ハニーチ

スロウ・エール 218



今日の練習は、いつもより集中していた。


日向くんに合わせてボールを上げ、日向くんが飛ぶ先を見極めて狙いを定める。

繰り返すたび、感覚をつかめたと思うのに、すぐまた消える。

手先だけに頼っちゃダメだ。
深呼吸してリズムを正し、また一定の位置にボールを放り、全身を意識して力を届ける。

ボールに触れられるのは一瞬。

その刹那のタイミングにすべてを集中する。

上手くいったかどうか。
日向くんがボールを地面に打ち抜いた後に結果を知る。


思考が入り込む間はない。

ボールだけだ。

ボールと、スパイカー。

あとは己の感覚のみ。

考えるな、そう考える時間があったなら、もう遅い。


飛び跳ねて転がるボールを追いかけて、また位置に戻る。


時々、飛雄くんのイメージが割り込んでくる。

あの綺麗なフォーム、そこに辿り着ける気は到底しないけど、でも。



もう一回、

もう一度。


ボールを上げる。
何回も上げる。

正しき場所まで、一気に、相手へ。

点と点が加速して、繋がっていく。


風になったみたい。

かっさらうように紡ぐ、それぞれのコンマ数秒。

目には見えないけれど存在する、透明な一線。

何度でも、何回でも、そこへ手を伸ばす。



さんっ」


「だ、大丈夫……ごめん、やろっ」



ボールを受け取り損ねた私に気遣って、日向くんが声をかけてくれた。
言葉通り、大丈夫だって顔をしてボールを手の中で回した。


もっと集中するんだ。

もっと、深く。

全神経を一瞬に込めろ。


回数を重ねるごとに全身に力が巡り、熱が高まっていく。

寒かったのが嘘みたい。

もっとできる。
そんな気がする。

あの頃の私に戻れそう。

あと、もうちょっと。

あと、

 あっ、

  ぶれ、た。


意識するより速かった。


日向くんが、もういた。

待ち構えていたかのごとく、宙にいた。


時間、とまってた。


それは感覚の話で、実際は、すべて数秒の出来事だった。

日向くんのおかげでボールはきちんと繋がり、ここがネット前なら、きっとひときわ大きく歓声が上がったはずだ。

地面に叩きつけられたボールが空へ飛ぶ。


す、ごい。

日向くんはやっぱりすごい。


感情に言葉が追いつかない。

立ち尽くす私の代わりに、日向くんがボールを拾い上げた。


さんっ」


日向くんがボールを投げてくれると思ったら持ってきてくれた、と思いきや私の腕をつかんで引っ張る。


「休憩!」

「えっ、まだ時間」

「チャイム鳴る、ほらっ」


日向くんが示す先に時計が立っていて、確かに間も無く5時間目の授業が終わるところだった。

まだ、まだやれるんだけどな。

日向くんに荷物を置いていた場所に腰かけるよう促されて、大人しく従った。

ボールは日向くんの腕の中だ。


さん、風邪ひかないようにしないと。 本番、明日だしさ」


反論しようとしたところで、また一つくしゃみ。

バレーする熱と外気温の差に体が驚いてるみたい。
こないだの練習の時と同じだ。

動きたいのに、動いちゃダメだって理性が興奮を制御する。
落ちつかなきゃって思う。
けど、落ちつかない。動いてたい。


さん、なんかあった?」


日向くんが、今にも立ち上がろうとする私の隣に座った。

肩をすくめて、大人しく首筋にタオルを当てた。


「なんで?」

さん、らしくないなって」


日向くんはそう言ってからすぐ小首を傾げた。


「ちがうな、さんだけど、いつもと全然違うって訳じゃなくてー、なんていうか、んー!」


日向くんの膝上にあったボールが転がりそうで、思わず手を伸ばした時に言われた。


「クリスマスの時の、おれみたいだって思った。

 公園でトスあげてくれたの覚えてる?」


忘れるはずない。

はじめて、日向くんにトスをあげた。

去年じゃなくて、その前の年のこと。

日向くんから突然電話がかかってきた、あの夜。


「あの時のこと、思い出した」


日向くんは、そうだ!と閃いたように続けた。


さん、もうできる?」

