今日の練習は、いつもより集中していた。
日向くんに合わせてボールを上げ、日向くんが飛ぶ先を見極めて狙いを定める。
繰り返すたび、感覚をつかめたと思うのに、すぐまた消える。
手先だけに頼っちゃダメだ。
深呼吸してリズムを正し、また一定の位置にボールを放り、全身を意識して力を届ける。
ボールに触れられるのは一瞬。
その刹那のタイミングにすべてを集中する。
上手くいったかどうか。
日向くんがボールを地面に打ち抜いた後に結果を知る。
思考が入り込む間はない。
ボールだけだ。
ボールと、スパイカー。
あとは己の感覚のみ。
考えるな、そう考える時間があったなら、もう遅い。
飛び跳ねて転がるボールを追いかけて、また位置に戻る。
時々、飛雄くんのイメージが割り込んでくる。
あの綺麗なフォーム、そこに辿り着ける気は到底しないけど、でも。
もう一回、
もう一度。
ボールを上げる。
何回も上げる。
正しき場所まで、一気に、相手へ。
点と点が加速して、繋がっていく。
風になったみたい。
かっさらうように紡ぐ、それぞれのコンマ数秒。
目には見えないけれど存在する、透明な一線。
何度でも、何回でも、そこへ手を伸ばす。
「さんっ」
「だ、大丈夫……ごめん、やろっ」
ボールを受け取り損ねた私に気遣って、日向くんが声をかけてくれた。
言葉通り、大丈夫だって顔をしてボールを手の中で回した。
もっと集中するんだ。
もっと、深く。
全神経を一瞬に込めろ。
回数を重ねるごとに全身に力が巡り、熱が高まっていく。
寒かったのが嘘みたい。
もっとできる。
そんな気がする。
あの頃の私に戻れそう。
あと、もうちょっと。
あと、
あっ、
ぶれ、た。
意識するより速かった。
日向くんが、もういた。
待ち構えていたかのごとく、宙にいた。
時間、とまってた。
それは感覚の話で、実際は、すべて数秒の出来事だった。
日向くんのおかげでボールはきちんと繋がり、ここがネット前なら、きっとひときわ大きく歓声が上がったはずだ。
地面に叩きつけられたボールが空へ飛ぶ。
す、ごい。
日向くんはやっぱりすごい。
感情に言葉が追いつかない。
立ち尽くす私の代わりに、日向くんがボールを拾い上げた。
「さんっ」
日向くんがボールを投げてくれると思ったら持ってきてくれた、と思いきや私の腕をつかんで引っ張る。
「休憩!」
「えっ、まだ時間」
「チャイム鳴る、ほらっ」
日向くんが示す先に時計が立っていて、確かに間も無く5時間目の授業が終わるところだった。
まだ、まだやれるんだけどな。
日向くんに荷物を置いていた場所に腰かけるよう促されて、大人しく従った。
ボールは日向くんの腕の中だ。
「さん、風邪ひかないようにしないと。 本番、明日だしさ」
反論しようとしたところで、また一つくしゃみ。
バレーする熱と外気温の差に体が驚いてるみたい。
こないだの練習の時と同じだ。
動きたいのに、動いちゃダメだって理性が興奮を制御する。
落ちつかなきゃって思う。
けど、落ちつかない。動いてたい。
「さん、なんかあった?」
日向くんが、今にも立ち上がろうとする私の隣に座った。
肩をすくめて、大人しく首筋にタオルを当てた。
「なんで?」
「さん、らしくないなって」
日向くんはそう言ってからすぐ小首を傾げた。
「ちがうな、さんだけど、いつもと全然違うって訳じゃなくてー、なんていうか、んー!」
日向くんの膝上にあったボールが転がりそうで、思わず手を伸ばした時に言われた。
「クリスマスの時の、おれみたいだって思った。
公園でトスあげてくれたの覚えてる?」
忘れるはずない。
はじめて、日向くんにトスをあげた。
去年じゃなくて、その前の年のこと。
日向くんから突然電話がかかってきた、あの夜。
「あの時のこと、思い出した」
日向くんは、そうだ!と閃いたように続けた。
「さん、もうできる?」
「え、うん」
