「も受けんだろ、烏野」
飛雄くんは私を一瞥し、不規則にまたたく外灯を見上げた。
暗く、明るく、つぎまた暗く。
いっそ消えてしまえば修理されるだろうに、中途半端に光り続けている。
私たちの影も同じく薄く濃くと変化し、離れるにつれて夜に溶け込んだ。
「受けるよ、あれ、前に言わなかった?」
「いや……、
別に、一応、聞いてみただけだ」
飛雄くんが歯切れ悪く、もごついた。
「同じ学校になるかもね」
北一に行った時にもそんな想像をした。
飛雄くんと同じクラスだったら、かえって周りの目を気にして、こんな風に勉強を教えてなかったかもしれない。
「違っても観に来いよ」
「へっ?」
飛雄くんの話は、いつも言葉が端折られている。
今の会話の流れからして……
「が違う高校に受かっても、試合、観に来りゃいいだろ。
県内ならバスでもなんでも来られる」
すぐに返事できずにいると、飛雄くんは不満げに口を尖らせた。
「嫌なのかよ」
「そ、そんなこと言ってない」
「じゃあなんだ、その、……嫌そうにしてんじゃねーか」
「してないよっ、どこが?
行くよ、例え敵チームでも応援する」
珍しく突っかかってくる飛雄くん。
勢いに任せて主張すると、本当かまた確認され、本当だよ!ってつい声を張り上げてしまった。
なんなの、一体。
どうせ私がいようがいまいが関係なしに、どこでも自由に飛雄くんはバレーするはずだ。
「私は、」
未来を想像する。
日の落ちた住宅街の道、続くコンクリート。
暗く広がる日常に、遠い光景を思い描く。
おぼろげではっきりしなくとも、現在から辿れる“先”もある。
話の続きを気にしてか、飛雄くんがこっちを向いた。
同じように見つめ返した。
「飛雄くんがするバレー、好きだから」
いざ、言葉にしてみると、自分の想いがストンと胸に落ちた。
今日も一緒にいて、前からわかっていたことだ。
「ずっと応援してる、どこにいても」
私が、離れようが。
飛雄くんが、遠ざかろうが。
同じ地平にいる以上、望む気持ちがあれば、追っかけられるはず。
この先会わなくなったって、きっと何かの拍子に、飛雄くんのことを思い出す。
今日みたく、いつもの体育館の時のように、この人はバレーをしてるんだろうなって。
そんな未来がみえる。
「高校、決まったら教えてね」
「……」
「聞いてる?」
「!き、聞いてる」
「ボーっとしてたから、もしかして」
「なッ、にすんだっ」
「熱、あるんじゃないかって、そ、そんな嫌がらなくても」
自分だって私のおでこ、平気でさわったくせに。
「飛雄くんって」
にゃー、と下の方から鳴き声。
私たちの前を一匹の猫がすーっと横切っていった。
この辺に住んでいる野良なのか、飼い猫の散歩なのかわからない。
少し貫禄のある、黒猫。
私たちの視線に気づいてから、振り返って見つめ返される。
揺らめくしっぽが、どこか優雅だ。
「」
「しっ」
そろり、用心しながら近づき、しゃがみ込む。
来るかな。
人慣れしてそうだけど。
じわり、じわり、と距離を詰めた時、猫の方はすばやく駆けて行った。
私の隣には同じようにしゃがむ飛雄くん。
音もなく接近されて怖かったんだろうか。
……怖かったんだろうな。
暗闇にまぎれる飛雄くん、私が猫なら、ちょっと、いやけっこう警戒すると思う。
しかし、飛雄くんはどこか凹んでそうに見えた。
「もしかして、飛雄くん、動物好き?」
「!べつに、ふつうだ」
「もっと力抜いとかないと」
「力なんか、入ってねぇ」
ふいっと顔をそらされる。
なぜか飛雄くんが警戒心の強い猫のようにみえた。
本人にはとても言えない。
「次は、触らせてもらえるといいね」
黒猫だーって、道路の向こうから誰かの声が聞こえてきた。
縁起が悪いってのも続けざまに。
あの猫がまた道行く人に遭遇したんだろう。
しゃがむのをお互いやめると、飛雄くんとの身長差を改めて実感した。
「、どうかしたか?」
なんで分かってほしくない時に限っていつも伝わってしまうのか。
ごまかすほどでもない。
「色で、区別されるんだなって」
「いろ?」
「今の時間ならだいたい真っ黒だし」
「何の話だ?」
飛雄くんは、黒猫の迷信を知ってるんだろうか。
「猫の話だよ」
「猫? さっきのやつか?」
「そう。
飛雄くんは、さっきの猫、どう思う?」
間髪入れずに答えてくれた。
「猫は猫だろ」
率直な答え。
たしかに猫だ。猫以外ない。
物事の良しあしなど一切含まない回答に、なんでだか自分の気にしたことがすごく些細なことに感じられた。
「行こっか」
「」
引き止めるように飛雄くんが私の腕を掴んだ。
いつかの時よりずっと優しいものではあるけれど、息をのむ程度には驚く距離感だった。
「俺たち、どっかで会ったことあるか?」
唐突な質問だった。
飛雄くんの真っ直ぐな瞳に、外灯の明かりが反射している。
「ある、らしいよ。
……小さい時のことでしょ?