「え、うん」

「おれにトスあげさせてよ」


とすって、あのトスだ。


「日向くんが?」

さんにいつもボールあげてもらってるしさ、さんが打ってみてっ」


日向くんが足音を立てて私が立っていた位置にスタンバイした。

私のことを呼ぶ。

さん、飛んでって。



「あ、でもおれっ、さんみたく上げらんないから、両手で放るけどいい?」

「う、ん……」


日向くんがボールを上げる。

私が、打つ。




「行くよ、さんっ!」



ボールに呼ばれる。
セッターに求められる。

知っている。

大地を踏み締め、重力に逆らい、手を伸ばす。

自分に向けられたボール、それはメッセージだ。

この手に残る、確かな感触。


さん、すげー! 次、どんなんがいい!?」

「あ……、同じの上げてくれたら」

「わかった!!」


日向くんは私じゃない。

私の知ってる誰でもない。


山なりのゆっくりとしたボール、よく観察してタイミングを合わせ、飛ぶ。
力いっぱい踏み締め、力の限り打ち抜く。

何度も、何回も。

ボールを拾い、返し、日向くんが上げてくれる。

なんで?って聞きたいけど、疑問は後回しだ。
足が重たくなってくる。

地球の上にいるんだって実感する。

どこにも行けない。
この地に足がつく。

それでも、ボールが上がる。

ただ、その事実を目にして走る。飛ぶ。打つ。


「次さっ」


日向くんがボールの持ち方を変えた。


さんみたくやっていいっ?」


「いいよ!」



祖父にいつも言われていた。

スパイカーを見ろと。
打ちやすく、丁寧に、相手の求めるトスを見極めて放て、と。

けど、今は日向くんとの練習だった。

日向くんが私に合わせるのは難しい。

だったら代わろう。合わせてみせる。


日向くんのトスは予想通りだった。

手が正確にボールを捉えていない。
明後日の方向に飛んでいく。


見送ればいいのに、足が出る。

腕が伸びる。

まだ終わらないでって、なんてことのない練習なのに。


届けっ。


もう少し、このまま。






さん、大丈夫!?」

「全然へー、きっ?」


日向くんに、ボールを変にぶつけた方の手を掴まれる。

真剣な眼差しと向き合う格好になった。



「保健室っ、行こっ!」

「ぇ、ひなっ!」


待ってと静止する間も無く景色は移り変わってゆき、保健室に着いていた。

外ばきの、まま。



「今日はどうしたの?」

「ちょっとだけ、指を」

「見せてね」


日向くんが上履きと荷物をなんとかしてきてくれると一言残して、あっという間に走り去った。
私は、保健室に置いてけぼり。

保健室前でのやりとりは先生にばっちり聞かれていて、入った瞬間に笑われた。

恥ずかしさから俯き気味に進み入り、促されるまま、ボールを拾った右手を先生に差し出した。


「バレー?」

「は、はい……、ごめんなさい」

「痛む?」

「そんなでも、……っ!」

「痛むのね、待ってて」


今の、ぜったい先生の触り方が悪かった。


さん、無事!?」

「保健室は静かにねー」

「は、ハイ!!」


その返事がまた大きくて先生が小気味良く笑った。

日向くんが二人分の荷物と私の上履きを持ってきてくれた。

ここ、置いとくね?
ありがと

小声で話しかけられ、同じく小声で返し、コソコソとおしゃべりを続けていると、保健室の先生が氷嚢を持って向かいの椅子に腰掛けた。

大したことないと思うけど、しばらく冷やしてなさい、だって。


「受験どう?」

「おれは第一志望まだです!」

「そう、がんばってね」


日向くんが元気よく返事する横で、利用者名簿に自分のクラスと名前を書き綴った。


「先生、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」


二人して保健室を出て、どちらともなしに顔を見合わせた。


「あのっ」「あのさっ」


同時にしゃべり出して、同時に固まった。

なんとなく笑い合う。

日向くんが切り出してくれた。

もうちょっと、一緒にいない?って。



next.