ハニーチ

スロウ・エール 215





も受けんだろ、烏野」


飛雄くんは私を一瞥し、不規則にまたたく外灯を見上げた。

暗く、明るく、つぎまた暗く。

いっそ消えてしまえば修理されるだろうに、中途半端に光り続けている。

私たちの影も同じく薄く濃くと変化し、離れるにつれて夜に溶け込んだ。


「受けるよ、あれ、前に言わなかった?」

「いや……、

 別に、一応、聞いてみただけだ」


飛雄くんが歯切れ悪く、もごついた。


「同じ学校になるかもね」


北一に行った時にもそんな想像をした。

飛雄くんと同じクラスだったら、かえって周りの目を気にして、こんな風に勉強を教えてなかったかもしれない。


「違っても観に来いよ」

「へっ?」


飛雄くんの話は、いつも言葉が端折られている。

今の会話の流れからして……


が違う高校に受かっても、試合、観に来りゃいいだろ。

 県内ならバスでもなんでも来られる」


すぐに返事できずにいると、飛雄くんは不満げに口を尖らせた。


「嫌なのかよ」

「そ、そんなこと言ってない」

「じゃあなんだ、その、……嫌そうにしてんじゃねーか」

「してないよっ、どこが?

 行くよ、例え敵チームでも応援する」


珍しく突っかかってくる飛雄くん。

勢いに任せて主張すると、本当かまた確認され、本当だよ!ってつい声を張り上げてしまった。

なんなの、一体。
どうせ私がいようがいまいが関係なしに、どこでも自由に飛雄くんはバレーするはずだ。


「私は、」


未来を想像する。

日の落ちた住宅街の道、続くコンクリート。

暗く広がる日常に、遠い光景を思い描く。

おぼろげではっきりしなくとも、現在から辿れる“先”もある。

話の続きを気にしてか、飛雄くんがこっちを向いた。

同じように見つめ返した。


「飛雄くんがするバレー、好きだから」


いざ、言葉にしてみると、自分の想いがストンと胸に落ちた。

今日も一緒にいて、前からわかっていたことだ。


「ずっと応援してる、どこにいても」


私が、離れようが。
飛雄くんが、遠ざかろうが。

同じ地平にいる以上、望む気持ちがあれば、追っかけられるはず。
この先会わなくなったって、きっと何かの拍子に、飛雄くんのことを思い出す。

今日みたく、いつもの体育館の時のように、この人はバレーをしてるんだろうなって。

そんな未来がみえる。



「高校、決まったら教えてね」

「……」

「聞いてる?」

「!き、聞いてる」

「ボーっとしてたから、もしかして」

「なッ、にすんだっ」

「熱、あるんじゃないかって、そ、そんな嫌がらなくても」


自分だって私のおでこ、平気でさわったくせに。


「飛雄くんって」


にゃー、と下の方から鳴き声。

私たちの前を一匹の猫がすーっと横切っていった。

この辺に住んでいる野良なのか、飼い猫の散歩なのかわからない。

少し貫禄のある、黒猫。

私たちの視線に気づいてから、振り返って見つめ返される。
揺らめくしっぽが、どこか優雅だ。




「しっ」


そろり、用心しながら近づき、しゃがみ込む。

来るかな。
人慣れしてそうだけど。

じわり、じわり、と距離を詰めた時、猫の方はすばやく駆けて行った。

私の隣には同じようにしゃがむ飛雄くん。

音もなく接近されて怖かったんだろうか。
……怖かったんだろうな。

暗闇にまぎれる飛雄くん、私が猫なら、ちょっと、いやけっこう警戒すると思う。

しかし、飛雄くんはどこか凹んでそうに見えた。


「もしかして、飛雄くん、動物好き?」

「!べつに、ふつうだ」

「もっと力抜いとかないと」

「力なんか、入ってねぇ」


ふいっと顔をそらされる。

なぜか飛雄くんが警戒心の強い猫のようにみえた。
本人にはとても言えない。


「次は、触らせてもらえるといいね」


黒猫だーって、道路の向こうから誰かの声が聞こえてきた。
縁起が悪いってのも続けざまに。

あの猫がまた道行く人に遭遇したんだろう。

しゃがむのをお互いやめると、飛雄くんとの身長差を改めて実感した。


、どうかしたか?」


なんで分かってほしくない時に限っていつも伝わってしまうのか。

ごまかすほどでもない。


「色で、区別されるんだなって」

「いろ?」

「今の時間ならだいたい真っ黒だし」

「何の話だ?」


飛雄くんは、黒猫の迷信を知ってるんだろうか。


「猫の話だよ」

「猫? さっきのやつか?」

「そう。

 飛雄くんは、さっきの猫、どう思う?」