先生に聞いたことある」
飛雄くんには言わないけど、バレーの先生からクリスマスにもらった写真が何よりの証拠だ。
あの写真の中に、確かに私と飛雄くんがいた。
「でも、なんで急に?」
「……、前に、似たこと、あった気がした。
わ、悪い」
飛雄くんは、今さらこの状況に気づいたみたく、バツが悪そうに手を離してくれた。
私を掴んだ手を無造作にポケットに突っ込んで歩き出す。
「飛雄くん、けっこう覚えてる?」
「は、覚えてんのか?」
聞き返されると答えづらい。
「ごめん、私は、ぜんぜん……」
「そうか……」
自分だけまったく何も覚えていないのが後ろめたくなってくる。
「せっ先生が覚えてるから、バレー関係ってことはわかるけど」
「聞いたら教えてもらえんのか?」
飛雄くんが独り言みたく呟いた。
先生から写真のことが伝わりやしないかと慌てて言った。
「せっ先生もあんまり覚えてないって!」
「……なんで、覚えてないのにそんな話」
「よかったなって、先生が!」
事実ではある。
飛雄くんに友達ができたって先生は喜んでいた。
だから、あの小さい頃の写真も話のタネにって持ち出したんだ。それ以上の意味も意図もない。
飛雄くんは釈然としない様子だった。
「友達?」
続く言葉に固まったのは私だった。
「俺とは、友達なのか?」
「違うの?」
これまでもそんな風に評したことはあるし、今日だって練習も一緒にしたから、飛雄くんの反応にどう答えるべきかわからなかった。
少しだけ距離を置いて歩く。
「とっ友達じゃなくて、先生と生徒とか?」
「友達って、なんだ」
飛雄くんは哲学みたいな問いをした。
「私たち、みたいな関係だと思ってたけど」
友達になるのに時間は関係ない、とは言うけれど、それにしたって私たちは十分、時間を重ねてきたつもりだ。
学校が違うにしたって、今さら他人と呼ぶには、ずいぶん仲がいいだろう。
少なくとも私は、友達のつもりだった、今まで。
試合観に来いって言ってたのに、じゃあ、なんで誘ったりなんか。
考えるほど迷宮入りしそうだ。
「もう帰ろっ、暗いし」
飛雄くんからの返事を待たずに歩き出す。
すぐまた追いつかれたから前を向いたまま尋ねた。
「念のため聞くけど、私たちって他人?」
こんなことを聞いている事実がせつない。
「他人じゃねーよ」
飛雄くんははっきりと口にした。
だったら、今日は、それでいい。
よかった。
「何がだよ」
「こ、声出てたっ、なんでもない!」
「なんでもなくねーだろ、何がよかったんだ」
「友達とも思ってない人の呟きなんか、どーでもいいでしょ」
「そ、そこまでは言ってねーよ」
「だいたい、飛雄くんこそ友達ってなんだと思ってるの?」
返事がない。
「え、いるよね、友達?」
「……、……いる」
「間がすごくあったけど」
聞いちゃいけなかったんだろうか。
飛雄くんの交友関係、想像できない。
しばらく歩いてからやっぱり言いたくなった。
「飛雄くん。
私は、友達だって思ってるから」
人と人の関係性なんて呼び方は自由だ。
どうしたいか。
自分の心に聞くのが手っ取り早い。
「困ったことあったら、言ってね。 私、助け、」
言い切る前に、コンクリートの段差に足を取られかけた。
「助けって、なんだ?」
けろりとした様子で、私の方こそ今まさに飛雄くんに助けられた。支えてもらった。絶妙なタイミングで。
「……助けてくれてありがとう」
「いつも何にもないところで転ぶな」
「あ、る! ここっ、ほらっ見て!」
「何もないだろ」
「あるってば!」
「おー、あるな、ある」
「気持ちが少しも入ってない……!」
そんな話をしている内に、元の道からまた外れていった。
next.