「、ど、どうした?」
飛雄くんの声が上ずり、かすれ、動揺している。
早くちゃんとしなくちゃ。
そう思うのに顔をまだ上げられない。
天童さんとの出来事がぐるぐるする。
さっさと振り切って外に出ればよかった。
なんで大人しく連れてかれて、聞かなくていいことまで付き合って。
挙句、天童さんの言葉に囚われている。
『ちゃん合格するし、
マネージャーやると思うよー』
そんな簡単に言わないでほしい。
『 カン 』
寸分の迷いなく断言された、出まかせだ。
あの人に私の試験結果なんてわかるはずない。
そう考えることは正しいのに、なんでだろう、無防備な心の奥底に突き刺さるこの感覚は、たしかに確信めいている。
気づけば、こぶしに目いっぱい力が入っていた。
手の中にはタオル。
天童さんから押し付けられたもの。
いらないって何回も言った。
言ったのに。
春に返せって……その意図が推測できて胸の中がざわざわと波立った。
「、あ、頭おかしくなったのか?」
……たしかに、そう取られてもおかしくない行動ではある。
いい加減、飛雄くんに甘えすぎだ。
深呼吸して身体を離すと、すぐ額に何かが触れた。
「知恵熱か?」
「!」
「、よく言ってただろ。知恵熱がどうのって」
「それはっ、飛雄君が……」
ああ、頭がおかしくなったって、そういう意味か。
「熱、ないよ。……風邪じゃない。心配かけてごめん」
飛雄くんは私に当てた手のひらを自分のおでこにも当て、そっと外した。
「書き忘れたのか?」
「え?なに?」
「名前」
名前、そうか、答案用紙。
すっかり忘れてた。
私たち、いま試験を受けてきたんだ。
飛雄くんが怪訝そうに私の様子を伺っている。
大丈夫の意味を込めて笑顔を作り、移動すべく一歩踏みだした。
「名前はっ、書いたよ。
そういう飛雄くんは書いた?」
「あぁ」
「全教科?」
「あぁ」
「なら、よかった!」
空元気かもしれないけど意識して声を上げ、建物を振り返った。
あの中でまだ天童さんたちはじめバレー部の人たちは、思い出の試合とやらを見ているんだろうか。
見てない人(天童さん)はいるだろうけど、他の人たちは、せっかく同じ部になったんだし、こんなことあったなって、楽しめていたらいい。
送り出す3年生のために、2年生だって。
『俺はいま2年、春から3年ね』
……いきなり、脳内に天童さんがしゃしゃり出てくる。
あっち行ってて。
イメージを吹き飛ばすべく、髪が乱れるのも構わずにぶんぶんと頭を横に振った。
「は、受かんだろ」
その声は、飛雄君のものだった。
「ずっと、わかりやすかった」
飛雄くんはマフラーを口元まであげた。
「それって、私の教え方のこと?」
「ああ」
そんなふうに、思ってもらえてたのか。
密かに感動してしまう。
飛雄くんに教えることは、決して平坦な道のりではなかった。
じーんと見つめていると、なんだよって居心地が悪そうに顔をそらされたから、なんでもないって私も前に向き直った。
校門の一つが見えてきた。
入試担当なのか、腕章をつけた係の人が朝と同じで立っている。
チラホラと私たちと同じような学生も歩いているけど、すっかりまばらだ。
試験終わり直後の混雑は消え、校内は落ちつきを取り戻していた。
「、このまま帰んのか?」
バス停に並んでいると、飛雄くんが切り出した。
何か用事かと聞けば、飛雄くんが鞄から取り出したのは、なんとバレーボール。
鞄から出さなければ何持っててもいいし、ボールはカンニング行為なわけないし、持ってていいんだろうけど、……今日受験だったよね!?