間髪入れずに答えてくれた。


「猫は猫だろ」


率直な答え。

たしかに猫だ。猫以外ない。

物事の良しあしなど一切含まない回答に、なんでだか自分の気にしたことがすごく些細なことに感じられた。


「行こっか」




引き止めるように飛雄くんが私の腕を掴んだ。
いつかの時よりずっと優しいものではあるけれど、息をのむ程度には驚く距離感だった。


「俺たち、どっかで会ったことあるか?」


唐突な質問だった。

飛雄くんの真っ直ぐな瞳に、外灯の明かりが反射している。


「ある、らしいよ。

 ……小さい時のことでしょ?

 先生に聞いたことある」


飛雄くんには言わないけど、バレーの先生からクリスマスにもらった写真が何よりの証拠だ。

あの写真の中に、確かに私と飛雄くんがいた。


「でも、なんで急に?」

「……、前に、似たこと、あった気がした。

 わ、悪い」


飛雄くんは、今さらこの状況に気づいたみたく、バツが悪そうに手を離してくれた。

私を掴んだ手を無造作にポケットに突っ込んで歩き出す。


「飛雄くん、けっこう覚えてる?」

は、覚えてんのか?」


聞き返されると答えづらい。


「ごめん、私は、ぜんぜん……」

「そうか……」


自分だけまったく何も覚えていないのが後ろめたくなってくる。


「せっ先生が覚えてるから、バレー関係ってことはわかるけど」

「聞いたら教えてもらえんのか?」


飛雄くんが独り言みたく呟いた。

先生から写真のことが伝わりやしないかと慌てて言った。


「せっ先生もあんまり覚えてないって!」

「……なんで、覚えてないのにそんな話」

「よかったなって、先生が!」


事実ではある。

飛雄くんに友達ができたって先生は喜んでいた。

だから、あの小さい頃の写真も話のタネにって持ち出したんだ。それ以上の意味も意図もない。

飛雄くんは釈然としない様子だった。


「友達?」


続く言葉に固まったのは私だった。


「俺とは、友達なのか?」

「違うの?」


これまでもそんな風に評したことはあるし、今日だって練習も一緒にしたから、飛雄くんの反応にどう答えるべきかわからなかった。

少しだけ距離を置いて歩く。


「とっ友達じゃなくて、先生と生徒とか?」

「友達って、なんだ」


飛雄くんは哲学みたいな問いをした。


「私たち、みたいな関係だと思ってたけど」


友達になるのに時間は関係ない、とは言うけれど、それにしたって私たちは十分、時間を重ねてきたつもりだ。

学校が違うにしたって、今さら他人と呼ぶには、ずいぶん仲がいいだろう。

少なくとも私は、友達のつもりだった、今まで。

試合観に来いって言ってたのに、じゃあ、なんで誘ったりなんか。
考えるほど迷宮入りしそうだ。


「もう帰ろっ、暗いし」


飛雄くんからの返事を待たずに歩き出す。

すぐまた追いつかれたから前を向いたまま尋ねた。


「念のため聞くけど、私たちって他人?」


こんなことを聞いている事実がせつない。


「他人じゃねーよ」


飛雄くんははっきりと口にした。

だったら、今日は、それでいい。

よかった。



「何がだよ」

「こ、声出てたっ、なんでもない!」

「なんでもなくねーだろ、何がよかったんだ」

「友達とも思ってない人の呟きなんか、どーでもいいでしょ」

「そ、そこまでは言ってねーよ」

「だいたい、飛雄くんこそ友達ってなんだと思ってるの?」


返事がない。


「え、いるよね、友達?」

「……、……いる」

「間がすごくあったけど」


聞いちゃいけなかったんだろうか。

飛雄くんの交友関係、想像できない。

しばらく歩いてからやっぱり言いたくなった。


「飛雄くん。
 私は、友達だって思ってるから」


人と人の関係性なんて呼び方は自由だ。

どうしたいか。
自分の心に聞くのが手っ取り早い。


「困ったことあったら、言ってね。 私、助け、」


言い切る前に、コンクリートの段差に足を取られかけた。


「助けって、なんだ?」


けろりとした様子で、私の方こそ今まさに飛雄くんに助けられた。支えてもらった。絶妙なタイミングで。


「……助けてくれてありがとう」

「いつも何にもないところで転ぶな」

「あ、る! ここっ、ほらっ見て!」

「何もないだろ」

「あるってば!」

「おー、あるな、ある」

「気持ちが少しも入ってない……!」


そんな話をしている内に、元の道からまた外れていった。



next.