもう一人も。

早歩きしている私のとなりに天童さんが並んだ。


「な、なんですか」

「名前まだ聞いてないよ、なんて言うのー?」

「……っ、聞いてどうするんです」

「さあねー、どうしよっかなー」


「教えた方が得策だと思うけど」


ぼそっと、何気なく尽きず離れずの位置にいる前髪の人が教えてくれる。

しょうがない、足を止めて天童さんを見上げた。


です。これで満足ですか?」

「うん、ちゃんよろしくー」

「!」


な、なぜか握手。


「じゃ、行こっかー」

「!?」


そのまま握手じゃ終わらなかった。



next.