ハニーチ

スロウ・エール 214




「んっ!」


無理だと思った一打。
なんとか手首に当てられた。
ボールが大きなアーチをなぞって飛雄くんの元へ返っていく。

飛雄くんはボールに手を伸ばしかけたけど、途中でハッとした様子でキャッチに切り替えた。

ほっと息つき、飛雄くんに笑いかけた。


「えらい、今日はこれで終わりね」

「わ、わかってる」


まだ練習する気だったろうに、ごまかすように飛雄くんはボールの砂ぼこりをはらった。

やっと、終わった。
長かった。
運動した、バレーした。
もうおしまいにしようって三回は言った。

飛雄くんの体力によく付いていけたなと自分を褒める。
当の飛雄くんは、まだ全然いけそうだったけど、さすがに汗が滲んでいた。

風邪、ひかないようにしなくちゃ。


「後半!」


思考に割り込む飛雄くんの強い一言。

どこか背筋が伸びる眼光。

けれど、矛先は私から直ぐにそばのシーソーに移った。


「雑になってた。

 、もっと体力つけろ」


「わ、わかってる。でも、前よりは」


反論を言い切る前にくしゃみが出てしまった。


練習しているうちに暑くなって薄着になったせいだ。

飛雄くんから大丈夫か聞かれて頷いたものの、このままだと風邪をひく予感しかしない。
早々にコートを羽織った。

隣では、飛雄くんが淡々と身支度を整えている。


、身体冷やすなよ。タオルは?」

「ある」

「さっきのじゃないんだな」


ハンドタオルを取り出すと、飛雄くんがぽつりと指摘した。
また脳内で主張してくる天童さんを忘れようと自分のもので丁寧に汗を拭った。


「あのタオルは忘れて」


飛雄くんはきょとんと目を丸くする。
事情は知らなくていい。

公園はすっかり暗くなった。

途中、どこかの部活のロードワークの掛け声が聞こえた。
白鳥沢の運動部かもしれない。
ジャージの色でもチェックしたらすぐわかるけど、飛雄くんとの練習の最中に、他のことに気にする余裕なんかなかった。

ちょっとでも手を抜こうものなら、置いてかれる。
振り向きもしないんだ、きっと。
前しか見ないから後ろに誰が居ようと関係ない。

この人のそばは、とても息が切れる。

必死だ。
ボールだけを追う。
己の体を駆使し、いかにボールを落とさず拾い続けるか。
もとより体格差も技能の差も歴然。

飛雄くんもある程度加減してくれてる。
私が飛雄くんに勉強を教えるみたく、相手の現状を見極めて、解くべき問題を選ぶように。
それでも、別にバレーを教わってるわけじゃなかった。

ただ、近くで触れさせてもらった。

バレーボールに真摯に向き合う姿に、
相手のレベル関係なくぶつかっていく姿勢に、
どこであろうと目の前のボールに集中する熱量。

ときどき、理解できなくて怖くなる。

ここで本気に?
手を抜けば?って、普通に思う。

今なら、わかる。
バレーの先生が、飛雄くんを手助けしようとした理由が。
将来の全日本選手になるかもって言ったのも、何の関係もないのに受験勉強をなんとかしたくなったのも。

大人は勝手に子どもに期待する。
でも、長く生きてきた分だけ、早く気づけることもあるんだ。

飛雄くんには、才能がある。

まだすべてから注目されるほどでなくても、芽吹いた先に。


、行くぞ」


声をかけられ、現実に一気に引き戻された。

飛雄くんはもうカバンを肩にかけていた。
すぐ走った。

運動靴でもない足元をチラと見やると、すっかり埃っぽくなっている。
スカートの端も少しばかり……、これ、帰ったら怒られるかな……。
指先でピンと弾くと土埃が風に散った。