飛雄くんらしい。
らしすぎて、行き場のないツッコミを天童さんのタオルにぶつけるしかなかった。
飛雄くんが小首をかしげた。
「それ、どうした?」
「気にしないで」
タオルに罪はないけど、乱暴にカバンにひとまず押し込んだ。
バスはまだ来なさそう。
「バレー、どこでやるの?」
「考えてない」
「じゃあさ、途中に公園あったし、そこでやろうよ」
「歩くのか?」
「走ってもいいけど」
同じようにバス停で並ぶ人たちは、携帯を触ったり、音楽か何かを聞いていた。
飛雄くんは、がいいならとバス停から離れ、私もその後に続く。
「あ!」
閃いた。
「どうした?」
「待ってて、すぐ戻る!」
少しばかり離れた白鳥沢の校門へダッシュ。
腕章をつけた人が手持無沙汰に歩いている。
「すみません、これっ」
用事が済めば向きを変えてもう一度全力疾走、飛雄くんのもとに駆け寄った。
「お待たせっ」
「何してたんだよ」
「落とし物っ、届けてきた」
飛雄くんは、いまいち私の行動にピンと来てなかったけど、興味もないだろうから話題を変えて公園を目指した。
天童さんのタオルがないだけで、足取りが軽い。
宿題を片付けた気分だ。
タオルだって元の持ち主のところに帰れてうれしいはず、落とし物として届け出ることを思いついた自分を褒めたい。
もう一度後ろを振り返った。
どっしりと構えた白鳥沢学園、生真面目そうに映るのに、天童さんみたいな人がうじゃうじゃいると思うと、一筋縄ではいかなそうだ。
難問を潜り抜けた人たちと一芸に秀でたスポーツ推薦組、どんな学校生活だろう。
いいや、試験終わったし! 考えるのもやめた。
あれ、飛雄くんがいない。
探すと、なぜか脇道へ突き進んでいる。
「飛雄くん、どこ行くの?」
バスの窓から見えていた公園に行くんだから、バス停が点々と続く道なりを歩くはずだ。
声をかけると、神妙な面持ちで飛雄くんは、他に公園がないか確認してきた、と言った。
内心疑わしかったけど、深く追求せずに、元の真っ直ぐな道を進んだ。
途中、公園の案内板も出てきて安心した。
あと少し。
「ねえ、そういえばさ」
走って、先を行く飛雄君の横に並んだ。
「なんであそこにいたの?」
私が校舎を出てきてすぐのところ、試験終わりに人の流れに合わせて進めば、あの場所に来ることはない。
飛雄くん、まさか、迷ってたとか。
「迷ってねーよ」
「じゃあ、なんで?」
「バレー部、やってんじゃねーかと思った」
言われてみれば、大きな建物だし、体育館も見えた。
そっか、そうだよね。
飛雄くんの行動原理は、いつでも“バレー”だ。
ちゃんとわかってたつもりなのに、すっかりその発想が抜け落ちていた。
今の私には白鳥沢=天童さんで、いいイメージがすぐ浮かばなかったけれど、ちゃんと思い返してみれば、視聴覚室の大きなスクリーンに映し出された牛島若利選手は、たしかに圧倒的な存在感を放っていた。
あのスパイク、かっこよかったな。
学年なんか関係なかった。
一本、その次の一本、連続して叩きこまれるボール。
前に飛雄くんのサーブを受けた時を思い出す。
「飛雄くんは、やっぱり白鳥沢に入りたい?」
「俺はバレーがしたい」
そう言うと、飛雄くんはカバンの中からボールを取り出して、両手でがっしりと掴んだ。
入試が終わり、中学を卒業すれば、高校生だ。
「できるよ、バレー」
ぜったい、できる。
もうすぐ。
そのために、今まで勉強してきたんだし、私も手伝ってきた。
「ね! 私にもボール貸してっ」
「ん」
「ありがと」
使い込まれたボールだ。
「ジャンプサーブ、教えてよ」
「公園じゃ無理だろ」
「そりゃ、そっか」
「どっか体育館借りてやるか?」
「先生に頼む?」
「3月は空いてないって言われた」
イベントの多い季節だから、とっくに予定が埋まっていたそうだ。
「来るか?」
飛雄くんはさらっと言った。
いつも言葉が足りてない。
「どこ?」
「うちの体育館ならサーブ教えられんだろ」
「うちの……って、北一?」
他にどこがあるんだ、と言わんばかりの飛雄くん。
「あのさ、私、他校。別の学校なの。そんなひょいひょい」
「紙出しゃいいんだろ」
「そういう問題じゃあ……」
言いかけて、たしかに前に行った時、北一の先生は、私の生徒手帳と申請書で許可してくれたっけと思い出した。
それなら、いい、のか?
混乱している内に、目当ての公園に辿り着いた。
まだ2月とあって木々も寂しく、花もない。
誰もいない遊具がぽつぽつと並び、ベンチに荷物を置いた。
お互いに準備体操を始める。
前屈をしている時だった。
「試合、もうすぐだろ」
同じく前屈をしていた飛雄くんと変な態勢で目が合った。
頷くと、勝てよって言われた。
勝つって、なんだろ。
今度はぐぐっと腕を空に突き上げた。
「勝ったら、もっとバレーやれる」
「あのねえ」
何かをかけた公式試合でも、大会でもない。
私の、バレーは。
言いかけて、ふっと思い出した。コートの中のこと。
飛雄くんがボールを手に取った。
そうだ、バレーは、バレーボールは。
「、行くぞ」
真っ直ぐな飛雄くんの瞳。
同じコートに立つわけじゃないけれど、せめて、一緒に練習するときは同じ気持ちで向き合っていたい。
己を奮い立たせ、風になびく髪をはらった。
next.