「おれにトスあげさせてよ」
とすって、あのトスだ。
「日向くんが?」
「さんにいつもボールあげてもらってるしさ、さんが打ってみてっ」
日向くんが足音を立てて私が立っていた位置にスタンバイした。
私のことを呼ぶ。
さん、飛んでって。
「あ、でもおれっ、さんみたく上げらんないから、両手で放るけどいい?」
「う、ん……」
日向くんがボールを上げる。
私が、打つ。
「行くよ、さんっ!」
ボールに呼ばれる。
セッターに求められる。
知っている。
大地を踏み締め、重力に逆らい、手を伸ばす。
自分に向けられたボール、それはメッセージだ。
この手に残る、確かな感触。
「さん、すげー! 次、どんなんがいい!?」
「あ……、同じの上げてくれたら」
「わかった!!」
日向くんは私じゃない。
私の知ってる誰でもない。
山なりのゆっくりとしたボール、よく観察してタイミングを合わせ、飛ぶ。
力いっぱい踏み締め、力の限り打ち抜く。
何度も、何回も。
ボールを拾い、返し、日向くんが上げてくれる。
なんで?って聞きたいけど、疑問は後回しだ。
足が重たくなってくる。
地球の上にいるんだって実感する。
どこにも行けない。
この地に足がつく。
それでも、ボールが上がる。
ただ、その事実を目にして走る。飛ぶ。打つ。
「次さっ」
日向くんがボールの持ち方を変えた。
「さんみたくやっていいっ?」
「いいよ!」
祖父にいつも言われていた。
スパイカーを見ろと。
打ちやすく、丁寧に、相手の求めるトスを見極めて放て、と。
けど、今は日向くんとの練習だった。
日向くんが私に合わせるのは難しい。
だったら代わろう。合わせてみせる。
日向くんのトスは予想通りだった。
手が正確にボールを捉えていない。
明後日の方向に飛んでいく。
見送ればいいのに、足が出る。
腕が伸びる。
まだ終わらないでって、なんてことのない練習なのに。
届けっ。
もう少し、このまま。
「さん、大丈夫!?」
「全然へー、きっ?」
日向くんに、ボールを変にぶつけた方の手を掴まれる。
真剣な眼差しと向き合う格好になった。
「保健室っ、行こっ!」
「ぇ、ひなっ!」
待ってと静止する間も無く景色は移り変わってゆき、保健室に着いていた。
外ばきの、まま。
「今日はどうしたの?」
「ちょっとだけ、指を」
「見せてね」
日向くんが上履きと荷物をなんとかしてきてくれると一言残して、あっという間に走り去った。
私は、保健室に置いてけぼり。
保健室前でのやりとりは先生にばっちり聞かれていて、入った瞬間に笑われた。
恥ずかしさから俯き気味に進み入り、促されるまま、ボールを拾った右手を先生に差し出した。
「バレー?」
「は、はい……、ごめんなさい」
「痛む?」
「そんなでも、……っ!」
「痛むのね、待ってて」
今の、ぜったい先生の触り方が悪かった。
「さん、無事!?」
「保健室は静かにねー」
「は、ハイ!!」
その返事がまた大きくて先生が小気味良く笑った。
日向くんが二人分の荷物と私の上履きを持ってきてくれた。
ここ、置いとくね?
ありがと
小声で話しかけられ、同じく小声で返し、コソコソとおしゃべりを続けていると、保健室の先生が氷嚢を持って向かいの椅子に腰掛けた。
大したことないと思うけど、しばらく冷やしてなさい、だって。
「受験どう?」
「おれは第一志望まだです!」
「そう、がんばってね」
日向くんが元気よく返事する横で、利用者名簿に自分のクラスと名前を書き綴った。
「先生、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
二人して保健室を出て、どちらともなしに顔を見合わせた。
「あのっ」「あのさっ」
同時にしゃべり出して、同時に固まった。
なんとなく笑い合う。
日向くんが切り出してくれた。
もうちょっと、一緒にいない?って。
next.