街灯は点いていたけど、数が少ない。
時折、足元をいつも以上に注意して歩いた。

吹いてきた風にまた一つくしゃみ。

影に紛れた段差にこけそうになった。

先を歩く飛雄くんが振り返る。
あきれられてるのかも。
思わず謝った。謝るもんでもないか。

隣に並ぶ。
心なしか、飛雄くんは足並みを揃えてくれた気がした。


「私さ、わかった気がする」

「なにを?」

「先生が言ってた、私にあって飛雄くんにないもの」


あれ、逆かな。
飛雄くんにあって、私にないもの。


「なんだよそれ! 教えろッ」

「ま待って、なに」


ものすごい剣幕で飛雄くんに詰め寄られ、迫力がありすぎてのけぞって避けた。

飛雄くんもこの至近距離に驚いたのか、すぐ離れて気を取り直した。


「で、……なんなんだよ、それは」

「それは」


浮かんだ思考、夜空に一番星。


「自分で気づかなきゃ意味ないと思う」

「はっ!? なんだそれ、教えろ」

「やだってば」

「教える気ないならなんで言い出す」

「友達だから」


飛雄くんの瞳が揺らいでみえたのは、街灯の明かりのせいだろうか。


「私だけ答え見つけて黙ってたら、寂しいでしょ?」

「さ……寂しくねーよ、変なこと言うな」

「私でも見つけられたから飛雄くんもすぐ」

「教えないなら黙ってろ」

「なんですぐ、そういう言い方」


飛雄くんがわざと早歩きするのがわかって、置いてかれないように足が重いけどがんばって付いていった。

先を歩く背中に話しかける。


「勉強も同じでしょ、

 答えだけわかっても意味ないから」


それに、テストの解答と違って、これが正解ですってのがある訳じゃない。



「今度の試合で確かめられたらなって思ってる」


みんなを巻き込んでやる試合。

うっすら予感していた自分に足りてなかったもの。

答えが間違いでも、いまの答えが間違いだったことがわかればいい。

きっと、答えはただの一つでもないはずだ。



「!ごめ」


ちょうど脇から自転車が飛び出し、飛雄くんが立ち止まったため、その背中に激突した。
鼻が、痛い。


「ち、ちゃんと前みてろ、こないだも同じこと言ったぞ」

「気をつける……」


反省していると、飛雄くんが黙ってとなりに来た。
左右を確認してから、行くぞって短く付け加えて今度は一緒に歩き出す。


「アイツらも、出るんだろ」

「あいつら?」

「うちの一年ふたり、その試合」

「……ああ、来てくれることにはなってる」


影山飛雄信者、じゃなくて飛雄くんの後輩2人。
北川第一のバレー部で、飛雄くんをものすごくリスペクトしてて、勉強を教えてる私を鬱陶しがっている。

前に北一に行ったときも『コート上の王様』の件で揉めた?けど、日が経っていたのもあってバレーの誘いには乗ってくれた。
飛雄くんは受験あるからいないよ、と、強く念押したから、バレーするチャンスと受け入れてくれたんだと思う。

敵意むき出しだった頃と比べれば、性格が丸くなったのかも。これも成長?


「サーブ、練習してる」

「サーブ? 二人とも?」

「まだ大して入らないけどな。 片方はパワー出てきた、もう一人はコントロール磨いてる」


飛雄くんが、二人の後輩の様子を教えてくれている。

私の感激する眼差しに気づいた飛雄くんが狼狽えた様子で体をひいた。


「な、なんなんだよ」

「いや、よかったなって」

「よかった?」

「あの二人、飛雄くんのファンで、ずっと仲良くしたがってたから」


飛雄くんのサーブ練習の手伝いだって話しかけられなかったんだから、かなりの進歩だ。


「……な、仲良くねーよ」

「照れなくていいよ」

「俺は、の試合がマシになればいいんじゃねぇかって」

「わたしの、試合?」

「サーブ入んねーとすぐ試合終わんだろ。レシーブは二人でやってるしな」

「そ、そっか。

 ……ありがとう?」


疑問系のお礼につられてか、飛雄くんも小首をかしげた。


「なんでが言うんだ」

「私の試合のためって」

「……礼、言うなら、俺だろ」


飛雄くんがわざわざ立ち止まって言った。


、ありがとな」


不意打ちすぎる。


「まだ、ぜんぶ受験終わってないよ」


入試は結果が出るまで終わらない。
さらには、合格しなくちゃ。

飛雄くんは眉を寄せてそっぽを向いた。


「それぐらい、わかってる」

「中卒じゃダメだから」


ぜったい、だめ。


「バレーする飛雄くん、見たいから。

 高校生、なってね」


飛雄くんは、なるに決まってると力強く応えた。


next.